3
王太后主催のお茶会に知り合いはいなかった。クロエには何人かの友人はいるが、今日集まっているのはより上位貴族の令嬢ばかりだ。
王太后に挨拶をすると値踏みするような視線で射抜かれ、クロエは自分が歓迎されてはいないことを知った。
しかし、周りの令嬢はそうではなかった。クロエを取り囲むと、興味津々の顔で質問してきたのだ。
「はじめまして、クロエさん。殿下とはいつ頃、婚約なさるの?」
「クロエさん、殿下とどうやって仲良くなられたの?」
「殿下のどういったところがよろしいの?」
今日は針のむしろ状態だろうと身構えていたクロエは拍子抜けした。
しかも皆、妬んでいるとか、将来の王妃と仲良くなっておこうといった下心が全く感じられない。純粋に、興味があるといった目で見られているようなのだ。
「たまにお会いしているだけで婚約といったことは…」
嘘だ。しょっちゅう会っている。
だが、それを告げたらもう婚約が決定事項になりそうな気がする。クロエは事実を濁した。
「まあ、そうなの? もう決まりなのかと思ったわ」
「あの、なぜそのような話になっているのですか?」
美しい令嬢たちは顔を見合わせた。そして、あたかも当然のような顔で口を開く。
「だって、殿下がそう仰っていたわよね」
「ええ。もうお妃選びのお茶会はお終いですって」
「ええー……」
行儀悪くも、頭を抱えてのけぞる。
こちらはまだそのつもりはないのに、カインは他の令嬢との見合いを終わらせてしまったのか。
そしてその理由まで、つまりクロエと会っていることまで令嬢方に話してしまっている。
「まあ、そのご様子だと殿下の片想いなのかしら」
「可笑しいわね」
鈴の鳴るような声で笑われ、クロエはじとりと淑女たちを見やる。本来はもっと、自分は妬まれたり邪険にされたりするべきなのではないだろうか。それを覚悟してきた。
同じ年頃の淑女なのだから、皆、将来の王妃になりたいはずだ。上位貴族であればあるほど。
なのにどうだ。今、周りの令嬢たちは本当に純粋に友達の恋愛話を聞いているような雰囲気だ。
「あの、皆さまはそれでよろしいのですか、殿下のお相手になりたい方は…?」
令嬢たちはまた顔を見合わせてから、くすくすと笑った。その可愛らしさはクロエが見惚れるほどだ。
「わたくしたち、皆、お友達なのですけれど、殿下とは幼い頃から接点がありますでしょう。ですから今さらという気もします。殿下もわたくしたちには興味をお持ちではないですし」
「そうね。殿下が恋をしているなら応援して差し上げたいわ」
「で、でも、お見合いには参加なされたんですよね?」
クロエが問うと、公爵家の令嬢が華奢な肩を竦めて声を落とした。
「参加いたしましたよ。王太后様のご意向もありましたし」
彼の母である王太后は、家格の高い令嬢を迎えたいと考えているようだが、カインはそれを気にも留めていないという。
「でもそれだけですわね。殿下の性格をよく存じていますから、弟みたいでそれ以上はちょっと」
明らかに良くないであろうニュアンスに、クロエは公爵家の令嬢に縋り付いた。
「そ、それはどういう意味ですか」
「ふふふ、クロエさん。これから大変ですよ。殿下は諦めが悪いし、執念深いですからね」
不穏な言葉にクロエが固まると、他の令嬢たちも笑い出す。
「そうよね。殿下と昔、ボードゲームをしたら負けて泣いていたわ。勝つまで相手させられるから大変」
「そうそう。手を抜くとそれもそれで怒るのよね」
「そういえば狩りに出たときも鳥を落とせなくて泣いていたわよ。日が暮れるまでやっていたの」
それからはカインの昔の恥ずかしい話の暴露大会になってしまった。
大抵は目的を達成できなくて悔しがる話で、その話の中で大抵カインは泣いていた。
うちの下の弟(5歳)とほぼ同じじゃないか、とクロエは気が遠くなる。
盛り上がる皆の中でどんどん表情が暗くなるクロエの肩を、一人の令嬢がぽんと叩いた。
「幼い頃の話ですよ。殿下はそれだけ真面目で熱心な方ということです。仕事の評価は高いし、王になる器だもの。悪いことではないわ」
「そうそう、クロエさん。妃になったらきっと会う機会が増えるだろうからこれからよろしくお願いしますわね」
クロエが返答できず固まっていると、聞き慣れた声が聞こえた。
「ああ、クロエ。来ていたなら声をかけてくれたら良かったのに」
「まあ殿下」
「……」
クロエは頭を抱えた。
淑女ばかりのお茶会に騎士を伴って現れたカインは、いつも通り美しい。とてもべそべそ泣いている姿を想像できない。隙のない王子様といった出で立ちだ。
しかし令嬢たちは突然現れたカインを見てひそひそしながら笑う。
「なに? 皆で僕の悪口を言っていたの?」
「とんでもない、殿下。殿下の素晴らしいところをクロエさんに教えて差し上げていたのですから、感謝して頂きたいですわ」
「本当かなあ」
嘘ですよ、とは言えず、クロエは下を向いた。
皆、あなたのことを弟のように思っていますよ。負けず嫌いで泣き虫であった昔の姿を覚えられてますよ、と言ってしまいたい。
「クロエ、美味しいお菓子をもらったからおいでよ。いいよね?」
令嬢方は頷いたが、クロエは返事をする前にカインに手を引かれた。それから王太后に挨拶すると、王太后は呆れたような目で息子を見やった。
もう拒否したところで無駄なのだろう。ほぼ諦めたクロエが連れて行かれたのはカインの執務室のようだった。
すでに執務室には二人分の茶菓子が用意されており、椅子に座るように促される。
「クロエ、いじめられなかった? 皆が呼び出したなんて聞いたものだから気になって」
「正反対です、とても親切にして頂きました。殿下、」
「なに?」
暗い声のクロエに、茶菓子をつまもうとしていたカインは手を止める。
「もうお見合いはお終いだと仰っているそうですね」
「え、うーん。そう。クロエ以外とはもう会っていない」
「困ります」
「え?」
そうだ、困る。こっちはまだ考えているところなのに。そんなに早急に進められては。
「こんな、外堀を埋めるようなやり方をされるのは困ります。私はまだ気持ちを決められていません。もう逃げ場のないように追い詰められると…、困ります」
「僕はクロエと結婚したいと思っているから、その通りに行動しているだけだ。クロエにも考えてみてと言ったよね?」
「考える隙を与えて頂けていません。私が考えるよりも先に周りから固められそうで、怖いですし、そんなのは嫌です…」
カインの視線から逃げるようにクロエはうつむいた。
カインとの結婚を考えようとはしている。でも、そんな余裕がなく決定事項のように、自分の意思が無視されたまま進んでしまうのではないかと思えて、嫌だ。
少しの時間、二人の間に沈黙が流れた。
クロエは顔を上げられず、自分の手を見つめる。先に口を開いたのはカインだった。
「……ごめんね。確かに、性急だったかもしれない」
「殿下」
「理想の人に出会って、絶対結婚したいと思ったんだ。でも、クロエの気持ちを考えていなかったね。ごめん」
顔を上げると、カインも俯いていた。泣いてしまったかと思ったが、そうではなさそうなのでほっとする。
「しばらくは会うのをやめるようにするよ。僕も少し頭を冷やすね」
カインはそう言うと、騎士に「クロエ嬢を送るように」と指示した。
クロエは騎士に従ってカインの執務室を後にした。
♢
それから、カインからの誘いはピタリと止んだ。しつこいほど来ていた手紙や贈り物もなくなった。王宮への誘いもなく、カインとは会わなくなった。
もともと、世界の違う人なんだとクロエは再認識する。見合いで会うまでは、式典などで遠目に見るだけだった。その頃に戻ったのだ。
「クロエ、殿下からのお誘いがぱったりと止んだが、なにかあったのか?」
「え、ええと…」
異常を察知したハーパー伯爵は不安げに娘に問うたが、答えは得られない。
しかし、クロエはようやく落ち着いて将来を考えられるようになった。