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カインの言っていた「また」が社交辞令だと思っていたクロエだが、それから間を空かずして誘いが来た。疑問に思いながらも一度目と同様に王宮を訪ね、少しお喋りする。
この時はカインから「好きな食べ物なに?」と聞かれたので、「甘いものが好きです」と答えた。
すると三回目に会った時に、さまざまなスイーツがどっさり準備されていた。そんなに食べられないと告げると、四回目には非常に上品な砂糖菓子が準備されていた。きっと、かなり高級なもの。
話す内容は大したことではない。カインは毎回、クロエの家族のことを聞き、普段何をしているかを問う。
クロエから質問することはほとんどないが、カインが自分のことを話すこともある。仕事以外のことだ。別に特別なことは話さない。他愛もないこと。
四回会い、さすがにクロエも自分の状況に気付いた。
すなわち、自分が選考を進んでいることを。
お茶会などで耳にするカインの見合いについて、二回呼ばれた令嬢はいるが、それ以上はいない。自分はもう四回だ。
なにがカインの琴線に触れたのか分からない。分からないが、あの美しい彼が自分を気に入っていることは確かなようだ。
クロエは大いに困惑していた。
♢
「姉さま、もっと早く押してよー」
「うん…」
ハーパー伯爵家の屋敷の庭には大きなブランコが据え付けられている。ハーパー家の子どもたちはこのブランコが大好きだ。
クロエもいま、弟にせがまれブランコの背を押しているところだが、完全に上の空だった。カインのことを考えていたためだ。
カインからは五回目のお誘いも来ている。彼は自分を妃にしたいと思っているのだろうか。
「姉さまー」
気に入られていることは光栄だが、クロエは妃になるだなんて考えていなかった。そしていま、妃になりたいかといえば、それは否だ。
カインは素敵な人だとは思うが、自分がその相手としてとてもそんな器でないことは分かっているし恐れ多い。率直に言ってしまえば、自由がなくなるのも嫌だ。
「姉さまってば!」
「はいはい」
力いっぱい弟の背を押すと、弟がきゃあと歓声を上げる。その時、屋敷の門の方に馬車がやってきた音がした。
急な来客だろうかと振り向くと、馬車には華美な装飾が施されているのが見えた。そして王家の紋章。
クロエはぎょっとして固まった。
誰が来たのか一目瞭然だ。どこかに隠れようとしたが、あいにく庭には隠れられる場所はない。弟を押す手を止めてきょろきょろしていると、馬車からきらきらした人物が降りてきた。
予想通り、カインだ。
カインは庭にいるクロエにすぐに気付くと、にっこりと微笑んだ。それから騎士を伴って近付いてくる。
「姉さま、あれ誰?」
「ええと、カイン殿下よ。静かにしていてちょうだい」
よく分かっていない弟はきょとんとしたが、ただならぬ姉の雰囲気に口を噤んだ。
「やあ、クロエ。急に来てごめん。視察で近くに来たものだから。これ、お土産」
「わざわざお立ち寄りくださりありがとうございます」
カインが袋を出したのでクロエが受け取ると、入っていたのは星形を模した髪飾りだった。
「君はクロエの弟君だね? 腕相撲は強いの?」
「強いよ、やる?」
黙ってろと言ったのに、弟がカインに挑発的な態度を示したのでクロエは弟の口を封じた。
「申し訳ありません、殿下。子どもの言うことですのでご容赦ください」
カインはくすくすと笑うと、「今度戦おうね」と弟の頭を撫でる。
「クロエ、次に会うのを楽しみにしてるよ、それをつけてきてくれると嬉しいな。それでは」
クロエの返事を聞く前に、カインはさっさと馬車に戻っていく。本当に少し立ち寄っただけで、カインは去っていった。
カインが急に訪ねてきたことをクロエが両親に告げると、さすがのハーパー伯爵も青くなった。
それまでは他の令嬢と同様にお呼ばれしているだけだろうと思っていたのに、家に寄るなどとなったら、特別扱いされているのは間違いない。
だが、ハーパー伯爵は諦めも早かった。
「気に入られているのならもう仕方がない。光栄なことだし、なによりこちらから断ることはできない。ただ、クロエがどうしても、どうしても嫌なら私から辞退を伝えるが、どうする?」
クロエはため息をついた。父は波風立てることは嫌いだし、長いものには巻かれろタイプだ。
「殿下の真意はまだ分かりませんが、もし気に入って頂けていてお断りするとなった場合でも自分でお伝えするので大丈夫です」
「そうか」
明らかに父が安堵したので、クロエはさらにため息をついた。
♢
五回目に会うとき、クロエがカインから受け取った髪飾りをつけていくと、カインは頬を赤らめてうっとりとそれを見つめた。
しまった。深く考えずつけてきてしまったが、思わせぶりな態度と思わせるかもしれない。クロエは後悔した。
「つけてきてくれてありがとう、クロエ。とても嬉しい」
「…こちらこそ、素敵なものをありがとうございます。あの、殿下」
「うん?」
クロエは思い切って聞くことにした。
「私は選抜試験に残っている状態なのでしょうか?」
思い詰めたようなクロエの雰囲気に、カインは一瞬固まったが、すぐに表情を緩めて頷く。
「そうだね」
「ああ……」
「こんなに会っている令嬢はクロエだけだ。家を訪ねたのもクロエだけだし、贈り物をしたのもクロエだけ」
「ええ…」
「次はなにをしたら絆されてくれるかなと考えている」
その言葉にクロエはどきりとした。恥ずかしくなり、視線を外す。
「……私は家柄もそこまで良いわけではなく、ほかのご令嬢と比べると見劣りすると思います。なぜ私なのか…」
「初めに会ったとき、食べたいものが一つしかないときどうするか、質問したのを覚えている?」
「はい」
「あれがきっかけ」
やっぱり。あの時は失言したと思ったが、しかし彼の反応はあれから極端に変わったのだ。
なにがそんなに嬉しかったのだろうと顔を上げると、カインは口を開いた。
「僕は一年後には間違いなく君主になることが決まっているでしょう」
「はい」
「今の陛下を見ていると、君主でいることはとても大変なことなんだろうとずっと思ってきた。失敗できないプレッシャー、息の抜けない毎日で公私の区別も付けづらい」
今の陛下とは、ベアトリス女王のことだ。クロエも式典などで遠くから見たことはある。女王ではあるが、まだ若い女性だ。
「陛下は政治的なことを考えて結婚しなかった。その分、事務官ととても協力しながら政務をこなしていたけど。この十年、大変だったと思う。でも、僕はきっともっと長い。そして、結婚しないわけにはいかないだろう」
ベアトリス女王は退位に合わせて、カインと同じように結婚相手を探しているという話は噂になっていた。
ベアトリスの前の王はカインの父で、ベアトリスはカインが即位するまでの繋ぎの女王なのだ。
「だから、気の置けない相手と結婚したい。あの質問をして、戦うと返事したのはクロエだけだ。だから結婚したい」
直球で結婚したいと言われ、クロエは息が止まるかと思った。なんと答えれば良いか分からず、口をぱくぱくと動かす。
カインは少し照れたような表情で、手でクロエを制した。
「あ、今は返事しないで。ふられそうだから。でも、真剣に考えてみてくれる?」
動揺で言葉が出せないクロエは、おずおずと首を縦に振るしかなかった。
それからもクロエは何度かカインと会った。具体的に結婚の話をしたことをきっかけに、カインの愛情表現はあからさまになった。
王宮に呼び、人目のある場所で会おうとする。会っているというのにこまめに手紙や贈り物を送ってくる。
同じ夜会に出席することがあれば、必ず声をかけられる。
ただし、ダンスを一番初めに誘うのはやめてほしいとクロエは懇願した。いくらなんでも目立ちすぎる。
カインはその要求を飲み、一番初めに誘うことは避けたものの、二番目には必ずクロエを誘うようになった。クロエの懇願は意味がなかった。
さすがにカインがクロエを気に入っていることに周りも気付き始めた。
そんな中、前王妃である王太后、すなわちカインの母からお茶会への招待状が届いた。
「うわあ…」
おそらく、これは試験だ。
カインは王太后に自分のことを伝えてしまっているということだろう。どのように話しているのか分からないが、息子が仲良くしている令嬢がどんな娘か、確かめようとしているのかもしれない。
まだ自分の気持ちは定まっていない。殿下と結婚したいです!と宣言できるくらいの気持ちなら良いのだが、まだふわふわしている。カインのことは嫌いではないが、妃になるのは気が引けるのだ。
行くしかないが、気が重いな、とクロエはため息をついた。