二匹の狼
夜の帳が完全に落ち、辺りは真っ暗だ。
鬱蒼と茂る森は冷えた空気に満ちて、不気味な動物の鳴き声がする。
僅かに明かりが灯る、小さい村、そこがウィーゼだ。
「いやぁ、それにしてもマジで山奥だな。整備されてるかどうかすら怪しい道しかないじゃないか!」
辺りを見渡し、ソルドが言う。
「おいソルド貴様。もう夜も更けている、迷惑になるだろう。声は落とせ」
「あぁ、すまない」
イシュハに注意されたものの、もう遅い。
「あのぅ、どちらさまでしょうか」
とある家から、カンテラと杖を持って一人の老人が顔を出した。
俺たちは一斉に姿勢を正す。
「夜分遅くにすみません。王都から参りました。この周辺で魔物の被害が発生していると聞いたのですが…」
そう言いながら、俺は腰の剣に手をやった。老人はそちらをちらりと見、それで大方のことは把握したのだろう。杖で村の方を指した。
「もう夜も遅い。大したおもてなしはできませんが、休んでいってくだされ」
そう言って、踵を返してゆっくりと村の中に入って行く。ついてこい、ということなのだろう。互いの顔をちらりと見、俺たちは老人の後を追った。
案内されたのは、先ほど老人が出てきた家だった。
こじんまりとしているが、木製の調度品はどれもしっかりしている。
思わず家の中を見渡していると、アシーナが俺を小突いた。そんなに派手に見てたかなぁ?
「わしの家です。客間もございます、ご自由に使ってください」
その老人が言い、奥の部屋の扉をガラリと開けた。小さめのベッドが四つ、並んでいる。ここが客間だろう。
「わざわざありがとうございます」
ペコリと頭を下げる。老人はひらひらと手を振った。
「いえいえ、こんな小さな村を助けに来ていただけるだけでありがたいのですよ。ところで、魔物についての情報は何か聞いておりますか?」
そういえば、何も聞いていない。場所だけ聞いてきちゃったからなぁ。
首を横に振ると、今度は老人が椅子を指した。座れということだろうか。言われた通りに座ると、老人が口を開いた。
「ここ数週間のことです。なぜか、このあたりにはいないはずの狼の遠吠えが聞こえるんですよ。不思議に思ったのか、村の若いのが何人か、森の中に狼を探しに行ったんです。御覧の通り、山奥の村ですから獣を狩るのは得意なんです。ですが…」
老人がそこで言葉を切った。その深刻そうな表情から、続きは容易に想像できる。
「翌朝、でしたかね? 彼が死んだのが見つかったんです。それがねぇ、獣の仕業と思えないくらい綺麗な死体だったんですわ。喉笛だけをきれいに噛み千切られていまして」
「不意打ち、ということはないんですか?」
アシーナが話を遮り、老人に聞く。老人は、首を左右に振った。
「彼らも、夜の森の危険さは十分にわかっていたはずです。それに、必ず集団で動くように言い含めていました。恐らくないでしょうな」
彼女は、無言で頷いた。納得したのだろう。
「ほかにも不審な点はあるんですわ。まず、狼は群れで動くはずなのですが、遠吠えが一匹分しか聞こえないんです。それに、昼間にいくら森を探したとしても、狼が食べた残骸が少しも残っていないんです。村の若い衆にしても、食べられた形跡が一つも残ってないですし」
…確かに、それは不自然だ。野生の動物が、必要以上に人間を襲うだろうか。
「なるほど、ありがとうございました。大方の状況は把握しました」
俺はそう言って立ち上がった。ちょうど、その瞬間だった。
「ウォーン」
朗々と長く響く、はっきりとした狼の遠吠え。
「あっ、あの声です!」
老人がそう声を上げるより先に、俺たちは家を飛び出していた。
風を切り、俺たちはあっという間に森の奥深くに飛び込んだ。
辺りを見渡し、耳を澄ませる。しかし、声はもう全く聞こえない。
「おい、今の聞いたよな?」
剣を構えながら、ソルドが言う。
「ええ、はっきり聞いたわ! 間違いない、狼の声だったわ」
「ああ。だが、気配が攪拌されているようだ、居場所がつかめない」
イシュハの言葉通りのようだ。魔物の気配を、それも強力な気配を、森全体から感じる。これでは…
次の瞬間、その場の空気が一気に重く沈んだ。間違いない、これは!
反射的に力いっぱい地を蹴って飛びずさる。着地する間もなく、ズンッという地鳴りの音が辺りに響いた。
そして、足が地面に着いたその瞬間。
地面が崩れ落ちた。
土煙が立ち、視界が一気に狭まる。
「「うわぁっ!」」
飛び上がる時間までもなかった。月明かりを頼りに、ギリギリ残っている地面を辿って、がっしりと生えている木の上に飛び乗った。
「あーあ、逃げられちゃったよヒュプノ。どうすんの? あいつら殺さないと、クロト様に怒られちゃう」
「分かっておるわい。じゃが、元はと言えばお主の気配が気取られたのが問題なんじゃろうが」
土煙の向こうから、ゆっくりと姿を現したのは、二匹の狼だった。
月明かりに照らされ、黒っぽい毛皮が艶やかに光る。
青と緑の瞳がキラリと輝き、俺たちをまっすぐ見た。
「あれれ、なんか見覚えあるのがいると思ったら。イシュハ、あんたじゃん。へぇ、懐かしいねぇ」
明るい声が聞こえたと思った次の瞬間。
「ぐぁっ!」
苦し気な叫び声が聞こえ、俺の顔に生温い液体がかかる。
「イシュハ!?」
ソルドの驚いた声が聞こえる。
「イシュハ貴様。クロト様を裏切るなどと、許されると思っているのか!」
「そうだよイシュハ。あんた優秀だったのにねぇ、残念だよ」
氷よりもさらに冷たい声が、彼女に向かって放たれる。
「ぐ…」
呻き声が聞こえる。直後、うっすらと緑色の光が現れた。
「大丈夫か?」
「…大丈夫だ、回復は済ませた」
弱々しいイシュハの声。傷は塞いだようだ。
「情けないなぁ。魔物の身なのに人間共の外法を使うなんてさ」
「貴様らに言われたくはないな、かつての主君殿?」
挑発したようなイシュハの言葉。緑目の狼の瞳孔が、スッと細くなる。
その背後で、刃物がキラリと光った。
紙一重のところで、二匹の狼が飛びずさって逃げる。
軽やかに着地したアシーナに向かい、爪が迫る。頭を勢いよく下げ、地を転がって避ける。
下から狼を睨みつけた彼女を見下ろし、青目の狼がため息をついた。
「人間風情が何をやっておるのじゃ、愚かな。不意打ちしたところで貴様らの勝ち目などないというのに」
「あら、それはどうかしら?」
立ち上がったアシーナが刀を構え、二匹の狼を見下ろす。
「ほぅ、言うではないか」
「ずいぶん自信があるみたいじゃん、面白いね。いいよ、特別にうちらのこと教えたげる」
耳を立て、彼らは俺たちを睨みつけた。
唇がまくれ上がり、白く鋭い牙が露わになる。
「「我らは魔王クロトに忠誠を誓う者、そして魔王を支え、人間どもを殲滅する15本の柱の一角」」
「動土の青狼、ピロテス」
「動土の碧狼、ヒュプノ」
「「貴様らの命、我らが貰い受ける!」」




