溶融の大蛇
地鳴りがした直後から、魔物軍の隊形が大幅に崩れ出した。
俺たちが来た時には、文字通り多勢に無勢状態だった戦況が、今や完全に逆転したのだ。
まだ残党はいるが、精鋭以外の隊で十分に対処できる。
気が付けば、後ろには精鋭の奴らが立っていた。
血にまみれてはいたが、その目はまだ闘志を消していない。
「血路が開いた。行くぞ」
静かに告げ、俺たちは本陣に向かって駆けだそうとした。
突然、頭上から叫び声が響いた。
聞いていられないほどにひび割れ荒れた、怒りの声。
反射的に上を見る。
本陣にいたワイバーンが、上空を旋回していた。
そして、声に釣られるように、どこからか数頭のワイバーンが飛んできて、旋回を始めた。
地上では、キマイラの唸り声が俺たちを取り囲んだ。
それは、味方の戦意をあっという間に削っていった。
無論、俺たちを除いて。
俺の隣に立つハルに、俺はそっと耳打ちした。
「精鋭隊の奴らが、キマイラ1匹につき2人で対処するように指示を出してくれ」
両手にナイフを握りしめ、青ざめた顔のまま、彼はかすかに頷いた。
なだれ込んできた声を確認し、俺は後ろを見る。
彼らはもう既に2人組になり、臨戦態勢をとっていた。
俺が振り向いたのに気づいたのだろう、1人がかすかに笑い、頷いた。
十数個の爛爛と輝く目が、一斉にこちらを睨みつけた。
張り詰めた糸がプツリと切れるように、魔物たちがこちらへ向かってくるのが分かった。
こちらに向けて急降下していたワイバーン1頭の首を掻き切ると、俺は地を強く蹴り、ワイバーンに向かっていった。
走る俺に向け、ワイバーンの腕が突き出された。
ドラゴンより小さいとは言え、人間と比べれば圧倒的に大きく力も強い。触れただけで即死もありうる。
だが、そのせいで攻撃が大振りになる。そこを見切れば…
目を凝らし、ギリギリのところで腕を避ける。そして、その勢いのまま刀を振り下ろす。
鈍い音をたて、腕が地面に落ちた。一瞬遅れて、苦悶の叫び声が上がった。
動きが遅くなったその隙に背中に飛び乗り、首元に左手をかざす。
「分解」
ざざっという音をたて、砂のように崩れていくのをちらっと見る。
これ以上こいつには構っていられない。
背を踏み台に、他のワイバーンがいる方へ飛び上がった。
空気中を錬成し、刀を3本創り出す。
狙いを定め、上空のワイバーンに向けて思いっきり投げた。
気づくのが遅れ、逃げそびれた1頭の首に深く突き刺さった。
抜こうと暴れ、それによって傷口が開いていく。
血が噴き出し、そのワイバーンは地に落ちていった。
他2頭はどこに…
不意に、首筋に悪寒が走った。
咄嗟に錬成、それを踏み台に飛び上がった。
次の瞬間、先刻まで俺の首があった場所で、ワイバーンの牙が嚙み合った。
取り逃がしたことに気が付いたのだろう。荒々しい光を宿した目が、こちらを睨んだ。
翼をひろげ、猛スピードでこちらに飛んでくる。
まずい、上空で奴らに勝ち目があるわけがない。
高速で頭を回し、勝ち筋を探す。
その間にも、ワイバーンは正確に狙いを定めてくる。
こうなったら、一か八か地面に降りて、応戦する!
空を蹴り、地面に向けて勢いをつけて落下した。
一瞬の空白ののち、ワイバーンはそれについてきた。
スピード差は歴然。徐々に距離を詰められ、やがてワイバーンの攻撃範囲に入った。
着地までもう時間がない。着陸姿勢を取りたいが、そんなことをしていたら攻撃をもろに喰らう。
そんなことを考えていた次の瞬間、ぬめぬめと光る腕が突き出された。
思考を止め、ほぼ反射的に刀を構え、腕を斬り落とそうとした刹那。
聞き覚えのあるノイズがした。
目の前で、俺を殺そうとしていたワイバーンが崩れていく。
後ろからは、剣を振るい空を切る、鋭い音が聞こえた。
何が起きたか理解できないまま、俺は地面に降りた。
「あのハイゴブリン、ほぼ全部倒したのニーケだよね? やっぱり強いなあ。やるじゃん」
後ろから、聞き覚えのある声がした。そして、これまた覚えのある気配。
俺は振り返った。
灰色の制服を返り血で染め、左手で刀を握りしめたアシーナが、笑顔で立っていた。
その後ろには、大剣を肩に背負ったソルドと、腕を組んだまま飛んでいるイシュハがいた。
ソルドの後ろからは、ハルが恐る恐る首を出している。
思わず、俺は華やいだ声を上げた。
「アシーナ! ソルドにイシュハ! 来てくれたのか! ハルも無事だったか!」
イシュハが、俺のセリフを鼻で笑った。
「来たからいるに決まっているだろう。ちなみにだが、後ろのキマイラどもはお前の部下が全部倒したぞ。大けがを負った者はいるが、全員生きている」
イシュハの言葉に、ソルドは満面の笑みで頷いた。
「ああ! 俺たちが助太刀するまでもなかったぞ!」
安堵のため息をつき、俺は脱力した。
「そっか、よかった…」
アシーナはそれを見て、優しい笑顔を見せた。
俺も、それに応えるように笑った。
突然、アシーナの表情が険しくなった。
それに気が付いたのだろう、ソルドとイシュハ、ハルも臨戦態勢を取った。
場の緊張が、一瞬にして高まる。
俺はアシーナの隣に立ち、そっと耳打ちした。
「この戦場の本陣には、ワイバーンとキマイラしかいなかった。恐らく、司令官が別のところにいる」
態勢を崩さないまま、彼女はわずかに頷いた。
次の瞬間、猛烈な圧迫感が俺を襲った。
遠くからでもわかる、圧倒的な強さ。
ずいぶん前に感じたあの感覚。
これは…
「ここの司令官は、15柱獣だね」
俺の気持ちを代弁するように、アシーナが呟いた。
毒々しく光る、艶やかな黒い鱗。
圧倒的優勢から生まれる余裕を持った、堂々とした姿。
威嚇するようにもたげられた、広がった鎌首。
とぐろを巻く、規則的で美しい、太く滑らかな胴体。
イシュハが、極度の緊張で張り詰められた声でつぶやいた。
「あいつは、ネメ…」
ネメ、と呼ばれたそのコブラは、優雅な所作で首をかしげた。
「そこにいるのはイシュハかしら? 残念だわ。魔王様を裏切ったという噂は本当だったのね」
そういうと、彼女は俺たちを見下ろすように鎌首をもたげた。
「私は魔王クロトに忠誠を誓う者、そして魔王を支え、人間共を殲滅する15本の柱の一角。溶融の大蛇、ネメ。
さあ、勝負しましょう?」
相手を確実に狩る、鋭く尖った牙が光った。




