願い
草原を出、俺たちは走って家へ戻った。
終始無言だった。
家の扉を開け、俺たちは家へ入った。
エリノア姉さんは俺たちの重い空気を察したようで、イシュハを手招いたほかは何もしなかったし、話しかけてもこなかった。
城への報告なんかは、明後日までに済ませれば問題ない。
だから俺は部屋へこもり、明かりをつけることもないまま、ベッドへ倒れこんだ。
仰向けに寝転がり、何も考えずに天井をぼんやりと眺めた。
突然、脳裏にシルヴァンの死に顔が浮かんだ。
生気を失った目が、恨みがましくこちらを睨んでいるような気がした。
いや、気がする、で済ませられないほどに、鮮烈に感じた。
思わず目を腕で覆い、自分の視界を塞いだ。
だが、その視線とシルヴァンの面影が消えることはなく、俺を苛んだ。
今更ながら、自分が魔物の命を容赦なく奪っている、という実感が俺を襲った。
それに呼応するように、シルヴァンの視線が俺の罪悪感を最高潮まで引き上げた。
不意に、これまで見てきた数多の死が、俺の脳裏に甦った。
同時に、死への恐怖が一気に降りかかった。
声が聞こえる。
死者からの怨恨の声が。
生への執着を感じているからこそ、死者からの呪いのような声と、死への恐怖は耐えきれるようなものではなかった。
今まで感じたことが無いくらいの苦痛。
精神をじわじわと蝕むような呪い。
気が付けば、俺の体は震え、冷え切っていた。
半ば意識がないまま、俺の手は自分の頭を抱え、起き上がり、目は虚ろな視線を下に投げた。
怨恨の声は止まず、脳内で苦痛と共に響きわたる。
その声は、徐々に大きくなっていった。
「…やめろ」
唇は言葉を紡いだ。
言っても無駄なことは痛いほど分かっている。
これは自分の罪悪感から来ている声なのだと。
だが、そうでもしないと自分が狂う。
一度紡ぎだされた言葉に歯止めをかける事はできなかった。
脳内で響く怨恨の声をかき消そうと、俺は嘆願の言葉をひたすら、ただひたすらに紡いだ。
怨恨の声が最高潮に達したとき。脳内が割れそうなほどに大きく響いたとき。
俺の叫び声は、暗い部屋中に反響した。
何分そのままでいたのだろう。
俺が死者の声から抜け出したのは、誰かが扉を叩いた音を聞いた時だった。
今、自分がかなりひどい顔をしているのはなんとなくわかった。見せたくなかったから、俺は俯いて、低い声で「入って」とだけ伝えた。
入ってきたのは、アシーナだった。
彼女は何も言わずに俺の足元へ座り、ただその黒い目で虚空を眺めた。
無言の時間が続いた。
だがそれは、近くに愛する人がいるという事実だけで、少し慰められるような、柔らかい空間へ変わった。
暫く経過した。
乾いていた視界が潤み、揺れた。
ベッドの上に、小さな円形のシミが2つ、作られた。
涙が次から次へと溢れていくのを感じたが、俺は顔を上げた。
怨恨の声は消えたが、それでも自分の罪悪感を拭いきることはできなかった。
心はまだ沈んだままだった。
だが、苦しみを涙として外に出せる今、それは少しだけ和らいだ。
不意にアシーナがくるりと体を回転させ、俺を見た。
そのまま無言で俺の方へより、すとんと俺の隣に座った。
そして、両手を柔らかく伸ばし、俺の頭を抱き寄せた。
俺の額を自分の肩にそっと乗せると、彼女は片手を俺の背中へまわし、優しく包んだ。
もう一方の手は頭に載せられ、そっと俺を撫でた。
怨恨の声を聴いてからずっと強張っていた心が、少しずつ、少しずつほぐれていくのを感じた。
恐怖と苦しみが、薄れて消えていった。
罪悪感だけは薄れることなく、俺の胸に沈んでいった。
俺が少し和らいだことを感じたのだろう。アシーナが、小さく、呟くように話を始めた。
「ねえニーケ。私、シルヴァンを斬った時から、罪悪感がずっと心の中に残ってるの。私は、魔物の命を、友達になれたかもしれない命を、ずっと奪って生きてきたんだな、って。戦場は殺されるか殺すかの二択の世界。私たちはずっと何かを殺してしか生きていけない、っていう意識が、すごく大事だと思う。だから、消しちゃいけない。これを背負って私たちは生きていく。そして、魔王を倒して、今後一切、私たち以外の人にこの苦しみを味わわせないように」
…俺は、言葉を発することができなかった。黙ってその話を聞くしかなかった。
ただただ、俺の心の中にそれを鮮明に留めた。
アシーナは少し躊躇い、そして再び口を開いた。
「だから、っていうのもおかしいんだけどね。もしも、もし仮に、私たちの中の誰かが死んだとしても、魔物を恨むことだけは絶対に嫌なの。絶対に魔物を恨むことだけはしないで。負の連鎖を生むのも確かに怖い。恨みが積もり積もって、私たちだけで背負いきれなくなってしまうから。だけどそれよりも、私は、誰かを憎んでいるあなたを見たくないの」
心の奥から吐き出されたようなその言葉は、俺の中で漂い、そして、心の奥深くにそっと、しかし鮮明に降り立った。
そのあと、彼女は一言も発さなかった。
気が付けば、俺は体重を彼女に預けていた。
疲労と安心が俺の心を満たした。
ゆっくりと眠りがやってきて、俺は坂を下るように深い眠りへ落ちて行った。
薄れゆく視界の中で、彼女が俺の体をそっと下ろし、額に何か柔らかいものを躊躇いがちにつけたのをわずかに感じた。
そして俺は、完全に眠りへ落ちた。




