黙秘契約
俺の隣で、アシーナが息をのんだ音が聞こえた。
ソルドを見れば、彼も驚いた顔でイシュハを見つめていた。
「魔法を知らないの、イシュハ?」
「ああ。そもそも、魔王様が扱う術を見たことがある者、いや、魔王様の御姿を見た者は誰もいないだろう。いつも、魔王様の存在を確認できるのは声のみだ。したがって、四天王だろうと何だろうと、魔王様が具体的にどのようにして私たちを生み出すのかも、敵への対処をどのように行っているのかも、誰も知りえないな。で、だ。魔法というのは何なのだ?」
アシーナが再度問いかけたが、イシュハは全く動じない顔でさらりと言った。
…魔物に魔法という概念はないのか。だが、魔王だけの秘術として使われている可能性だってある。ここは、明らかにならなさそうだな…
俺はイシュハの問いに答えるべく、魔法が使える姉さんを振り返った。
姉さんは俺たちの後ろで、指先に光を灯したり消したりして遊んでいた。
「姉さん、魔法が何なのかイシュハに教えてやってくれないか?」
ちょっと冷たい声で姉さんに言うと、姉さんは慌てた表情で光を消して、イシュハの目の前に進んだ。
咳ばらいを一つすると、姉さんは語りだした。
「魔法っていうのは、無から有を生み出す術。簡単に言うと、なんにもないところから何かを作れる術よ。例えば、この光みたいな感じ。このあたりに、光を生み出せるものは何一つないでしょう?でも、魔法を使えば光を生み出せるのよ。その代わり、有を生み出すためのエネルギーを、魔力という形で私たちから奪っていくの。奪っていくエネルギーの大きさは、生み出すものの大きさや珍しさに比例して変化するわ」
…なるほど、俺も知らなかった。
イシュハを見れば、ちょっと眉を寄せていた。もともとなかった概念だから、理解に時間がかかっているのだろう。
突然、アシーナが大きな声を上げた。
「ちょっと待って!そしたら、15柱獣が使っていたあの術は?モロが作っていた竜巻や風の刃はどうやって作っているの!?」
…そういえばそうだ。
あの竜巻や風の刃は、ただ普通に羽を扇いだだけでできる物ではない。
たしか、ケーリも雷を発生させたりしていた。あれは魔法ではないのか?
イシュハは驚いたように目を開いた。
「まさか!私たちが知るわけがないだろう?!15柱獣に仕える身ではあるが、そんな簡単にあの柱たちが手の内を明かすことはない!手の内を明かしたらやられる、弱肉強食の世界だ。身分が下の者はさらに上の位を狙い、上の位の者を狙っている」
俺たちはあっけにとられ、しばらく声が出なかった。
「…物騒な世界だなぁ、俺魔物の世界に生まれなくてよかったと思うぜ」
ソルドがぼそっと呟いたのを最後に、俺たちは何も言わなかった。
「…で、ニーケ、アシーナちゃん、ソルドくん、あなたたちはどうすればいいと思うかしら?イシュハのこと」
特別牢からいったん出ると、姉さんが早速聞いてきた。
「…んん、俺的には開放しても問題ないと思うな。多分、捕まったのに魔王のところへ戻ったところで信用の回復は難しいだろうし。ほら、捕まったって点で参謀失格的な感じになりそうだと俺は思うし」
「…私もニーケの意見に賛成です。敵方に情報を回すのって結構危険だと思うんです。まあ、嘘情報だったら別ですが…。それに、私たちの側からは大した情報を与えていませんよね?だから、寝返ったとまでは行きませんが、釈放しても問題はないかと」
「うーん、俺もそんな感じです」
姉さんは俺たちの意見を聞くと、うんうんと何回か頷いた。
「そうよねそうよね。じゃあ、釈放しちゃっても大丈夫かエクセレスに聞いてくるわ」
俺たち3人は顔を見合わせると、再び姉さんを見、そして頷いた。
翌朝。俺は姉さんに呼ばれ、再び地下へ向かった。
俺が付いた頃には、アシーナ、ソルド、姉さん、エクセレス、イシュハが揃っていた。
イシュハは、首に重そうな金属製の鎖をつけられていたが、それ以外は完全に自由に動かせるようだ。
俺が姉さんに会釈すると姉さんは頷き、そして2度咳払いをした。
「えーっと。イシュハを釈放することは決まったんだけど、ただ釈放するだけだと多少は危険が生じるでしょう?だから、ニーケにイシュハと『黙秘契約』を結んでほしい、ということで呼んだわ」
そこまで言うと、姉さんは一呼吸置いた。
『黙秘契約』というのは、相手が言えることを制限できるというものだ。この場合、イシュハが魔王に俺たちの情報を渡すのを制限するのだろう。
この契約を結ぶことができるのは、自分よりも弱い者だけだ。弱肉強食とは若干違うが、まあそんな感じだろう。
アシーナとソルドもこの契約のことは知っていたようで、姉さんの言葉にうなずいていた。
姉さんはそれを確認すると、言葉をつづけた。
「この契約を結ぶことにおいて、イシュハに拒否権はないわ。ニーケ、あなたには拒否権はあるのだけど、この契約を拒否する?」
姉さんは俺を見ると、軽く首をかしげて聞いた。
俺は首を横に振った。
姉さんはそれを見て満足げに笑うと、俺とイシュハに右手を伸ばすよう指示した。
それを見ると、姉さんは不思議な節をつけて呪文を唱えだした。
中ごろまで来た頃だろうか、腕が青色に鈍く光り、そしてそこから植物の蔓のようなものが伸びた。
その青く輝く植物は、俺の腕からイシュハに向かって伸び、イシュハの腕に巻き付いた。
次の瞬間、俺はなんと言えばいいのかを直感的に察した。
詠唱に合わせ、俺は言葉を紡いだ。
「イシュハが、魔王クロトに向け、人間について話すことを禁ずる」
言い終えると、青い光は弾けて消えた。
腕を見れば、美しく咲き誇る一輪の青い朝顔が焼き付いていた。




