60 愚の骨頂
俺の振った刀は、ラケの爪をわずかに削り取ったに過ぎなかった。
右手首に鋭く熱い亀裂が入り、血が飛び散った。
それに怯んだ次の瞬間。
腹に猛烈な一撃が入った。
鈍い音が数回鳴り、あばら骨を凄まじい痛みが襲った。
治す暇も反撃する間もなく、攻撃が俺に向かって入ってきた。
立て続けに入る攻撃を避けきることができず、傷ができ、体の末端から骨がどんどん折られていく。
傷から血が溢れ出て、地面を赤黒く染めていく。
俺の視界は、失血によって歪み、徐々に狭まっていった。
ラケの攻撃のスピードが落ちることはなく、俺はやられるようにやられていた。
最後の一撃、とばかりにラケが放った一撃をもろに喰らい、後ろに吹き飛ばされた。
地面に背中を叩きつけられ、もともと存続が危かった意識がさらに朦朧とした。
次の瞬間、俺の首にはラケの爪が当たっていた。
死の宣告のようなその重みすら感じられるかどうか危ういほどに、俺は死に近い場所にいた。
「全くもって愚かと言うほかないな、小僧。なぜ、お前が一人のときに妾たち15柱が襲ってくると思わなかったのだ?なぜ、病み上がりのその体で妾に闘いを吹っ掛けたのだ?逃げればまだ勝機もあっただろうに。まさに愚の骨頂とでも言ったところだ」
聞こえたその声は、俺を嘲笑うような、残酷なものだった。
傷口から血が流れ出る感覚すら、意識とともに闇の向こうへ溶けていくようだった。
俺の体も精神も、もはや死を受け入れているようだ。
わずかに残っていた力を使い、俺は薄く笑った。
「殺すなら、早く殺せ」
ラケの爪が首から離れたのをわずかに感じ、俺は目をそっと閉じた。
突然、夜の闇を切り裂くような恐ろしい叫び声が響いた。
次の瞬間、俺の顔に生温かい液体がかかった。
そして、重い物が倒れるどさっという音。
誰かが駆け寄ってくる足音を最後に、俺の意識はプツリと途切れた。
次に意識が戻った時、見えたのは城の天井だった。
不意に、頭上に影が落ちた。
何かと思ってそちらの方向を見た次の瞬間。
パンッと乾いた音が弾けた。
わずかに遅れて頬に痛みが走った。
視界がようやく戻ったとき目に入ったのは、必死で泣くのをこらえているアシーナの顔だった。
俺は思わず狼狽えた。
「ア、アシーナ…」
次の瞬間、反対側の頬にも音が弾けた。
泣き顔を堪えたまま、彼女は叫んだ。
「ニーケの馬鹿っ!なんで一人でそんな無理すんのっ!病み上がりなのに15柱獣と戦うなんて!」
「いや、だってあの状況で戦わない方が…」
「それが馬鹿だって言ってるの!」
再びの乾いた音。
俺の頬が腫れあがっているだろうな…
「今度こんなことあったら、ほんとに許さないよ!」
彼女はそういうと、うつむいてそっぽを向いた。
その目が、わずかに光っているのを俺は見逃さなかった。
…好きな人に泣かれると弱いなあ、俺は。
俺は少し笑うと、彼女の背中に手を添えた。
「…ごめんね、心配かけたよね…」
俺がそう言うと、彼女は俯いたまま俺の胸に頭をうずめた。
医師がちょっと狼狽えているのを傍目に、俺は彼女をそっと撫でた。
ようやく彼女が落ち着いたころ、周りを眺めるとソルドやエリノア・エレノア姉さん、インドルチェ姉さんがニヤニヤした顔で、リンとエクセレスが完全なる無表情で俺を眺めていた。
…リンが、少し残念そうな顔をしているように見えたのは気のせいだろうか…




