7 本日の雑談② 出雲大社はミステリアス ついでに日本神話について、ちょっとばかり考えた
この“がらくた旅行記”を書く前に再度、出雲大社について調べてみた。そしたら……なんだかね。軽々しく文章にするのは避けるべきなんだろうか、なんて思いも湧いてきちゃったりなんかする。
でもでもー。
ここは「はじめての出雲大社、旅行記でーす」というライトなノリで書けたらいいな。そんな感じで私自身が進めますので、読み手さまも軽い気持ちでお付き合いくださいませ。よろしくね!
なぜに「これエッセイに書いたらダメなんじゃないか」と考えてしまったかと言いますと。
出雲大社の由来ですね、大国主命の『国譲りの儀式』。出雲大社公式ホームベージを初めて見たとき。
「ふーん、なるほどー」
程度しか感じなかったんですけれども。よくよく考えたら「大国さん可哀想すぎない?」と、変わってきました。だって聡明で心やさしい青年が一生懸命に築いた広大な領土を、東方にある国の主に持って行かれちゃうんだもんね。
この心やさしい艱難に耐える青年、意外にも女好きの側面もあって。数千年前に島根を拠点に全国各地、子種をばらまくという所為もなさっていらっしゃるのだ(あはは)。
英雄、色を好むというが、太古の昔からの真実かもしれない。
そんなパーフェクトな国主が造った国家は、天照系の方々はさぞや魅力あふれる楽園だと思っていたことだろう。なので力づくで奪いに来るわけですね。
(まあ東国の王さま……天照大神系の皆さん……が、日本国土を統一した御蔭で現在の我々は支障なく全国の神社仏閣巡りなどを愉しめるわけですが)
古来から領土争いというもの、厳しかったんですねえ。それこそ命がけの戦いで、血の雨が降って当然のことだったろう。
さきほど引き合いに出した出雲大社公式サイトには、このように書かれている。
御鎮座の由来
大国主大神様が国づくりによって築かれた国は、「豊葦原の瑞穂国」と呼ばれ、あらゆるものが豊かに、力強く在る国でした。大神様は国づくりの後、築かれた国を私たち日本民族を遍く照らし治める天照大御神様へとお還し(国土奉還=国譲り)になりました。そこで天照大御神さまは国づくりの大業をおよろこびになり、その誠に感謝なさって、これから後、この世の目に見える世界の政治は私の子孫があたることとし、あなたは目に見えない世界を司り、そこにはたらく「むすび」の御霊力によって人々の幸福を導いて下さい。また、あなたのお住居は「天日隅宮」と申して、私の住居と同じように、柱は高く太い木を用い、板は厚く広くして築きましょう。そして私の第二子の天穂日命をして仕えさせ、末長くお守りさせます。
と申されました。こうして大国主大神様は目に見えない世界を司られ、天照大御神様の御命令によって高天原の諸神がお集まりになり、大国主大神様のために宇迦山の麓に壮大なる宮殿が造営されました。そして大国主大神様は永久にお鎮まりになって人々の幸福のために慈愛をそそいで下さることになり、今に至るまで厚い信仰をお受けになっています。
サクッと読み流してしまいそうになるけど、血で血を洗う抗争の末に(多分に筆者の妄想ありですが)大国さんは自らが築いた国家を手放して、お隠れになったのだろう。さぞや無念だっただろうなあ、と思うのだけれども、どうでしょう。
だって死に物狂いで築いてきたものを「それ、寄越せ」って言われるんだよ。誰が簡単に「あら、どうぞ」なんて言うかね。話し合いで済むものかな、と考えてしまう。そのあたりの実情を調べてみたいんだけど、あまりにも広範囲すぎて手が出せない。
で、ここからがミステリーなんだけど。
天照さんが「肥沃な国土を譲ってくれて、ありがとう! 感謝の気持ちを永遠に表しますね!」という態度が、ちっとも伝わらんと思われる境内の構成(特に拝殿から後方、塀で囲まれた敷地内)であるのだ。これが本当に不思議。
平成の今なお、皇室関係者であろうと本殿に立ち入ることができないというのも解せない。日本国の象徴の存在が立ち入り禁止なのだから、一般人の我々は当然の如く立ち入り禁止である。さみしいねえ。
もしかしたら、出雲大社自身が天照系の皇室を頑なに拒否しているのかもしれない。そう考えると説明がつくような気もする、なんとなくだけど。ほんのちょっとの妥協点として天照系統の人間を、大社内の役職に就けるというか。
神楽殿の注連縄も一般の神社とは違い、逆方向に結ばれている。これも大国さんの怒りを鎮めて尚且つ念が外界に出て行かぬような封印の役割もあるという。
今の世の中、スピリチュアルなことはなかなかに受け入れられにくい。それらいかにも怪しくて、犯罪とまでは行かなくても「人心の弱さに付け込み、騙して金品を巻き上げる」目的な商売があまりにも多いからね、仕方ないよね。
けれども、こんな私でも古代・神代からの皇室がらみの呪いの類いは、どこかしら信じてしまう。例えを上げれば、崇徳上皇の遺志とか凄いじゃない。
「日本国の大魔縁となり、皇を取って民となし、民を皇となさん」
上皇の執念通りに、それ以降は天皇家が国家の長ではいられなくなったという現証ってなによ。日本史の転換期で偶然のように起きた保元の乱かもしれないけれど、近代日本国に向けての自然な流れを呼んだとも考えてしまう。
それが証拠に、時を隔てて明治天皇が即位なされる折に御祈祷したというじゃないですか。七百年前の非科学的な「呪い」に向けて、鎮まってくれと。どうか朝敵にならないようにと。
古代日本の民草ってさあ、島国ということもあって。ものっそい「のんびり」していたところがあったと思うのね。紀元前の秦国が石で下水道管を作っていた時期に、日本にはそんなこと考えついてなかったりしたんだもんね。
現代社会に生活する我々と比べて、電気もガスも水道もない。そんな日々の積み重ねは異様なまでに五感を発達させるのではないだろうか。
国のトップが占術や呪術に詳しくなるのも、うなずける気がする。ましてや亡くなる際に、執念を燃やすような言霊を遺しているのだ。後世に影響を及ぼしても当然だろう。
そんな遺恨を鎮める方法は、神の代から確立していたのだろうね。
「現世は私たちが治めますから、貴方には幽界・冥界の一切をお任せいたします」
そう言わざるを得ないくらい、大国さんが治めていらした地域の民草に与えていた影響というのは大きかったのだろう。日本史に詳しい方が読んだら「なにを今さら」のことかもしれない。すみません、あらためて整理したかったんです。
出雲大社の鳥居をくぐる前に、思っていたことがある。私自身が体感してきた伊勢神宮との違いがあるのかな、あるのならば少しでも嗅ぎ取りたいな、と。
そんな、ちょっぴり野次馬根性で詣でた「初・出雲大社」。まずは天気が良くてなにより、と思った。出雲市駅前は何気に、伊勢市駅と雰囲気が似ているかなって思う。
すこーんと風が抜けていく、広々とした通りの向こうに広がる山並みとか。生まれ育ったところを思い浮かべてしまう。
伊勢市駅は降りて、てくてく歩いたら外宮に行きつくけれど。出雲大社は、そう簡単には行けない。バスで三十分くらい、運賃は片道五百円。
勢溜の鳥居を通って真っ直ぐ歩いて行く。他にも二つの立派な鳥居をくぐって、ようやく拝殿に到着。注連縄が有名ですね。
全体的に、ゆったりした雰囲気。大国さんの、お隠れあそばされる前の「お人柄」って、こんな感じだったのかなー、なんて。
伊勢神宮の森林浴感覚も相当なものだけれども、こちらも負けていなかった(汗笑)。当然かー。
さて拝殿に来る途中、大国さんがひざまずきつつ両手を広げている像がある。視線の先には、波の上に載っている「さきみたま・くしみたま」丸い玉でした。これ壮大すぎて理解不能なんだけど、この丸い金色の宝珠がですね。
「奈良県の三輪山に住みたい」
って言ったんだって。遠すぎるやろー!
はあ? 日本海近くの鳥取の地から奈良県の山奥に、たましいが飛んじゃうわけ? みたいな。いやいや、神さまのお考えは衆生下賤の私には分からなくて当然なのだ。
三輪山かあー。そういえば最近、奈良公園に全然行ってないなあ。などと金の玉の前で、ぼんやり考えてしまう。
そういえば日本神話って面白いよね。鹿だったりウサギだったり、きつねだったり……動物が「神さまの使い」として用いられているのだもの。昔の人が知恵として「自然界と共存して生きてきた」ことの、ひとつかもしれないね。
ちなみに神話の中で、ウサギは「人と人との縁を結ぶ『導きの動物』とされることが多い」とのこと。なるほどーーーー! (個人的にウサギとコアラって目が怖いと思うんだけど、絵画や彫刻にすると可愛くなっちゃうのよね。モフモフって得だわね)
ところで参詣した日はゴールデンウィークを外したせいもあってか、外国人観光客はほとんど見ていない。騒がしくなく、公衆トイレも綺麗だった。とっても、いいことだと思う。やっぱり万国共通のマナーを守って行動できる人たちに、来ていただきたいと切に願うばかり。
結論。
伊勢神宮の、あっけらかんとした明るさも好きだ。出雲大社の、ドンと構えていながら他者を寄せ付けないところも持ち合わせているところもミステリアスで素敵。
どちらも心が落ち着く場所だと感じるなあ。どちらが優っているとか劣っているとか、どちらが好きか嫌いかとか言えないな、私には。
また出雲大社に行くときは秋がいいかなって思う。後方に広がる山が紅く染まって、空気も澄んでいる中で時間を過ごせるなんて想像するだけでワクワクしてくるよね。
今年の御蔭参りは出雲大社でもいいかなあ。なんて、ちょっぴり思っています。