12 オッケー牧場で行こう
いつも年頭に誓うことがある。
「些細な物事に動じない自分になりたい。なりたい、じゃなくて『なる』」
けれど私は凡人中の凡人、っていうかね、凡人ヒエラルキーの中では最下層にいる自分。
いつだって年頭の高尚な誓いは、六十日ばかり経ったころには破られるんであります。それで結局、忸怩たる気持ちで一年中を過ごしてしまう。それがワシのジャスティス! それがどうした文句があるか!
何様だ自分!
しかーし。
今年は新年明けて二日目。
「ああー。あんな風にならなくっちゃなー」
そんな風に思える出来事に遭遇していたのですよね。今日は、そんな出来事を紹介してみたい。
駅前の百貨店が初売りだったので、出かけることに決めていた。良い世の中になったものだ。元旦から営業してくれるスーパーがある。新年二日目から営業してくれる百貨店がある。世間は正月。店員さんたちだって休みたいに違いないのに、年末年始休暇をカレンダー通りに取っている(別名・もぎ取っている、とも言う/汗笑)一般ピープルの我々のために一所懸命に働いてくださるのである。
私は、はじめて勤めた職場が百貨店だっただけに(それでも当時、あの職場は初売りは一月四日だった記憶があるのだけれども)元旦から働いている店員さんを見るにつけ
「ちゃんと代休を取ってくださいね……」
などと頭を下げてしまうのである。ホントだよ、サービス業と接客業は今すぐ「お客様は神様です」とかいう、アホな思想は捨てて欲しいと思っている自分だもん。こっち側に合わせすぎなくたっていいんだよ。あの業種は。
……あ、話が逸れてしまった。
とにかく初売りで、野菜だの餅だの買い込んで。出口扉の前で、正月価格で普段よりも単価が高くなっているレシートを食い入るように見つめていた。
うーん、予算を大幅に超えてしまった。明日からの生活、なにをどうやって出費を抑える工夫をしたら良いものか。給料日は、まだ先だ。買い物メモの通りに買ったはずなのに、どうしたらこんなに予定金額オーバーしてしまうのか。野菜が高いから、そういうことにしておこう。
そんな風に考えこんでいたとき。
ぐうぐう。きゅるる。
胃袋から音が聴こえた。
いやだあ私。ぱんぱんに膨らんだ百貨店のレジ袋を片手に下げて、片手に持ったレシートを見つめながら、空腹を高らかに周囲に誇示してるってこと? ひゃあ恥ずかしい。
逃げるように扉を開けて、外に出たとき。道を挟んで平常営業している喫茶店が目に入った。
おお神よ、ありがとう。
訳わからんつぶやきとともに疲れと空腹に苛まされる仔羊のワタクシ、よろよろと入って行った。
そこは、お客さんでいっぱいだった。きっと皆、考えることは一緒なのだ。初詣や初売りで、ちょっと疲れた体にコーヒーでも入れて帰るか、みたいな。
カウンター席が、一つだけ空いていた。ほんっと新年明けて二日目からの駅前喫茶店、コミコミ状態でしてね。
とりあえず座ったのさ。
右隣には、二十代半ば程の可愛いお姉さん。左側は、競馬新聞を広げた六十代前半くらいの男性。でも、このオッサンは。今にして思えば、最初から上手いこと新聞を広げていた。隣に来る人間が誰であろうと邪魔にならないように、しかも自分はシッカリと活字を追えるように熟練の姿勢で新聞を「ばーっ」と広げていたのだった。
わたしはウェイトレスさんに「ホットコーヒーください」と言い、アップル社製造のスマートフォンを見る(笑)。
ここまでは、まあ。よくある話ですね。
店内は混んでいる。次々に客が入り、次々に客が帰る。そんな状況なので、店側はオーダー順にサクサク捌ききれなかったのだろう。
ちょっとしてから。頬に汗が滲んでいるウェイトレスさんが銀色トレイにホットコーヒーを、ふたつ載せてやってきた。彼女は、わたしの左隣のお嬢さんに
「お待たせいたしました」
と言い、コーヒーカップを置いた。次に、競馬新聞を広げている右隣の男性に
「すみません、お待たせいたしました」
と言い、コーヒーカップを置いた。
すると、その六十代位前半の競馬新聞を広げた男子は。
ごく当たり前のように、ウェイトレスのお姉ちゃんに大声で言ったのだ。
「オッケー牧場!」
一瞬、なにが起こったのかわからなかった。わたしの左にいたお嬢さんが「ウ゛ッ……!」とコーヒーを喉に詰まらせ、笑い出しそうになった。その一秒あと、わたしがグラスの水を吹き出しそうになった。
けど競馬新聞男子は、平然と競馬新聞を広げたままで優雅にコーヒーブレイクを始めている。
素直に「このオッサンすごいな」と思った。
たった一言で周りを和ませてしまうスキル。わたわたしているウェイトレスさんに、さらっと気遣いしていくセンス。
どうよ、この邂逅。新年しょっぱな。ものっそいインパクトじゃない?
今年も半分以上、過ぎてしまったけれども。でも、この言葉は結構な塩梅で「今年の私」を支えてくれた気がする。あともう少し、この精神でやっていこう。心の底から、そう思う。
すんごい前から取り掛かっていた項なのですが、ようやく世間さまに差し出すことができます。




