Moonset
・・・・・1
「おいっ!おいってばっっ。目を開けろよ、起きてくれよっ豊っっ!!」
そこは小さな部屋だった。
玄関を入ってすぐの所に買い物袋を投げ出して、少年はベッドで眠っているはずの少年を揺り動かしていた。
どちらも17、18の平凡な学生のように見える。
「豊っ! ゆたかぁっ」
次第に少年の表情が焦りの色を濃くしていく。ベッドに寝ている少年の反応が全くないのだ。
乱暴に少年の手を取り、脈を確かめると、その少年は弾けるように外に駆けだした。
――約束、したじゃないかっ。嘘つくなよっっ。俺にまで、嘘つくなよっ。
音も無く降り続けている雪が、少年の足跡をできるそばから埋めていった。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
巷ではクリスマス・イヴという異国の祭典にすっかり染まっていた。
多くの人間はといえば、結局騒げる理由があればそれでいいのだから、特に『染まっている』という表現ではないのかもしれないが。
遠くで聞こえているジングル・ベルに朱雀は少しばかりうんざりした顔を向ける。
眼下の薄暗い路地でさえ、ともすればカップルが肩を寄せ合っていく。街外れを行けば誰も上なんて見ていないだろうと高をくくって、飛んで行こうなんて思ったのが間違いの元だった。
こんなんじゃいつ見つかるか……
小さく溜息を吐いて、朱雀は暫く歩いて行くことを決心した。
明かりのできるだけ少ない公園、人に見られない場所を選んで、朱雀は降りしきる雪に混じって静かに降り立った。
刹那。
「…………サ……ンタ……?」
呟くような、声。
朱雀はぎょっとして振り返る。
雪まみれの少年が、荒く肩で息をしながら呆然とそこに立ち尽くしていた。
「……悪魔? 夢、見てるのか? じゃぁ、豊のことも、夢?」
無意識のうちに少年は朱雀の方に足を進めていた。
空から、黒い翼を広げて降りてきた赤い服の男――
少年にとっては願っても無い偶然だったし、朱雀にとっては二つとない失態だった。
「ああ、夢だ夢。そう思ってくれるなら都合がいい。そうしてくれ――」
思いっきり苦虫を噛み潰したような表情で、足早に朱雀は立ち去ろうとするのだが、背中に断固たる重みを感じてセリフが途切れる。
少年は、先程翼だと思ったかなり大きめのショールを抱えるように掴んでいた。
「何でもいいっ。助けてくれ。豊を、約束を、守らせて――」
「冗、談じゃないっ」
朱雀は少年を振りほどこうともがいてみるのだが、少年はどうしても手を離そうとしなかった。
「俺は、急いでるんだっ」
「最後なんだよっっ! 最後、なんだ……」
「あんた、マジで俺をサンタクロースだと思ってんのか!?」
少年の表情が一瞬強張り、同時に腕の力も抜けていく。
なんなんだ。
言葉にしなくても、朱雀の顔がそう言っていた。
「じゃあな」
今度こそ、とばかり朱雀は鮮やかに踵を返した。
「……ない……信じちゃいない……信じたことなんてないっ。だけど! このままじゃっ、豊が死んじまうんだ! サンタっ」
「病院にでも連れてけ」
振り返りもせず、朱雀は冷たく言い放つ。
「できないから言ってんだよっっ!!」
歩みを止めると、朱雀は額を押さえながら深く深く息を吐きだした。
・・・・・2
初めて聡が豊に会ったのは丁度一年前のクリスマスだった。
退屈で退屈で死にそうな、そんな時に豊は聡の前に現れたのだ。人混みの交差点、何を慌てているのか真正面からまともに突っ込んできた少年、それが豊だった。
ぴりぴりと張りつめた瞳をして謝罪の言葉もそこそこに、背後を一瞥して再び駆け出そうとする。
直感で追われてると理解した。同時に好奇心が動き出して、気が付くと聡は豊を連れてビルとビルとの隙間を縫うように一緒に逃げ回っていた。
途中何度か豊の『普通じゃない力』を見たが、それはそれでその時には都合のいいことだったから、気にすることも無かった。
要は退屈じゃなくなれば良かったのだ。
大人たちを見事に撒いて、豊を自分の部屋へ連れ込んだその瞬間から『退屈』という言葉は聡に無縁のものとなった。
なった、けれど……
「たーーーしかにね。こりゃ、だめだね。もう時間の問題だな」
豊の姿を一目見るなり、朱雀は遠慮なく言い放った。
気遣いとか、配慮とか、そんなものは一切ない。
「だからっ、頼んでんだろ!」
聡は聡でイライラしながら言葉をぶつける。
「あのねぇ」
思いっきり眉を顰めて、朱雀は聡に詰め寄った。
「よーーっく聞けよ。人間には寿命ってもんがある訳。それをどうこうしようなんてぇことはご法度なの。いちいち助けてたんじゃキリが無くなるじゃないかっ。それにっ、俺は男には奉仕しないことにしてるんだ」
むっとして聡は朱雀を睨みつける。
「男と女を差別するサンタなんてありかよっ」
「だから、サンタじゃねーって」
「できないんだろっ」
一瞬、朱雀の表情が固まった。
「理屈なんか捏ねてねーで、できないならそう言えばいいじゃないかっ。そうだよ、サンタなんかいる訳ないんだよっ。どうかしてるよっ。解ってんだよ!!」
聡の握り締めた拳が小さく震えていた。
何をしているんだろう? 見知らぬ他人を豊に会わせて、どうしようとしてるんだろう? 今まで他の誰かが俺達に何かしてくれたことなんてないというのに。
「豊と……二人で飲み明かしたかったんだ……」
夢を見ることさえ出来なかった豊に、ただ一度の、一瞬の幸せを味わわせてやりたかった。それだけ。それだけだったのに……
「なのに、奴等ときたらっ! 豊をいいだけ実験台にしやがって。豊が何をしたって言うんだ! 何で豊が死ななきゃいけないんだっ。寿命だって? 違うさ。あんな奴等に豊の寿命を決められてたまるもんか!!」
そこまで黙って聡を見ていた朱雀は、聡とは対照的に静かに口を開いた。
「じゃ、地獄の閻魔帳でも見てくるか?」
「――あ?」
相変わらず仏頂面をしていたが、朱雀は豊に向き直ると、羽織っていた黒いショールをベッドの上全体が隠れるように被せた。
「もっとも、アレは閻魔様でも開くのを禁じられている代物なんだがな」
「な、に?」
「お前、ほんっとにバカだな」
一瞬、朱雀の言葉にムッとした聡だったが、それでも朱雀の言葉からトゲが取れているのは気付いていた。
「誰も見れないもんなら、中身だってわかんねーってことだよ」
「……サンタ」
「ただし、今日の月が沈むまで、だ。俺だって『大事な』約束があるんだからな」
そんなセリフと同時に朱雀はショールを剥ぐ。瞬間、部屋の中がそれと同じ闇に染まり、何も見えなくなった。
・・・・・3
「……し。さと、し」
ふっと我に返ると、目の前にシャンパングラスを二つ持った豊がヘンな顔をして立っていた。
「何、ぼーーっと突っ立ってんの?」
「ゆたっ……お前、大丈……生きてる、よなっ」
豊はキョトン、と色の薄い瞳を見開いた。
「なーに言ってんだよっ。聡、変だぞ。飲む前から酔ってんの?」
ケタケタと、いかにも楽しそうに豊は笑う。
聡は力が抜けたかのようにその場に座り込むと、深く溜息を吐いた。
「ほらほら、聡。グラス持って、シャンパン開けるよ」
言うと、豊はテーブルの上の二本のシャンパンに両眼を据える。
思わず聡は息を止めて、豊から受け取ったグラスを握り締めた。
きりきりと、プラスチックの栓が軋む。
派手な音を立てて二つの栓が飛び、同時に噴水のように噴きあがったシャンパンが、グラスめがけて飛んでくる。
「メリー、クリスマスっ!」
チン、とグラスが鳴った。
「派手な演出だな、まったく」
「いーじゃないか。特別な日なんだから」
「あんまり能力使ってっと、またあいつらに見つかるぞ」
「ばーか。クリスマスに、誰が俺たちのこと見てるんだよ」
笑顔がはじける。
「聡は心配し過ぎだって。今日は誰にも邪魔させないで、二人で楽しもうって言ったのお前だろっ」
「おうよっ。俺たちの愛は誰にも邪魔できない」
「げっ。俺、その気ないよ? 女の子プリーズ!」
くだらないこと言って、騒いで騒いで。ふわふわ酔っぱらって、二人は床に倒れ込んだ。
フローリングがひやりとしていて、火照った頬に気持ち良かった。
「……聡」
「あん?」
「ありがとう」
豊はとても満足そうに微笑んでいた。
聡はその笑顔を見て、何だか切なくなってしまう。
「や、約束だからな」
「うん。約束を守らせてくれて、ありがとう」
ぞくりと、聡の背中を嫌な感覚が走り抜けた。
なんて言った? あのサンタは。
――今日の月が、沈むまで。
勢いよく起き上がったせいで頭がくらくらして、ふわふわした体はバランスが取りにくい。
無様によろよろと蛇行しながら、聡は窓にとりついた。
雪が、降っている。
月なんて見えやしない。
かちりと誰かが窓の鍵を開けた。
いつの間にか豊が隣に立っていて、からからと窓を開けている。
「ゆた……」
豊は聡の方を見て微笑むと、その桟に両手を掛けた。
「ちょっと、酔い覚ましに散歩してくる」
聡の部屋はアパートの2階で、豊は時々こうやって窓から出入りしていた。
あいつらを撒く為もあったし、玄関を回り込むのが面倒というのもあった。
「……俺も」
豊はゆっくりと首を振る。
「聡は連れて行けない。帰ってきた時に誰が窓を開けてくれるのさ」
「開けていけばいい」
「寒い部屋には帰りたくないだろ。聡の部屋は暖かいままにしてよ」
にっこりと笑って、豊はいつものようにひょいと窓枠を蹴りつけて空に踏み出した。
「豊!」
階段を登るようにしながら、豊は雪の中を踊るようにくるりと回って、手を伸ばした聡に大きく手を振った。
いつもはゆっくりと地面に降りていくのに、今日はどんどん登って行く。
降りしきる雪に紛れて、誰も彼を見つけられないに違いない。
豊、ずるいじゃないかっ。空の上では、俺は追いかけて行けない!
窓から身を乗り出した聡の頬に降る雪がふたつ、みっつと当たって溶ける。
やがて水滴は自らの重さに耐えきれなくなると、聡の頬を伝って落ちた。
聡のベッドにはもう誰の温もりも残っていない。
残ったのは空の瓶とグラスが2つ。耳の奥に確かに幸せそうに笑っていた豊の声だけだった。
・・・・・4
余計な時間を食った。
朱雀は人混みの間をなんとかすり抜けながら走っていた。時々好奇の視線や鋭い視線が飛んでくるが、そんなことは知ったこっちゃない。
これで何回目だ?
どうして約束がある時に限って余計な面倒が転がり込んでくるんだ。
舌打ちをしながら目的地に向かってひたすら走る。
街中の、時計塔の下のライトアップされた噴水。そこが今回の待ち合わせ場所だった。
玄武はまだいい。この間、珍しく奴も遅れて来たからそんなに強くは言われまい。
問題は白虎と青龍――
「朱雀! おっそーーーいっ!!」
鬼の形相の白虎が朱雀の姿を見つけて叫んだ。
赤のミニワンピースにもこもこしたショールを肩にかけている。頭には白いふさふさした丸みを帯びた耳がぴんと立っていた。
「馬鹿! なんで耳!」
「馬鹿はアンタ! 耳なんてコスプレの一部と認識されるのよ。人気あるんだから」
今回の指定はサンタっぽい衣装じゃなかったか? 耳はどこにサンタっぽさがあるというのか、朱雀にはさっぱり解らなかった。
だけど、白虎は今回の主催者であり、大遅刻をしでかした朱雀にはそれを突っ込む権利など無い。
「珍しく4人揃える日だったのに、どうしてアンタはいつも……!!」
「じゃあ、もっと来やすい場所にしてくれよ! 誰だ! こんな人混みのど真ん中を待ち合わせに選んだのは!」
「ヒトのクリスマスを満喫しようゼ! って言ったのはアンタじゃない」
白虎は朱雀の胸を指で突いた。玄武は苦笑いしてて、青龍は憮然としながら頷いている。
さらに追い詰められていく朱雀の胸ぐらを掴んで、白虎は彼を引き摺る様に歩き出した。
「――ともかく、予約した店はダメになったから、入れるところを探すのよ。幸いこの時間なら席はあるんじゃない? 店がやってればだけど! それからゆっっっくり遅刻した理由を聞かせてもらうから!」
白虎の瞳が赤く光を帯びている。
流石に朱雀も背筋が寒くなった。怒らせてはいけない奴の1人だ。
視線で玄武に救けを求めたが、玄武は肩を小さく竦ませるだけだった。
閻魔帳に手を加えたって言ったらさらに怒る未来しか見えない。
あぁ、誰か。サンタクロースっ。俺も、助けてくれ!
過去作救済四神シリーズ3作目。
オチまで書いてなかったのを加筆したものです。前二作が女の子の恋愛相談だったので男の子同士のいちゃいちゃが書きたかったんだと思う(^^;BLには至らず。