我が家に嫁(カッパ)がキター
カッパッパー♪ パラッパラッパッパ♪
ルンパッパー♪ パラッパラッパッパ♪
そんな気分で書きました。
恋をしたら世界が変わる。
そんな言葉はテレビや漫画、小説のなかだけにある言葉で現実にはそんなものなんてありもしないものだと思っていた。そもそも恋をする相手がいないのだから、当たり前と言えば当たり前である。
長い夏休みも二週間目。八月になって遅い梅雨が明けた頃、僕は暇をもて余していた。やることがないと言えばないわけでもない。夏休みの課題も半分ほど残っている。とはいえ、まだ夏休みもたっぷりあるのに焦る必要もない。
友達と遊ぶにしても、それぞれ都合が合えば遊ぶけれど、僕以外は何かと忙しいらしく、都合が合わないことが多かった。
今日も何人かの暇そうなやつに連絡をしてみたけれど、都合が着いたのは誰一人いなかった。
「……暇潰しに古本屋でも行こかな」
家から十五分ほどの大きな古本屋に辿り着く。前に来たときに立ち読みしていた漫画の続きを読むことにした。
「この間……何巻まで読んだっけ?」
読んだかどうか表紙を確認していく。何冊か手にして表紙を見たことがない気がしてページを捲る。しかし、読んだ記憶が既にあって、これじゃないと間違いに気づく。
お目当ての続きを手にして、何冊か読んだところで肩の凝りを感じた。立ち読みして肩凝りになるってのも我ながらどうかと思う。不健康な生活だ。本を棚に戻して、別の場所に移動しようと思案する。店から外に出た途端、容赦なく照りつける日差しと地面からの放射熱に直ぐ様後悔する。
「あちー」
こうも暑いと思考能力も低下する。少しでも涼を求めてなるべく日陰を移動。行く当てもなく、小銭程度しかお金もなく、ただぶらつく。暑さに耐える修行でもしてるような気分になる。
しばらくして河川敷に辿り着く。
いつもなら河川敷には山からの風と海からの風がよく流れている。涼をとるには良い場所のはずだった。しかし、今日に限って無風。少し離れた場所で地面からの熱気がゆらゆらと上がっている。ここで川でも見ながら涼むという僕の思惑とおりになってくれなかった。
行きはよいよい、帰りはなんとやら。この暑さのなか同じ行程を戻るのも気が滅入る。
どうせなら、橋を渡ったところにあるコンビニに行くことにしよう。そろそろ水分をとらないと熱中症になっても困る。
橋を渡ったところで、河川敷を見てみると、河川敷に人が大の字で倒れていた。緑色のワンピースに身を包んだ少女がピクリとも動かずに天を見上げている。
「あんなところでよく寝れるなーーって、ヤバくね!?」
もしも、熱中症で倒れたのなら、救急車呼ばないと。
その前に死んでないだろうな。
いくら暇だからって、死体発見イベントなんかいらない。
河川敷へと下りて、横たわる少女に恐々と近づく。
目は見開いているけれど、意識があるのかも分からない。
「あの……大丈夫ですか?」
返事がない。
少年はまじでヤバいと心臓が波打つのを感じる。
更に近づくと、少女の焦点が合っていない。
もしかして、本当に死んでる?
さーっと、血の気が引くのを感じた。
「大丈夫ですか! 意識はありますか!?」
横たわる少女は呼び掛けに無反応。
呼吸するときにあるはずの胸の起伏もない。
「け、警察。いや、救急車か」
携帯を取りだし操作しようとするが、手が震える。
突然、足首を掴まれる感触。
大の字に倒れていた少女の右手が力なく僕の足首を掴んでいた。
「うわっ!? い、生きてる?」
微かに口が動いている。
「生きてるの!? どうしたの。何が言いたいの?」
彼女の口元に耳を近づけ、聞き耳を立てる。
「み、……み……ず」
「水? 水が欲しいの? ちょっと待ってて」
少年は駆け出して、立ち寄る予定だったコンビニでミネラルウォーターを購入し少女の元へ舞い戻る。
「ほら、水買って来たよ。起きられる?」
衰弱しきっているのか。返事がない。
少女の身体を抱き起こし、少女の口へミネラルウォーターを添えてみるが口の端からこぼれ落ちる。
どうしよう。これじゃあ、せっかく買ってきたのに飲めない。
せめて、身体の熱なり、頭の熱なり冷ましたほうがいいかもしれない。ミネラルウォーターを手に取り、少女の頭と手にかける。
少女の手がミネラルウォーターのペットボトルへと伸びた。ペットボトルを掴むと同時に自分の頭へと振りかける。少女を支えていたので、僕まで濡れてしまう。
「もう、大丈夫です」
少女ははっきりとした口調で告げる。
僕の支えから身を離すと、立ち上がる。
「どうも、ありがとうございました。油断してしまい干上がってしまって」
干上がるなんて、そんな言い方も今時使わないだろう。
「あなたは私の命の恩人です。あと少しで死ぬところでした」
「いや、そこまで大袈裟に言わなくても」
「妖怪のくせに人間に助けてもらうなんて光栄です」
今、少女がおかしいことを口走った。
妖怪だって? 意味が分からない。
「今のって、まるで君が妖怪だって聞こえるんだけど?」
「だって、私は河童ですので」
「……河童?」
確かに、少女の髪型はオカッパ頭だけれど、頭に皿はない。着ている服は河童の皮膚の色と言ってもおかしくない緑色のワンピースだけれど、地肌は透き通るような白さだし、背中に甲羅もない。顔に嘴があるわけでもなく、どちらかと言えば可愛い部類に入る顔立ちだ。
「どこが?」
少女に聞くと、少女はその場でくるりと一回転する。
ふわりと緑のワンピースのスカート部分が舞う。
「ほら」
どこをどう見ても河童に見えない。
僕よりほんの少し背が低い普通の女の子だ。
「見えないから」
「嘘じゃないですよ?」
僕は携帯で検索して、河童のイメージに近いイラストを探して少女に見せる。
「これが河童だよ?」
「私の御先祖様ですね。この世界で暮らしやすいように我々も独自の進化をしたんです。妖怪界で暮らす妖怪はほとんどが人間と変わりありませんよ。性質は残っていますけど。私の場合、皿の代わりに髪の水分が抜けすぎると先ほどの状態になってしまうのです。キューティクルが肝要なんです」
可哀想に顔は可愛いのに電波飛ばしてる。
皿の代わりが髪の水分だって? 独自の進化したにしても、かけ離れ過ぎだろう。
きっと、この少女は暑さで頭がやられてしまったのだろう。
「家は?」
「遠いです。おばあちゃんのところに来てまして」
「……ちょっと待ってて」
もう一度コンビニに向かいミネラルウォーターを追加購入。
少女のところへ戻ってきて買ってきたミネラルウォーターを手渡す。
「一応、持っておきなよ。また熱で倒れたら危ないから。じゃあね」
「ちょっと待って下さい。命の恩人にお礼もせずに、その上こんなのまで」
「お礼なんてさっきありがとうって聞いたからそれで十分だよ」
「で、でも」
「いいから。帰り道は気をつけてね」
河川敷に少女を残し家路へ向かう。
☆
その日の真夜中に僕の家に来客と言っていいのかわからないけれど客が訪れた。
眠っていた僕はグラグラと身体を揺らされ起こされた。
起こした張本人は昼間に会ったあの少女だ。
「……今何時? 何で僕んちにキミがいるの?」
「恩返しに来ました。どうか私を傍に置くことを許してください」
少女はその場に正座すると、深々と頭を下げていった。
「……恩返し?」
「河童一族は命の恩人に恩返ししなければならない掟があるんです」
「そんなの知らないよ。そんな掟なんか今時守らなくていいんじゃないの?」
その返事に少女は思いつめた顔をした。
立ち上がると、彼女は僕に背中を見せて、服を脱ぎ始めた。
「ちょっと何してんの!?」
「……私の背中を見てください」
背中を向けたまま下着姿で立ち尽くす少女は言った。
彼女の言うとおり、背中を見てみると、ちょうど肩甲骨の間の背骨のところに薄くて丸いものが貼り付いている。
「まだ薄くて小さいですが正真正銘の甲羅です。もし掟を破り続けた場合、この甲羅が成長して私は一生背負わなくてはなりません。最終的にはあなたが見せてくれたご先祖様と同じような姿になるでしょう」
彼女の話だと入浴しているときに甲羅の存在に気が付いたようで、親に相談したらしい。
すると、親は血相を変えて親戚に電話しまくったそうだ。
その結果というのが――――
☆
一族の緊急招集。少女の親戚一同が集まり緊急会議が行われた。
少女は周りの慌ただしさについていけない。ただ、自分の状態が碌でもないことだけは感じていた。一族の話し合いの結果、一族の長でもある大婆様に呼び出された。
「――ナツメ。本来であれば人間と関わりを持つものではないが、助けてもらった人間に恩返しするんじゃ。ただし、河童だということをばれてはいけないぞえ」
「あの、大婆様。……私、自分が河童だってこと、もう相手に言っちゃったんですけど?」
少女――ナツメの言葉を聞いた大婆様は軽くひきつけを起こし、胸を押さえる。
「…………ナツメや。お主はお前を助けた人間に尽くさねばならなくなった。お前のその背中にあるのは紛れもなく甲羅じゃ。このまま恩義に報いることなく過ごせばその甲羅は大きくなり続ける。いずれは先祖返りじゃ……それをなくす方法は正体をばれずに恩義に報いることだったのじゃが、もうそれだけでは無理になってしまった」
「大婆様。私、助けてくれた人の名前も住んでるところも知りません。どうすればいいんですか?」
「お主を助けた少年の命を救うか……添い遂げるかじゃ。男の所在なら婆の知り合いに頼んで調べがついておる。お主の命を救った男の名前は――天上士郎と言う名前じゃ」
「天上……士郎……」
添い遂げると聞いてナツメの頭に助けてくれた少年の顔が浮かぶ。
少年はナツメ好みの顔をしていた。ちょっと目つきはきつかったけれど、口調は優しかった。
身長はあまり変わらない感じがしたけれど、まだまだ伸びしろはあるはず。
なにしろ、人助けした心優しい少年だったことはすでにナツメの中に事実として存在する。
ナツメは一大決心をして、声を高らかに宣言する。
「――大婆様! 私、あの方の元へお嫁に行きます!」
☆
「――というわけなんです。お嫁さんにしてください」
この少女は何を言ってるんだろうと士郎は頭を悩ませる。
真夜中にいきなり家に来て、自分が河童の姿になるのが嫌だから嫁に来たと。
「とりあえず、服着てくれる?」
視線を逸らしたまま下着姿のままのナツメに言って、服を着てもらう。
ナツメも素直に士郎の言葉に従った。
「……それで僕の嫁になりに来たと?」
「はい、士郎様。未熟者ではありますがよろしくお願いします」
「……家の人は?」
「涙ながらに見送ってくれました」
「……どうやって家に入ったの?」
「失礼ながら、そこの窓が開いてましたのでそこから」
「……ここ二階なんだけど、どうやって?」
「タクシーですが?」
「タクシー二階まで来れないし」
「一反木綿タクシーですが?」
ああ、なるほどね。一反木綿なら空も飛べる。
それなら二階だろうが関係ない。
「ちょっと待って? 一反木綿タクシーって何?」
ナツメは立ち上がると士郎の部屋のカーテンを開けた。
ふわふわと浮かぶ手の生えた細長い布がいる。
その布は車掌のような帽子を被って、中の様子を窺っていた。
「この方ですが?」
「お客さん。料金まだもらってないんだけど? 早くしてよ。次のお客さんの予約もあるんだよ」
「ああ、すいません。えと、おいくらですか?」
「一五〇〇円」
じゃあ、これでおねがいします、とナツメは鞄から財布を取り出し千円札を二枚手渡す。
「毎度あり。お釣り五〇〇円ね。また呼んでくれよ。安くしとくぜ?」
そう言って一反木綿タクシーはおつりをナツメに手渡すと、ぴゅーっと空を駆けていった。
今のやり取りを見て士郎は固まっていた。
「…………今の何?」
「一反木綿タクシーですが?」
落ちつけ、落ちつけと士郎は自分に言い聞かせる。
今のが本物ならこの子が言っていることがすべて真実になる。
これは夢だ。夢なんだと言い聞かせていた。
布団に潜りこむ士郎。
そんな士郎にナツメが縋りつく。
「現実逃避しないでください!」
「じゃ、じゃあ、君が僕の嫁になりに来たってのも本当なのかよ!」
「……そうです。私、河童一族の河野ナツメと申します。末永くよろしくお願いします。士郎様」
ナツメは士郎に満面の笑みを浮かべて告げた。
☆
「――!?」
がばっと起き上がった士郎は身の回りを確認する。
自分の部屋。小学生の頃から使っている机と高校に入ってから買ってもらったまだ新しい本棚。
床にはアジアンチックなカーペット。昨日の寝る前と変わらない自分の部屋。
河野ナツメと名乗った自称河童少女の姿もない。
「本当に夢だったか」
跳び起きた士郎はもう一度寝る気にはなれず、飲み物でも飲もうと部屋を出て一階のキッチンへ向かう。
母親がキッチンで朝食を準備しているようだ。
「それでね。士郎は朝はご飯じゃなきゃ駄目って言うのよ~」
「へー、そうなんですか。お母様の手料理を教わって、士郎様の胃袋を掴みたいです」
「任せて。あの子の好き嫌いもちゃんと教えてあげるから」
士郎の目が点になる。キッチンで自分の母親とあの河野ナツメが仲良く並んで料理を作っていたからだ。
「か、母さん?」
「あら、士郎。おはよう。もう起きてきたの?」
「士郎様、おはようございます。夕べはよくお眠りになられていましたね」
「ちょ、ちょっと待って。母さんちょっとこっち来て」
士郎は母親をキッチンから通路へ連れ出す。
「何、どうしたの?」
「母さん。何であの子と朝食なんか作ってんの?」
「だって、あの子、ナツメちゃんは士郎の嫁になるんでしょ? まあ、最初は驚いたけど」
母親の千里が起きてから部屋を出たところを、通路で土下座したナツメが迎えたらしい。
「あなた誰?」
「私、河野ナツメと申します。士郎様の嫁になりに来ました!」
ナツメはそのまま、この家に置いてくださいと懇願してきたのである。
ナツメは士郎に助けられたことで士郎に惚れたのだと千里に説明した。
「まあ、話聞いて親御さんに電話で聞いたら、すっごい腰が低い感じのご両親で娘のことよろしくお願いしますって言われちゃってさ。とりあえず夏休みの間、ナツメちゃんはうちで預かることにしたから」
自分の寝ている間に母親が篭絡されていた。
「父さんは?」
「ああ、お父さん? とっくに釣りに行ったわよ。お父さんもこの件は了解してるから。あんたもすみに置けないわね~。あんな可愛い子どこで見つけたの?」
味方はすでにいない。士郎は次々と外堀が埋められているのを感じた。
キッチンからナツメが顔を覗かせる。
「あの、お母様。お味噌汁の味付けを見てほしいんですけど?」
「すぐに行くわ。あんたもさっさと顔洗ってきな」
洗顔を済ませ、リビングに行くと食卓に料理が並び始めていた。
士郎の姿を見たナツメが、士郎がいつも座る椅子を引いて呼びかける。
「士郎様。もう準備ができますのでこちらでお待ちください」
「ナツメちゃん。士郎にそんな言い方しなくてもいいわよ?」
士郎は半ば諦め気味にナツメの言葉に従う。
「これくらいですか?」
「そうそう、士郎のご飯の量はそれぐらい。晩御飯はもうちょっと多めにね」
「はい。分かりました」
士郎の後ろで、千里からナツメがレクチャーを受けている。
自分の親の適当さに頭が痛くなる士郎だった。
☆
士郎は朝食が終わったあと、自分の部屋にナツメを呼んだ。
「とりあえず、それぞれ自己紹介しよう」
そう、士郎はナツメに提案した。
「僕は天上士郎。天羽高校の二年生で一七歳。誕生日はこどもの日の五月五日。帰宅部で趣味はこれといってないんだけど、漫画を読むのは好きかな。成績は真ん中からちょっと下くらい。ちなみに彼女いない歴一七年と三カ月だ」
士郎はさらっと言い切ると、ナツメに手を差し伸ばして今度はそちらがどうぞと促す。
「私、河野ナツメです。士郎様と同じ高校二年生の一七歳です。……通ってるのは妖怪の学校で人数少ないですけど。誕生日は七月七日の七夕です。私も帰宅部で趣味は散歩です。成績は真ん中くらいで。彼氏はいたことありません」
「そこだよ」
士郎はナツメに向かって手の平を向け話を止める。
「僕も恋愛なんてしたことないし、君も恋愛もせずに僕の嫁に来るってのはおかしいと思わない?」
「私、士郎様のこと好きですよ?」
「僕のこと全然知らないのに? それに昨日の夜の話だと、君は呪いみたいな状態だよね」
「……そうですね」
「その呪いみたいなのを食い止めるっていうことには協力していいけど、嫁に来るって言うのは考えなおしてもいいんじゃないかな?」
「……士郎様は私みたいなの好みじゃないですか? そりゃあ、美人とはいえないですけど」
少しばかりむすっとした顔のナツメに士郎は返答に困った。
正直なところ、ナツメの顔は士郎の好みと一致しているから余計に困るのである。
ただ、士郎は外見よりも内面重視であり、ナツメのことを知らないままでいるのは嫌だった。
士郎はいわば恋に恋する男子であり、それなりの理想の恋というものを持っている。
ナツメとの出会いは確かにインパクトがあるものであり、結末として結婚が待っているとなるとハッピーエンドであって、士郎の望むスタイルである。ただし、それに辿り着くまでの紆余曲折があって、物語や思い出があって、お互いの気持ちが向き合って初めて成り立つものであり、その経緯が抜けた状態では士郎は納得したくなかった。
「んと。うちの親も了解したことだし、とりあえず夏休みの間に君のことを教えてよ。君も僕という人間を知ってよ。嫌になったら帰ればいいんだし。その呪いみたいなのも解く方法が他にあるかもしれないだろ?」
「……じゃあ、士郎様は私と一緒にいていいんですか?」
「だから、そう言ってるでしょ? とりあえず、どうすればその呪いの進捗を遅らせることができるか教えてほしい」
そう言った途端、ナツメの顔が赤く染まる。
もじもじと照れた仕草をするナツメに、士郎は嫌な予感を覚える。
「……えと、その。非常に言いにくいのですが……私が自分で河童だと言わなければこういうことにならなかったのですが……正体をばらしていなければ恩返しするだけで良かったんです。正体がばれたときは命を救うか添い遂げるしか手がないらしくて……、進行を止めるには相手からの愛情を貰えると止まるらしいです」
「愛情って分かりにくくない? 見えないでしょ」
「……行為でも大丈夫です」
「行為?」
「……日が沈んで次に登るまでの間にキスとかHとか……です。粘膜の接触であればいいそうなので」
何だその押しつけがましい呪いを止める方法は。
進行を止めるためには僕とナツメが最低でも一日に一回キスしなければならないってことじゃないか。
ふと、士郎の中に疑問が浮かぶ。
「昨日の夜に呪いが分かったんだよね?」
「……はい。……そうです」
「じゃあ、もうすでに進行してるってこと? 昨日見た甲羅は大きくなってるの?」
「……いえ。その……進行はしてません。まだ最初の状態です……」
士郎は頭を傾げる。ナツメの言ってることに矛盾を感じたからだ。
ナツメは顔を赤くしたまま、段々と顔を俯せていく。
「なんで進行してないの?」
「……物は試しと、士郎様が寝ている間に……いただいちゃったからです」
「何を?」
「……士郎様の唇」
「ちょっと、何で勝手に!」
「すいません。すいません」
激昂した士郎の声に、ナツメは頭を抱えて縮こまる。
その瞬間、士郎の目の前に大きな甲羅が現れて、ナツメの姿をすっぽりと隠す。
「――え? なにこれ?」
まるで亀が手足や首をひっこめた状態の甲羅が目の前にある。
ちょうど、ナツメがいた場所に突如として現れた。
「か、河野さん?」
甲羅に向かって士郎が呼びかけると、甲羅がゆらゆらと揺れる。
甲羅の中からくぐもったナツメの声が聞こえる。
『すいません。すいません。勝手なことしてすいません』
恐々と甲羅を触ってみるが明らかに手触りは硬質だ。試しにコンコンと叩いてみるといい音がする。
士郎はなんとなくであるが、この甲羅はナツメの防衛反応で出たものではないかと推測できた。
「河野さん。怒ってないから元に戻ってくれない?」
『ほんとですか?』
「ほんと、ほんと。もう全然怒ってないから」
その言葉が真実かどうか疑っているのか、甲羅から亀が首を出すようにナツメの顔がにゅっと出てきた。
士郎的にはあまり見たくない光景だった。
とりあえず、ナツメに対して作り笑いを浮かべておく。
「大丈夫。怒ってないから出ておいでー」
士郎の笑顔を見たナツメがほっとした表情を浮かべた途端、身を隠していた甲羅が消えてなくなる。
ナツメに聞くと河童一族に伝わる絶対防御の技で、ナツメの感情に反応して勝手に発動するときもあるらしい。その能力は東京タワーから落とされても壊れることがなく、銃弾も跳ね返す性能を誇るようだ。
「河野さんって、本当に河童なんだ?」
「そうですよ。最初に言ったじゃないですか。ところで、私のことはナツメとお呼びください。士郎様の嫁なんですから呼び捨てで結構です」
「……嫁はともかく、名前で呼ぶのはわかった。ところで河童って防御力高いんだね」
「一族はこの防御のおかげで妖怪大戦争を生き残りましたから……ふわぁ~」
ナツメは大きなあくびをする。
士郎は妖怪にも戦争があったことに少しばかり驚く。
もう少し、その話を聞いてみたい気になった。
「士郎様すいません。少し横になってもいいでしょうか。昨日から寝てないんです」
「ああ、いいよ。僕は下でテレビでも見てるから。ベッド使ってもいいよ」
「すいません。でも、このままでも大丈夫です」
ナツメはコロンと横になるとすぐに寝息を立て始めた。
「寝るのはや!」
すうすうと寝息を立てるナツメにせめて肌掛けだけでもかけてやろうと、士郎が近づいた途端にまた大きな甲羅が現れナツメの姿を隠した。
「寝てても出るの!?」
士郎は手にした肌掛けをナツメの眠る甲羅の上に被せて部屋を出ていく。
「河童ってキュウリ好きだったよな。ちょっと買ってくるか」
甲羅に守られたナツメがどんな夢を見ているのか。
士郎はそんなことなど一つも考えずに部屋を出た。
『……あん。士郎様。そんなとこ駄目。もうHなんだから』
甲羅をファンネル化して攻撃特化とか。
甲羅フィールド全開して防御に輪を広げるとか。
ファミレス行って、まず「甲羅」とか。
両手を上げて「甲羅に力を分けてくれー」とか。
甲羅の可能性としては悪くないと思う。