皆が自分で忙しい
風の冷たさに震えながらも、意固地に態勢を変えずラヴィは鬱々としていた。
根が真面目なので、考え込むと止まらないのだ。
―――一体、どんな人かしら?
―――でも、もしかしたら違うかも知れない。
―――でも、でも、どんな人かしら?
以前バドは『女の子なら誰でも良いと思う日がある』とラヴィにとってはとんでもない発言をしていた事がある。
確かその時……
『オレのタイプは色白で』
―――わたくし、色白かしら?
ラヴィは十分色白だった。すべすべした柔らかい肌は、しみ一つ無い。
『目がちょっと切れ長で出来れば濃いブルーがいいな』
ラヴィはしゅんとして椅子のクッションに顔を埋める。
ラヴィの目はパッチリした大きな黒目がちの目だ。ちなみに色は髪と同じ深い紅茶色をしている。
ラヴィは知らないけれど、バドの今は亡き姉が切れ長のブルーの瞳だった。
バドは無意識にシスコンだったというワケだ。
―――それから、それから……。
『おっぱいが大きいにこした事は無いんだけど、小さくたってそれはそれで可愛いよな』
―――……。
これに関してはラヴィは大まじめに首を捻った。
―――こ、こだわりは無いという事よね?? それとも、『可愛い』と言う位だから小さい方が??
ラヴィはハッキリ言ってロゼのいうトコロの≪デカぱい≫だった。
これはロゼと旅を始めてから意識し始めた問題で、初めて≪デカぱい≫と言われた時は何の事なのか、どうしてからかわれるのか首を捻ったものだった。
大きい胸、自分の胸をさして言っているのだと解ると、今度はロゼの悪気を含んだ調子が気になる。推測するに、どうやら≪デカぱい≫は嘲笑の対象なんだろう、とラヴィは思っている。
なので、天から与えられた類稀なる≪デカぱい≫を少し厭わしく思っていた。ロゼは本当にロクな事を言わないのである。
ラヴィは頭の中で、色白で濃いブルーの切れ長の瞳に、背の高いスレンダーな美女を思い描いてクッションに顔を擦り付けた。
研ぎ澄まされた剣の様なバド(若干ここは離れていた期間がラヴィの『バド像』を膨らませて盲目になっている)と並べば、その人はきっとお似合いだろう。
長身スレンダー設定はラヴィのコンプレックスの裏返しだ。
彼女は背が低く、小柄でふんわりした体形をしている。決して太ってはいないのだけれど、ロゼのバカが『お前ホント、ムッチムチだなぁ~』と二の腕や尻を鷲掴みしてくるので、やっぱりラヴィは気にしていた。若さとか女性らしさからくるムチムチ感なのに、ラヴィは食事制限をしてみたり、デッキを何週も歩いてみたりと少しだけ気にしている。
余談だが、ロゼがストレッチや軽い筋トレを毎日欠かさずするので、ラヴィも参加してみたりする。頭がスッキリして気持ちが静かになる、と、ラヴィは思う。なのに、ロゼが毎日イライラしているのはどういう事だろう、と彼女はいつも不思議に思うのだった。
ともかく、ラヴィはまた目元をジワリと湿らすと深刻な溜め息を吐いた。
―――バドが気に入る見た目じゃないのは確かだわ。でも、どうしたらいいのかしら? 条件を満たしている女性が彼の前に現れて、心を奪われたのだとしたら……。わたくしは、祝福してあげなくてはいけないのかしら? だって、来るのがきっと、遅すぎたのだから……。わたくしのせいなのだわ……。
そんな事を思い悶々とする。珍しく彼女の周りの空気が淀んでいて、強い風でもそれを吹き飛ばす事は不可能な様だった。
―――だからバドはあんなによそよそしかったんだわ。わたくしが来ては、邪魔ですもの。
すん、とラヴィは鼻を啜って、「それならもう、ここにいてはいけない」と勝手に結論付けた。
ロゼさんが戻って来たら、ここを発とう、そうしよう。
ロゼさんはきっとすぐ戻って来るわ。ここに来るのを嫌そうにしていたもの。
ラヴィはノロノロと立ち上がり、デッキから外を見渡した。
傷心から、マクサルトを目に焼き付けておこうと思ったのだ。
眺めると、誰かが馬でこちらへ向かって来るのが見えた。
ラヴィの知らない大男だった。片手に持った剣が、ギラギラ光っている。
「誰かしら?」
ラヴィは大男の後ろから、彼を追う様に誰かが馬で駆けて来るのも見つけた。
見間違う事なんて出来ない程、瞳が吸い寄せられる。
「バド?」
バドが後ろからクロスボウを大男に放っているのを見ると、ラヴィはすぐに「何かトラブルだ」と悟り、後退った。しかし、船から出るのは良くない。
彼女に危害を加えるものに対し、裁きの雷が落とされるのはあくまで船内だけだからだ。
バドが大男に追いついた。
大男は既に船に辿り着き、馬から降りて入り口を探している。
そこへ、バドがそれを阻止しようとしているのか飛び掛かった。
ラヴィはハラハラしてデッキから身を乗り出し、揉み合う男二人を見た。
―――バドは負けたりしないわ。強いもの。
ラヴィは確信をしていたが、大男とバドの体格差にやはりハラハラして、自分も何か出来ないかと焦れた。
大男が彼が持つには小さいが、ラヴィからしたら十分に大きな長剣をバドに振って、バドの手から剣が弾き飛ばされた。
―――でも大丈夫。バドにはクロスボウがあるわ!
でも、何故かバドはクロスボウを撃たない。
腰に差した抜身のナイフで、大男から繰り出される長剣の重そうな攻撃を受け止め、或いは受け流してばかりだ。
ラヴィは焦れた。
―――どうして? 針切れかしら!?
「バド!!」
思わず叫んでしまい、バドがラヴィの方を見た。
ラヴィとバドの目が合った。
お互い、激しく求めつつも、何かを隠し合いながら。
そのせいでバドは思い切り隙を作って切り付けられ、慌てて避けて、たたらを踏んだところを足払いされて地面に倒れ込んだ。大男がバドに上から長剣を突き付け、バドの胸の辺りにドンと大きな足を押し付けた。
何か喚いている。「トスカノに再び」とかそんな事を。
ラヴィはバドが負ける筈は無いと盲信していたけれど、堪らずデッキを駆け抜け一旦船内に戻り、階段を派手な音を立てて駆け降りると、出入り口のドアをバンと開けた。
「止めて下さい!!」
二人の男がラヴィを見た。
大男は涎の出そうな美少女の突然の登場に目を丸くし、バドは「バカ! 船にいろ!」と怒鳴った。
ラヴィは二人に気圧される事無く凛とした様子で立っている。
「船にご用でしょうか」
大男は倒れたバドに長剣を突き付けながら、ラヴィを舐める様に見た。
ラヴィは臆したりしない。もっと下卑た視線を彼女は知っている。この大男の放つ威圧感など、男の大きさの半分も無い人から発せらるのと比べたら、半分も無い。
本当に、ありがたいのかありがたくないのか、良く解らない男だ。
「その方へ向けた剣を下げて下さい。足もです」
「マクサルト人に美人はいないと思ってたぜ……全員生け捕りにしても、お前だけは俺の傍に置いてやろう」
「結構です。剣を下げなさい」
相手がトスカノ語を使ったのと、一体何の話だろうと思いつつ眉を潜め、ラヴィは相手にしなかった。
それに今、見た目の話はラヴィには禁句なのだ。
美人? きっとこの方もわたくしを馬鹿にしているのね!
それにしても良かった。殺す気は無いみたい。
「気が強いんだな。後で可愛がってやるから待ってろ」
大男はそう言って、バドの胸に乗せた足に体重を掛けた。
バドが呻いて、手に持ったナイフで大男の足を傷付ける前に、大男はどしんとバドに馬乗りになった。「グハッ」とバドが呻き、彼の身体が大男の乗っていない部分だけ上に跳ねた。
大男はぐっぐと笑ってバドの手に持ったナイフを造作なく奪い取ると、バドの胸の上にもう一度どしんと飛び乗って咳込む彼の顔を殴り始めた。
「マクサルト人が!! 全部悪いんだ!! 返せ! 返せ!」
「止めて下さい!!」
ラヴィが悲鳴を上げて二人に駆け寄り、なんとか引き離そうとするが、そんな事は不可能だった。
ロゼさん! こんな時にいないなんて!!
突き飛ばされて、ひっくり返り、ラヴィのスカートがひらめいた。
大男がそれを見てガハハと厭らしく大声で笑った。
ラヴィはスカートを直すどころか、太ももに手を這わせた。
大男もバドも、ラヴィの仕草に目が釘付けになる。
ラヴィの柔らかそうなそこには、小さな赤いナイフ。
初めて手にした時よりもずっとサマになった姿勢で、ラヴィはそれを構えた。
構えは師匠のロゼ仕込みだ。
ラヴィはとにかく頭の中を冷静に保とうと、ロゼの言葉を思い返す。
―――い~か? 弱そうな見た目っつーのはぁ、ある意味武器なんだぜぇ?
―――勝手に相手が油断すっからなぁ。まぁ、俺は違ェぞ? 俺は、違ぇからなぁ?
「止めろ! ラヴィ! 船に逃げろ!」
バドが大男の尻の下で身をバタつかせた。
大男は小娘に何が出来るとでも言いたげに爆笑している。
ラヴィは構わず大男に小さなナイフを構えて突進した。
ナイフを持つラヴィの腕を捕まえようと、太くて長い腕が付き出される。
ラヴィはそれを巧みにすれすれで避けると、身を屈め地面に片膝を突いてがら空きになった大男の脇腹へ切り付けた。
目を見張るほど良い動きだったのにも関わらず、殺すどころか傷を付ける事すら臆するラヴィの攻撃は、大男に対して攻撃の内に入らなかったが、相手を見くびっていた分だけの驚きと衝撃に隙が出来た。
バドがそれを見逃さない。
ぐらついた大男の身体の下で強引に腹這いになると、押さえ付けられるより早く抜け出して、更に態勢を悪くしたところを寝そべった姿勢のまま両足で蹴倒した。
次いでパッと起き上がるとラヴィの胴へ腕をまわし、抱えて船の入口へ駆ける。
大男も、追いかけて来た。
途中から降ろされて、手を引かれて二人で船へ駆ける途中、ラヴィはバドが「へへっ」と笑った声を聞いた。
二人で船内へなだれ込む。勢いづいて転びそうになるラヴィをバドが「オットットォ~」と引き寄せ抱き留めた。
バドは顔を一瞬で火照らせるラヴィをヒョイ脇に置き、入り口の枠から身を乗り出して、怒りの表情で猛突進して来る大男に舌を出した。
「オラオラ! 早く来いよ~!」
ヒョイと脇に置かれたラヴィは、こんな時だと言うのに頬を火照らせた自分を激しく責めていた。楽しそうに大男を挑発してピョンピョン飛んで見せているバドの、先ほど抱き留めてくれたのを何とも思っていない様が憎らしかった。
大男が船に飛び込んで来た。バドがラヴィを抱えてヒョイとなんとも身軽に避けると、ラヴィはほぼ八つ当たりで思いっきりの嫌悪を、飛び込んで来た大男にぶつけたのだった。
今まで見た事の無い様な稲妻が大男の至近距離で発生し、目も開けられない程の光がほとばしる。遅れて、轟音。
船の一階部分の窓という窓が光り、外側へ弾け飛んだ。
*
うへぇ、とバドが声を上げた。
「ナニ? あんな凄いの?」
「……いつもはあんなにじゃないです……」
答えつつ、やっぱりラヴィの頬は火照る。
バドが衝撃から庇って、ラヴィの上に覆いかぶさっているからだ。
「怪我、してねぇ?」
「……はい」
「ラヴィは相変わらず危ない方危ない方に突っ込んでくンな~」
「……そんな事はっ……少し……ありますけど……すみません……」
ケケケ、とバドが笑った。
そう笑われると、ラヴィの胸は甘く窪んだ。
こんな笑い方をする人は、お断りだったハズだ。なのに。今は恋しかった。
自分以外の者が、彼に同じ気持ちを注ぐのは耐えられない、誰も彼も、この魅力に気付かなければいいのに、とラヴィは彼女らしく無く我儘な気分で思った。
こうしてバドに見下ろされていると、余計に強く思った。
「さっきカッチョ良かった」
「え?」
「ほら、まだあのナイフ、持ってたんだ?」
「あ……」
ラヴィはぎこちなく微笑んで、言葉を飲み込んだ。
―――だって、貴方がくれたから……。
「なんか、強くなったなぁ」
―――そんな事は……。
「……はい。頑張りました」
「アハッ! スゲェな。……もうオレじゃナイトは役不足だな!」
―――そんな事は……! でも、今のは……わたくしを守ったりするのはもう無理、出来ない、という事よね?
「あの時は……大変お世話になりました……」
「……」
ラヴィを見下ろして、空色の瞳の光が揺れた。
「空の旅は楽しい?」
「はい。とても」
―――貴方がくれた。
「まだまだ飛び回っちゃう?」
「……そう、そうですね……」
「……そっか。じゃあ、なんで来たの?」
「え」
―――なんでって、そんな、酷い。
「それは、それは……」
ラヴィが口ごもっているのを、バドは切なそうに見つめた。
―――言って良いのかしら?
ラヴィはまだされてもいない拒絶が怖い。
でも、「なんで来たの?」なんて、酷い。酷いわ。
ポロッ、と涙が零れた。目尻から流れた温かい筋の軌跡を感じてしまうと、ラヴィは我慢できなくなって、すすり上げた。
「あ、会いたかったから、です……」
「ホントに?」
「本当です!!」
はぁ~……、と溜め息と共に、彼が落ちて来た。
「!?」
首筋に顔を摺り寄せられて、ラヴィは硬直した。
慌てて身体をどうしたらいいか分からないまま動かそうとすると、ぎゅっと大きな手がラヴィの両手を捕えて握った。とん、と両手が床に付いた。
「今は~?」
「へ? え? え?」
動揺するラヴィの首筋の髪に顔を埋める、バドのくぐもった声が耳に熱い。
「だから、今はどうよ」
「は、離して欲しいです……」
「ダメー! 今オレに会いに来てどうよって聞いてんの!」
「えぇ?? あの、嬉しかったです」
「過去形かよ?」
バドが両手に力を籠めるので、ラヴィは足をジタバタした。
「い、痛いわバド! 嬉しいです。嬉しいですよ!」
バドがパッと身を起こして、唇を尖らせた。
「じゃあなんであんなにガッカリした顔すンだよ! まだ二年だぞ? 喰うのに精いっぱいで、都捨てるしかなかったんだ、……しょうがねぇだろ……オレだってなぁ、情けねぇって思ってるぜ!? でも、これからなんだ!」
「? ?? あ、あの、バド……?」
バドはラヴィの上に乗っかったまま、捲し立てる。
顔が拗ねた子供そのものだった。
「カッコ悪ィって思ってんだろ……でも、頑張ってンだ……豊かになったマクサルト見せて、どうだ、スゲェだろって、お前に胸張れる様に……」
「……バド……」
ラヴィは、重ねられた大きな両手をきゅっと握り返した。
温かいと言うよりは、熱い両手。
「わたくし、そんな風に思っていません。皆を見れば分かります。貧しくても、生き生きしてらっしゃって……貴方は偉いなと、尊敬しか、していません……」
「……マジで? 貧乏がうつるとか思ってねぇ?」
「……怒りますよ」
またガバッとバドが覆いかぶさって来る。ラヴィは今度はそれを受け止めた。(と言っても、両手は塞がれていたけれど)
「だってヨォ、メチャメチャ綺麗になってンだもんなぁ~!! こんな汚ねぇ野郎、相手になんねぇじゃん! 国も家も服も全部ボロボロなのにサ! こんなんに会いてぇとか執着されたら最悪だろ!?」
「そんな事思いもしませんよ!?」
「ぜってぇだなコノヤロー!!」
「痛い、痛いですっ!」
床に転がって抱きすくめられながら、ラヴィは「まだ早かったんだわ……」と思った。
でも、「今来れて良かった」とも、思った。
「ば、バドも……会いたかった?」
「あ、ようやく『ですます』が解けて来た。前に送り出した時はいい具合に解れてたのに、また固くなっててさー、それも不安要素だった!」
「会いたかったですか?」
「……オウ」
それなら、よろしい。
二人は見詰め合い、バドがラヴィの唇に―――
「ちょっと待って下さい」
「イテ」
ラヴィは手の平でバドの額を押し返し、眉を寄せて彼を見詰めた。
「セレナって誰ですか」