闘い
ラヴィはロゼのリクライニングチェアをデッキの柵板に寄せて、日傘を畳んだ。こうすれば、もう風に翻弄されたりしない。
それから、椅子に座るでもなく(座ると怒られる)クッション部分に頭をもたせ掛け、目を閉じていた。
酷い、酷いと言う声が、胸の中でマクサルトの風の様に渦巻いている。
―――だったら。
どうしてあの時、抱きしめてくれたの?
どうしてあの時、あんな事を言ったの?
あんなに一緒に頑張ったじゃないですか?
あんなに一緒に、笑ったり、泣いたり、怒ったり、寄り添い合ったじゃないですか?
思い出は記憶の中を閃き、心に残った彼の言葉や、彼の表情をラヴィに向って投げつけて来る。
過ぎ去った過去が、過去だと言うのに自分を吸い込んで行く。
「変わった?」なんてあんな顔で言うなんて。
変わったのは、バドでしょう?
あの時に、戻りたい……。
思い出が、光って痛い。
こんな痛みの為に、わたくしたちは思い出をつくるの?
*
ロゼが獲物を狙う目をして集落へ入って行くと、皆が彼を見つけて挨拶をした。
彼は今後の為に、手を上げて応えたりして、皆の歓迎を無視しなかった。
以前トスカノ国の騎士団長をしていた過去があるので、意外と処世術はあるのである。使わないだけだ。彼は自分に敵はいないと思っている。
集落の端に、背の高い見張り台がある。
ロゼは狩りの獲物を探す為だろうか、飢えてんなぁ~と思った。
集落の住居はほとんどが大きなテントで、布地にトスカノ国の紋章が刺繍されているのを見ると、ロゼは懐かしさを感じた。
テントじゃない住居もあった。円錐状に組んだ木の支柱を草(素材がロゼには分からない)で覆い、土で壁を固めた感じの、なんとも原始的な造りで、ロゼは「マジで原始の踊りをさせられるんじゃ……」と心配した。
そうして集落を見渡していると、拓けた広場らしき場所に男が数人集まって薪を組んでいる。
その中で、一際目を引く金髪の少年―――否、記憶がそう見せてしまったが、彼は青年になりつつあった―――が身軽な身のこなしで動き回っているのを見つけた。バドだ。
殺気を送ると、彼はすぐにロゼに気が付いた。
「ゲ」という顔をされて、「こっちがゲだわぁっクソがぁ!」などと思いながら、ロゼは彼の方へ歩き出した。向こうも首の後ろを掻きながら、渋々近寄って来る。
「よぉ」
「おー……」
「シケてんな」
意地悪くロゼが言うと、バドはちょっと目元を険しくしたがすぐに「ケケケ」と笑った。
「アンタの身長もな」
明らかに記憶より背が高くなっているバドからの痛恨の一撃に、ロゼはきゅーっと目尻を釣り上げた。
元々バドはロゼより背が高かった。ロゼは貧弱な体系では無いけれど、男にしては華奢で小柄なのだ。これで童顔だから、もう既にバドの方が年上に見えかねなかった。
「デカけりゃいいってもんじゃねーんだぜ」
「大は小を兼ねるって知らねぇの?」
「知らねぇなぁ~。ナンだそのフレーズ。原始人で流行ってんの?」
「はいはい、小人の国からようこそいらっさいませ~~」
がるるっ、と二人は睨み合ってお互いの胸ぐらを引っ掴んだ。
再会して六十秒以内の出来事だった。
「まぁいいや、ラヴィは? あんたを呼びに行ったんだろ?」
「いんや。アイツはもう来ないかもなぁ」
「……なんで」
「王子サマを期待して来たけど、原始人になってたから?」
バドがサッと顔色を変えて黙り込んだ。
応酬に構えていたロゼは、ヒョイと眉を上げた。
ありゃ? コイツマジでヤリやがったかぁ?
「お前、しょうがねぇな~……まぁ、元々盛ってたしなぁ」
「は、……は?」
バドが、狼狽えつつ意味が解らない、という顔を上げた。
「迂闊だけど、不意打ちだったろうしなぁ。でもよぉ、アイツはああいう重たいタイプって知ってて口説いたんだろぉ~? 我慢出来ねぇなら女のタイプ選べよなぁ……」
「……は? なあ、ナニ? 何の話?」
バドが眉を寄せてロゼを睨んだ。
なんだんだ、コイツ。久々会うケド、意味分かンねぇや。
ロゼも眉を寄せてバドを睨み返した。
相変わらず往生際が悪ぃガキだぜぇ!
「ナニって、お前、シラ切る気?」
「イヤ……だから何なんだよ!」
「イヤイヤイヤ……見苦しいぜぇ、王サマ! オラァ、お前のセレナ見せてくれよ~、どこにいんだよ~ああぁ~?」
「セレナ?」
おう、とロゼは頷いた。
ピチチチ……と、小鳥の囀りがのどかに二人の間に流れ、バドが首を捻った。
「なんでセレナ知ってんの?」
「アイツが、お前が寝起きに『セレナ』って女の名前呼んだって」
「……げげぇ」
「あ、お前ナニ笑ってんだよぉ?」
「イヤ、笑ってねえよ」
バドは笑っていた。ニヤニヤしているのを隠そうとして、隠しきれていない様子だった。
ロゼは釈然としない。
自分の半生全て棚上げして、「コイツは底抜けの不埒者だ」と思った。
アイツの泣き顔を見せてやりたい。
コイツの前では泣けなかった顔。
そう思ったらムカついて、ロゼはバドの胸ぐらを再度引っ掴み、拳を振り上げた。
これから三発殴る予定だ。
お前の前では平気を装うしか出来ないヘタレなアイツの分。
お前の為にあいつがちょこれーと作りまくるから俺の鼻が死にそうだった分。
そして、なんか無性にムカつく分だ!!
喰らえ! と腹に力を入れ拳をグッと固くしたその時、カンカンカン……と乾いた警鐘が鳴り響いた。
「!?」
ロゼの脳裏に『皆で王サマを守れー!!』の図が閃いた。
だとしたらヤバイい。ロゼは丸腰なのだ。
少ないとはいえ、マクサルト人にワッとリンチされたら流石のロゼも太刀打出来ない。
バドが隙を見せたロゼを押しのけ、素早く駆け出すと背の高い見張り台へ向かった。
見張り台の梯子は木の側面に雑に切り込まれた足場があるのみで、そこを駆ける様に昇る。
「オイ! 逃げるんじゃねぇ!」
バドは聞こえないのか無視をしているのか、ジッと高みから遠くを睨み付けている様子だった。
何なんだ? 俺様を無視するとは!
見上げていると、身を乗り出して遠くを見ていたバドが、サッと身を翻して素早く降りて来た。角度のある梯子を二、三歩で駆け降りて来ると、「皆、来たぞ!」と大声を上げた。
「オイ! 何なんだ!」
「悪ぃ! ちょっと忙しい!!」
バドはそう言って集落の中で一番小さいテントに入って行くと、弓矢を腕に引っ掛け、背に矢筒、腰に剣鞘ベルトを巻き、締まり具合を調整しながら駆け出して来た。腰の後ろを守る様に、短い剣が真っ直ぐ収まっている。腰の左側には、抜身のナイフが身体とベルトの間に無造作に突っ込まれていた。左腕に光っているのは小さなクロスボウの銀色の弦だ。
周りにいた男達が、バドの周りに集まった。
ほとんどの者が弓矢の他に日常に使う鉈や鍬、動物の解体用ナイフを持っていた。
物騒な気配に、ロゼは鋭く皆を観察した。
なんだ? 何が始まるってんだぁ?
バドが大声を上げた。
「しつけぇ奴等だ!!」
オウ! と誰かが答えた。
続いて、皆がオウ! と声を上げた。
バドがまた大声を上げた。抜身のナイフをビュンと音を立てて真横に振り、集落の外を指した。
「アイツらは諦めねぇ!! 奴等の欲しいものはここにねぇってのに!!」
オウ! と、また男達全員が頷いて答えた。
男達が興奮していく息遣いを、ロゼは肌で感じた。
興奮には憤りが混じっている。
バドを見ると、彼の顔には憤りは何も無く、好戦的な喜びを宿している。
元々こういう、荒事に怖気づく事を知らない奴だった。勝つ気の顔だ。
―――でも何に?
バドが更にがなった。
「勘違いしてんだ! そんなんで滅茶苦茶にされていいか!?」
否! と皆が答えた。
各々手に持った武器を握りしめるのに力を籠めて。
「オレ達は負けねぇ!!」
「負けねぇ!」
「負けてたまるか!」
「マクサルトを守れ!」
バドが吼えると、彼に煽られるだけ煽られた男達が、武器を天に向け掲げて叫んだ。
「よっしゃ、行くぞ!!」
バドが号令をかけ、集落の外へ向かって駆け出した。
オオ―! と猛る男達がそれに続いて集落を駆け抜けて行く。
ロゼは慌ててバドを追い、彼の横に並んで走った。
「オイオイ! 何なんだ!」
「アンタの国のバカ集団が、やたらと攻めてくンだよ!」
「は、ハア~!?」
ロゼは目を丸くした。
トスカノとマクサルトはほんの少し前に争った事がある。
でも、トスカノの新しい国王がもうそれを許していないハズだ。
それとも、意向が変わったのか? 否、そんなまさか。だったら、あのトスカノの紋章が入ったテントは何だ? 援助は続いている筈だ。
だとすれば、今バド達を猛らせているのはトスカノの「正当」な集団じゃないらしい。
弓矢が前方から飛んで来て、駆ける足元に突き刺さった。
バドがぎゅっと砂埃を上げながら急停止し、そのまま器用に弓を引き矢を射返しながら、ロゼに悪態を吐いた。
「トスカノ人はバカが多いのな!!」
そう言いながらも第二の矢を放つ為、弓を引いている。
ひゅんと飛んで行く矢を目で追えば、その先に集団が見えた。
何やら旗を掲げている。赤地に黒いトカゲのシルエット。蜥蜴にはバツ印の様に二本の剣が交差して突き刺さっている。ロゼの見た事の無い旗だ。それにしても、と、ロゼは目を細めた。
……デザインが安直だ。頭は頭が悪いに違いない。
相手は数十人で真っ向から攻めて来た。
大柄な男を筆頭に、矢じりの様な体系で馬に乗った数人の後ろから、ゴロツキの寄せ集め様な男達が武器を手に駆けて来る。
そこから更に後方、少し高くなった土地の部分で数人が弓をつがえてこちらに狙いを付けているのが見えた。
バドが素早く弓を引いて、まずは飛び道具から始末に掛かった。
マクサルト人の弓を持つ男達もそれに習う。
弓を持っていない者達は、こちらも真っ向から敵に迎え撃つ為バド達の横を駆け抜けて行く。
幾人かが弓矢を防ぐために楯として持っていたのは鍋の木蓋だった。
「お料理かよ!?」
「トスカノがアイツ等用にまともなのもくれたんだけどサ! 重すぎるんだよ!」
バドは説明しつつ、弓矢を放つ手を休めない。
相手もビュンビュン弓を射かけて来て、ロゼはしょうがないのでバドの背に隠れた。
目前では集団と集団がとうとうぶつかり合って、怒声と砂埃が上がっている。
ロゼから見たら素人と素人の喧嘩に近かったが、お互いの必死さと武器が既に場を血で染め始めた。
「馬がなぁ、何とかしねえとなぁ」
「射殺してもいいケド、奪えないかなと思ってサ」
「んな事言ってると、仲間が減るぞ。オイ、ヤベ! こっちにも来たぞ」
「ちょ、あと一人」
バドはそう言って弓矢を相手の弓部隊へ射ると、腰の後ろに横一文字に装備した剣を抜いた。弓部隊は敵味方入り乱れた乱闘先へ弓を射る自信は無いらしく、既にバドが射止めた一人を残して既に弓を引くのを止め、砂埃の中に飛び込んでいた。
こちらにも十数人駆けて来た。
バドと同じく弓を引いていた男達が、担いで来た武器を持ちかえる。
「行くぜ!!」
「待て待て! 俺にその剣貸せ!」
「あぁ? ヤダよ!」
「お前ナイフあるだろ! 俺丸腰だぞコラァ!」
「知るか! 棒ッ切れでも拾えよ! そこに良いの落ちてンぞ!! も~! 邪魔!」
ロゼに襲い掛かった男に蹴りを喰らわせて、バドがソイツに立ち向かって行く。
「ぼ、棒!?」
呆然とするロゼに、また誰かが襲い掛かって来た。ロゼが小柄で華奢なので「簡単そう」に見えるのだろう。
ロゼはブンと己に振られた薙刀の刃を飛び越す様に前方に飛んで避け、そのまま地面に両手を突いて、先ほどバドが教えてくれた「良い棒ッ切れ」の所にくるんと転がった。
棒はロゼの肩から指の先まで程の長さで、仕方なく手に取れば成程、なんかしっくりくる良い棒だった。
しつこく薙刀の刃が縦に振り下ろされてくるのを、柄を横に薙いで弾き飛ばし、くるんと手首を動かして持ち主を棒の先でドンと突けば、呆気無い程簡単に男が倒れた。その頭をロゼは容赦なく棒でぶん殴り、素早く下から上へ棒を突き出し正面からやって来た男の顎に突き上げ叩き割った。
「棒スゲー!!」
押されているマクサルト人の方へ立ち回りながら、ロゼはバドを探す。
バドはロゼの助言通り馬を諦めたらしく、馬の首や足を傷付けて回っていた。
落馬した男達を、腕にくっつけた小さなクロスボウで撃っている。
撃たれた男は瞬時に身体の力を失くしてパタリと地面に頽れた。
それからも剣を振りましてどんどん攻めて行く。
剣さばきが鮮やか、と言うよりも、ほぼ素早さと力技の様に見えた。
力で負ければ目潰ししたり、ジリジリと精神を使う場面では猫騙しをしたりと、やり方も姑息だ。
なんだよアイツ、剣滅茶苦茶じゃねぇか! 俺に貸せよなぁ!
ロゼは腹いせに手近の男を棒でぶん殴り、油断なく戦場を見渡し、争いの位置が移動してしまっている事に気が付いた。
ガリオン船はちょうど滝を囲む木々の影の、ここから反対側に隠れていたのだが、船尾がそこから見え始めていた。
ゲ、と思った隙を突かれて、ロゼは切りつけられた。
無理に身を捩って避けると、足がもつれてしまって地面に倒れ込んでしまった。
まさか素人相手に手を地面に付けさせられるとは、とロゼは勝手にブチ切れた。
剣が振り下ろされる。
運悪く大剣だ。棒では防げない。
と、思ったところで男が誰かに後ろから切りつけられ、反り返って呻いた。バドだ。
「ナイス! 喰らえっライジング・インパクト!!」
すかさずロゼは天から地へかけてソイツの頭に相棒を叩きつけた。
男が崩れ落ち、その後ろにいたバドが呆れ顔で現れる。
「なにソレ……」
「すげぇだろぉ? それより、バド! 馬は全部ヤッたんかぁ? 場が動いてんぞぉ! 船を見られたらなんかマズイ気がする」
「げ! まだだ!」
敵は敵で周りを見ていたのだろう、陸に佇んでいるガリオン船を見つけて指差している。
馬に乗った大男が、バドの前に来て怒鳴った。
「アレはかつてのトスカノの船だろう!? やはり、お前達がトスカノの富を奪ったのだ!」
フンと鼻で笑って、バドは相手にしなかった。
「アレはオレ達のじゃねぇんだ」
「嘘を言うな!!」
そう言って、大男は馬を御して船へ一目散に駆け出した。
「げ!? オイ! 船にはアイツが!!」
バドは敵の数が少なくなった乱闘の中へ突っ込み、かろうじて残っている馬に乗った男の後ろにひらりと相乗りしてしまうと、男の首の後ろにクロスボウの針を撃ち込んだ。
ビクンと男の身体が痙攣し、バドは容赦なくそれを片腕で地面に振り落とすと、「あと、よろしく!」とロゼに言い捨て、暴れる馬を無理矢理御して船へ駆ける大男を追い始めた。
「おおぉ、オイオイ!?」
残されたロゼは、分けも判らず棒で頑張るしかなかった。