新天地
マクサルトには、午後に到着した。
色々あって荒れ地に慣れ果てたこの国は、ラヴィが飛び立った頃と変わっていなかった。
とても厳しい条件の土地で、大地もかつてあった川も相変わらず干からびていた。
上空から見下ろすと、点在する集落はもちろん、風変わりな土作りの城のあるボロボロの王都にも人の生活の気配がなく、廃墟そのもののだった。
ラヴィは誰かが物陰から出て来やしないかと、注意深く地上を見下ろして身を乗り出した。
「おぅい、落っこちるぞぉ」
後ろからロゼが言ったが、ラヴィは貪る様にひなびた国の跡を見下ろす。
誰もいない。
誰も。
生きていくのに厳しい様なら土地を離れる、と別れ際に彼は言っていた。
―――でも、酷い。そうしたら、わたくしは貴方がどこにいるのか分からない。
我儘だと解っていても、ここにいて欲しかったと思ってしまう。
本当に勝手な望みだけれど、少なくとも、自分が再び彼に会いに来るまでは……。
ラヴィは眉を寄せて、へたりとその場に座り込んだ。
こんな気持ちになってはいけない。
だって、彼はマクサルトの王様で、民たちを生きる道へ導かなければいけないのだから。
ここは、廃墟なだけでは無い。一目見れば判る。生きてゆく糧がほとんど無い、貧しい荒れ地。
―――彼なら動くわ。しかも、早期に。だって、向こう見ずですもの。可能性があれば迷わない……。
乾いた風が、俯いたラヴィの髪を引いた。
―――もう、会えないのかしら? その事を考えて、少しは迷ってくれたかしら?
『また会いに来て』なんて、思ってもいないのに言ったのかしら?
「ありゃりゃ~、へこむな、へこむな~。残念だったなぁ!」
「……」
ロゼが傍に立って、ラヴィの頭をポンポン叩いた。
「何処かへ移住してしまったんでしょうね……」
「そらそーだろう。まともに生きれる土地じゃねぇ」
ラヴィは承知してるとばかりに素っ気なく頷き返し、
「……降ります」
「ああ? なんで? 誰も居ねぇぞ」
「わかっています」
「別にいいけどよ、滞在は厭だからな」
「少し見て回るだけです」
ラヴィはそう言って、船を下降させた。
乾いた黄土色の砂埃を上げて、船は大地に着陸し、ラヴィは船が地に船底を付ける前に出入り口から飛び出した。
ラヴィにとって、三度目の彼の故郷。
一度目は、彼と一緒に。
二度目は、彼の元から飛び立った。
固い大地に足を付け、冷たい乾いた風に吹かれると、この地の厳しさがそれだけでわかる。
廃墟に入る途中、幾つか点在して深い穴が掘ってあるのを見つけた。
覗き込むと、中身はどれも空だった。
それから、ぱさぱさした土がもこもこと筋を描いて盛り上がっているのも見つけた。
少し摘まんで見ると土は微かに白んでおり、水分など微塵も無かった。
指先の乾いた土は、強く吹き付けた風に、飛ばされて行った……。
集落の入り口付近には、動物の骨が積まれている。
初めラヴィは最悪の想像をして一瞬だけ立ち竦んだ。
ロゼがそこへ近づいて、骨を摘まんでしげしげと見た。
「狩りでもしたんじゃねぇ? それにしても、小せぇ獲物ばっかだな。喰える部分ほとんどねぇぞぉ、こりゃ」
ラヴィは寂しい気持ちでいっぱいのまま、廃墟に足を踏み入れる。
風や年月に負けた部分を修復された跡が、建物のどこにも無かった。
まず、食べる事、飲む事が優先だったのだろう……。
以前ラヴィはこの廃墟へ一人で入り込み、迷子になった。
その時は、彼が助けに来てくれた。
でも、彼はひょっこり現れてくれはしない。
―――平気。もう道を知っているもの。
ラヴィは街の中央にある噴水の跡まで、トボトボ歩いた。
彼への気持ちにだんだんと気付きながら、この辺を迷子で彷徨った事を思い出す。
あの時、迷子になって心細さと切なさに泣き出した自分の前にヒョイと彼は現れた。
別に期待なんてしていない。
……けれど、あの安心感に包まれた思い出の軌跡を辿る位、許して欲しい。
―――もう会えないですか?
―――来るのが遅すぎましたか?
―――わたくし、……楽しかったんです。貴方が、こんな荒れ地で努力しようと決意して、大変な目に遭っている時に……なんて馬鹿なの?
―――何処に行ってしまったの?
ラヴィはロゼの手前目元を赤くするだけに留めた。
ロゼがいなければ多分、泣き出していたかも知れない。ありがたいのか、迷惑なのか、良く解らない男だ。
彼はラヴィの横で「全滅、全滅」と繰り返している。
そうじゃないと解っているから言っているのか、心から楽しんでいるのか、良く解らない男だが、イヤな奴には違いなかった。
噴水が見えて来た。もちろん水なんて吹き上げていない。
でも、ロゼがラヴィの肩に手のひらをポンと乗せた。
「良かったじゃ~ん?」
二段の噴水の上に、何か旗が立てられている。
ラヴィは鼻をクスンとすすり、頷いた。
―――バド、ありがとう……!!
旗が彼の故郷の厳しい風にはためいている。
男物の汚いシャツで出来たその旗の身頃には、『アルベルト・クチャラで待つ』と大雑把な刺繍が施されていた。
*
その昔、お喋りなアルベルトという男がいた。
彼は流れる様に話し続けた。
聞き手がいなくても平気だった。
彼の舌は絶えず動き続け、お喋りは彼の中から溢れ、どうどうと流れ続ける。
あまりにどうどうと喋り続けるので、ある日神が不思議に思った。
どうやらこの人間は人間として生まれて来る役目では無かった様だ。
一体、何の為に生まれて来たのだろう?
そうしてアルベルトをじっと見詰め、そうか、と気付くと彼に詫びた。
『すまない。お前は滝として生まれるはずだったのだな』
アルベルトは嬉しそうに微笑んで、神により本来の姿を取り戻した―――。
それからアルベルトはマクサルトの地でどうどうと滝の水を落としている。
水は彼の中から湧き上がり、どうどうと流れ続けている。
* * * * * * *
「アルベルト・クチャラ……相変わらず凄い滝ですね」
ラヴィは大きな滝を空飛ぶガリオン船から眺め、呟いた。
もうもうと立ち上がる水煙が船の行く先を霞ませ、虹を作っている。
湖の様な滝壺に吸い込まれそうな引力を持つ大音量の水音が、ラヴィの高鳴る鼓動と相馬って心を揺らした。
ブッ、とロゼが船下に唾を吐いた。
「この滝にはえらい目こいたぜ!」
「ロゼさん!! 水源湖の傍に集落があります!!」
「ああん?! 聴こえねーーー!!」
水煙に目を細めながら滝を落とす崖の上を見ると、確かにちらほら人工的な物が点在している。水源を求め競って生えている木々の合間にそれは見えた。
ラヴィは顔を輝かせて大声を上げた。
「ひとが、います!! 平地に降りますよ!! 急降下です!!」
「えぇ~!? だから聴こえねぇって……うおぉ!?」
ガリオン船は急降下して、崖の上へ滑り降りた。
ラヴィはまるでそうすればもっと早く船が着陸するとばかりに、床に足を突っ張って、デッキの柵から身を乗り出した。
船に気付いてちらほらと人が集まりこちらを見ている。うちの誰かが手を振った。
ラヴィはますます身を乗り出して、手を振り返した。
「落ちる! 落ちるってぇ!」
ロゼがラヴィの腰帯を引いて、そうならない様に柵から引き剥がす。
「大丈夫ですよ!」
「アンタが落ちるのは構わねぇけど、アンタがいなくなったら船も動かねぇんだからなぁ! 気を付けろ!」
俺様はこの船の旅が気に入ってんだからなぁ! そう言い掛けて、ロゼは止めた。
それは普段通りでもあるし、これからの展開を思っての事でもあった。
そんな事お構いなし、全然気付きもせず、ラヴィが満面の笑顔でロゼを振り返った。
「さぁ、行きましょう!」
*
ラヴィが崖の上の集落へ行くと、人々が大勢寄って来た。
皆、ラヴィの事を知っている。
空飛ぶ船で旅発つ時に、彼と見送ってくれた顔ぶればかりだ。
皆痩せていたが、十年以上奴隷として地下牢に繋がれても生き延びた強い人達ばかりだ。
痩せた少年が人の群れから一番に飛び出して来た。
彼もまた、地下牢で産まれ十年以上そこで育った強い男の子だ。
助け出した時はまだ小さかったのに、少しだけ大人びていて、ラヴィは嬉しくなった。
「ラヴィさん! 旗に気付かれましたか!」
「はい。皆さんいなくなってしまったかと思いましたが……目印があったので」
「良かったです」
「街から離れた事……お辛かったでしょう……」
「いえ……。井戸を掘っても錆びたのしか出なくて……水に困ってここに移動する事にしたんです。元々、考えられていたみたいで」
ラヴィは頷いた。
それからちょっと腹が立った。
―――だったら、お別れする時に言っておいてくだされば良かったのに! 本当にいい加減なんだから!
人々がラヴィを囲み、お互い無事を喜び合った。
年配の女性に手を引かれてよちよちやって来た老婆を見ると、ラヴィは駆け寄って彼女の手を取った。
老婆はうんうん頷いて、「ヤットカー、アンバドウ?(お久しぶり、ご機嫌いかが?)」ともしゃもしゃ言った。
ラヴィは「元気です」と答え、身を屈め老婆の首に腕をまわした。
「ダ(良かった)」と老婆が言って、彼女の背を優しく撫でた。
ああだった、こうだったと近況を教えて貰いながらも、ラヴィの目は彼を探した。
真っ先に会いたい人は、ここにはいない様子だった。
早く会いたかった。
明るい金髪や、空色の瞳をキラキラさせてニッと笑う悪戯そうな顔が見たかった。
皆を援助してくれているトスカノ国(ここはロゼの故郷だ)のアスランと言う人が、水車を作るのを手伝ってくれた、とか、その水車で織物を始めてそれが貿易の港国イソプロパノール(こちらはラヴィの故郷)で大流行しているだとか、最近金の大粒を掘る様になったとか、土地ではなかなか思う様には行かないけれど、人々は力強く生きている様子だった。
一通り聞き終わると、ラヴィはそわそわとして皆に聞いた。
「それで……あの……王様は今どこに?」
*
いそいそと立ち去る美少女を見守って、マクサルトの民たちはニィ、と微笑み合った。
少年が老婆の支えになりながら、微笑んだ。
「いよいよかな」
「い~やぁ、ちょっと会いに来ただけかもしれないよ」
「もう離れたくなくなるかも!」
「……そうなるといいのにねぇ」
「王様、がんばらなきゃね!」
少年と老婆意外も、ウキウキピンク色の空気を出してあーだこーだと話し出した。
楽し気に次々とくっちゃべる仲間を、誰かが手を叩いて制した。
「ほらほら! なにボサッとしてるんだ!」
「でも……」
「でもじゃない! 宴の準備だ!!」
ひゃほー!!
「……」
ロゼはそぉっと船へ回れ右した。
はああぁ……つまんねぇの。原始の踊りとか踊らされたら堪んねぇからな。かーえろっと!
*
彼は滝と少し距離を置いたなだらかな丘の斜面に寝転がっていた。
貧しい大地にも雑草は逞しく生い茂っており、大分近くに行かないと草に隠れて見つけられなかった。
国中を乾いた風が吹き抜けていたけれど、ちょうど彼の寝転がっている場所は丘の起伏で風から守られていた。しぶとく入り込んで来る風は、そよそよと優しい風に変わって吹いている。
滝の水音が、微かに心地よく聴こえる。少し、肌寒い。
ラヴィはそっと彼に近寄った。
彼は両腕を枕にして眠っていた。
ラヴィは何故だか泣きだしたくなりそうな気持で、少し離れて彼の寝顔を眺めた。
金色の髪も、細身のしっかりした体つきも変わっていない。
顔は、頬が少しだけ削げたかも知れない。過酷な労働や貧しさの為か、それとも、大人になったからか。
多分両方だ。それでもラヴィにとっては好ましく見えた。
多少泥や埃に汚れていても日に焼けた肌は滑らかで、彼の若々しさが伺えた。
ひょいと片膝だけ立てているそんな何気ないところまで、ああ、バドだ!
ラヴィはもう、ほとんど涙ぐんで彼へ駆け寄り、傍に座り込んだ。
他者の気配に聡い彼が、直ぐに彼女の気配に気付いて目を閉じたまま、伸びをして言った。
「んぁ~っ……もう少し寝かせてくれよ、セレナ!」
*
ロゼの声が頭の中で木霊する。
―――浮気しまくってんぜ!
うひゃひゃひゃ……