オレってなんて可愛そうなの
おじさんはおじさんであるからして、お前が心配している様な事は万が一にも起こらない上に、レオーナだってもう少し大人になって分別が付くようになれば、おじさんなんて目にも入れないさ。だっておじさんだぞ?
実際はしどろもどろだったが直訳するとそういう様な事を、アスランはティルに言い含め「もう寝ろ」と、早々に話を切り上げようとした。
しかし、ティルは片目だけ細めてアスランを疑わし気に見る。
「おじさんはサ、レオーナの頑固さを知らないんだよ」
「レオーナは頑固なんかじゃないさ」
アスランは肩をすくめて答えた。
レオーナのどこが頑固だというのだ。
素直な良い娘だ。頑固ってのは、彼女の父親みたいなのを示すのだ。
ふん、と、ティルは鼻で笑った。しかし、この件に関しては自分の方がおじさんよりもよく解っているという事実に、少しだけ優越感を感じた。すぐに虚しくなったけれど。
「あー、オレってなんて可愛そうなの」
「なんでだ」
そんな事あるもんか、とばかりにキョトンと聞き返して来るおじさんに、ティルは「ははっ」と笑うだけにした。
こういう話をおじさんにしても、時間の無駄だって事が、ようやくわかったのだった。
あー、理解者もいない。オレってなんて可愛そうなの!
でもしょうがない。
きっと、見てる事しか出来ないんだ。
だって、レオーナは頑固だから。でも、ティルはそこも好きなのだ。
それから、一番に願う事はやっぱり、彼女が幸せそうに微笑む顔なんだ。
本当は、おじさんが自分に向けて言ったみたいに言ってやりたい。
―――レオーナを傷付けて見ろ、オレはあんたを慕う子供じゃなくなるからな。
*
でも、こんなのお門違いも良い所じゃないか!!
あー、オレってなんて……。
*
朝が来た。
店の床で目覚めたアスランは、いつも通り大きく伸びをした。寝る場所が固い床だろうが土の上だろうが、彼は一向に構わないし、堪えないのだった。
レオーナの眠る二階へ続く階段の前を陣取って眠りについたティルがいなくなっている事に気が付くと、ちょっとだけ階段を覗き込む様に見上げた。
―――ティル、レオーナの所に……?
その時の気分が、自分で少し理解しがたいものだったので、アスランは唇を引き結ぶ。
けれどすぐに店のドアベルがカラカラ鳴って、彼のそんな気分を吹き飛ばした。
朝の清々しい香りを纏って、ティルがドアを開け、床に両手をついて階段を覗き込んでいる態のアスランを見つけ、眉をしかめ目を細めた。
「何してんのオジサン」
「おお、おはよう」
「……なんで階段覗いてんの?」
邪なものを見る目でティルに詰問されて、アスランはホッとする。
彼の疑いがソッチで良かった。否、良くは無いのだが。
「イヤ、お前がいなかったから……」
二階に行ったのかな、なんて。
「ああ、鳥を飛ばして来たんだよ」
ティルはそう言いながら、パッと両手を空へ向けて開く動作をして見せた。開いた両手の先で、鳥が羽ばたいているかの様に。
イソプロパノールへの伝達の仕事をしっかりしていたのだな、とアスランは感心した。
アスランは誰よりも早起きに自信がある。
ティルは仕事の為にそんな彼よりも早く起きたのだ。
昨夜は遅くまで起きて酒まで呑んでいたのに。
意外と真面目なのか、それとも張り切っているのか。
「ごくろうさん」
アスランは微笑んで、彼に朝食を作る為に立ち上がった。
ティルは一緒にカウンターの中について来て、朝食の準備を手伝った。
と言っても、食器を準備するとか、出来たものを皿に並べる、とかだったが。
「やっぱりアイツら、もうここから消えてたよ」
「……そうか」
偵察まで行ったのか、とアスランは舌を巻く。
ティルは「二ヒッ」と笑って、
「オレの仕事、おしまい!」
と言った。
「……ちょっと物足んないケド……」
「いずれ厭でも入り組んだ事に首を突っ込む事になるさ」
「そういうんじゃなくてー、でっかい事がしたいんだよ」
アスランは吹き出して、そうかそうかとティルの頭を撫でてやった。
わかる。それ凄くわかるぞオジサン。
「子ども扱いすんな!」
「なんだよ……。いいじゃないかよ。さ、レオーナを起こして来てくれ」
「オレが!?」
「お前なぁ、昨日の話聞いた後に行きにくいじゃねえか」
それに、ティルには言えないあの事もある。
またあの雰囲気になったら、一体どうすれば良いんだ。俺は行かないぞ。
ティルは目を細めて、
「それって意識してるってコト?」
と、聞いて来た。
対してアスランは首を捻る。
「どういう事だ?」
今一含みが分らないアスラン。通常運転だ。
しかし、ティルにはギリギリ予測出来なかった返しだった挙句、オジサンの無垢な質問に答えるのは万が一でも何かのスイッチを押しそうだ、これは避けた方が良い、と判断し、彼は黙った。
「起こして来る」
「おお、喧嘩するなよ」
渋々階段へ向かい、ギシギシいう木の一段目に足を乗せた時、ティルはそっと振り返ってアスランの背中を見る。
オジサンはせわしなく動いている。けれど、その動きは悠々としていて、余裕を感じた。
簡素なシャツの布が、肩や背の逞しい筋肉に押し上げられているのを見ると、ティルは拗ねて来る。
父は細身だし、母は小柄だ。だから自分だって、あんな背の高い偉丈夫にはなれないだろう。
その点は、レオーナが小柄で助かったけれど……彼女との比率を気にしたってしょうがない。
だって、ああなれなきゃ、きっとダメなのだ。
視線に気づかれる前に、ティルはアスランから目を逸らし、階段を登って行った。
*
ティルがアスランの部屋へレオーナを起しに行くと、レオーナはまだシーツにくるまって眠っていた。
ついつい寝顔を覗き込んで、ティルは誰にも与えた事の無い優しい目を彼女へ向ける。
大きな枕に埋もれる小さな顔の周りを、新緑色の髪が覆っていた。
閉じた瞳の瞼の艶や、無防備な唇を警戒しながらも眺め、すべすべした頬に触れたがる手を、もう片方の手で止める。
「レオーナ」
呼ぶと、寝返りをうった。
なんだかいい匂いがした様な、しなかった様なで、ティルは慌てて彼女の意識を早くこの場に持って来なければ、自分の意識がヤバいと思った。
彼は度々この様な展開に遭遇していたが、誰にも打ち明けなかった気持ちを昨夜、オジサンに打ち明けた事で気持ちがいつも以上にハッキリ熱を持ってしまったので、今までの『度々』程冷静にはいられない、と悟った。
動揺と「あああ、これからどうしたらいいんだこんなの!?」で、顔を赤らめて、ティルは声を荒げた。
「レオーナ、朝だぞ!」
「……ん」
「起きろ」
躊躇いつつ、「いつもの調子」を意識して彼女の肩に触れた。
すると、レオーナがくすぐったそうに微笑んだ。
ティルはその愛らしさに息を飲む。
レオーナが夢の階段を降りて来ながら、囁いた。
「ん……おじさん……」
とても甘い声だった。
ティルの聞いた事の無い声で、彼女はオジサンを呼ぶ。
ティルは『ぐううぅ』と、胸中で呻いて、それでもめげずに「起きろー!」と喚く様に言いながら、カーテンを開けた。
朝日が、部屋の中へサッと満ちた。
すると、アスランの部屋に飾られた楯や勲章が、朝の光にピカピカ輝いて、ティルに更に追い打ちをかけるのだった。




