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記憶の端のエピソードー蜥蜴の果実-  作者: 梨鳥 
番外の番外―アスラン編―
20/22

酒の味

 階下のアーチから、ティルがぶんむくれてこちらを睨み上げている。

 アスランはレオーナとのやり取りを顔に出さない様に、顔をしかめた。


「人に向って、そんな顔するんじゃない」

「おせーんだよ」

「そういう口のきき方もするな」


 ちょっと不機嫌になってしまったのは、ティルのせいじゃない。

 んだよぉ、と怯んだティルの脇を通って、アスランはカウンターへ行き、酒を取り出した。

 店で出す物ではなく、自分用だ。


「呑むの?」


 ティルがカウンターテーブルに着いて、身を乗り出した。


「ああ。男と男の話すんだろ?」

「じゃあオレも」

「駄目だ」

「なんだよ! 言っとくけど、オレもう酒くらい呑むんだぜ」


 ティルの強がりに、アスランは「へっ」と笑った。


「酒くらい誰だって呑めらぁ、話中に潰れられたら困るだろ」

「潰れねぇよ!」

「うるせぇなぁ……じゃあ、ミルクで割ってやるよ」

「馬鹿にすんな!」


 息巻くティルを無視してアスランは酒をミルクで割ってやる。

 どうせ幾らも飲めやしない。

 酒が勿体無いから傷み始めた甘い果物をすり潰し、そうしてアルコールじゃないものを量増しして誤魔化してやる。

 割とオシャレなものが出て来て、ティルは「おお……」と表情を緩めた。


「一気飲みすんなよ? 話が終わるまでな」


 とことん念を押すアスランである。

 ティルは一口付けて「女が飲むヤツみてぇ」とグダグダ言ったが、結局気に入ったみたいだった。

 この店でアスランが出す物を気に入らない者は、中々いないのである。


「ほんで? 何の話をするんだ」


 自分のツマミを作りながら、アスランがティルに聞いた。

 ティルは「うん」と言って、椅子の上で尻を動かして姿勢を正す。


「実はさ……あの商人の話、オレ、ワザと騙されたんだよ」


 アスランは細い片眉を器用にピンと上げて、ティルを見る。

 ティルもそれを真似て片眉を上げた。こういう所は親に似て器用だ。


「交渉した相手は詐欺集団なんだ」

「……どこの」

「イソプロパノール」


 港の貿易国だ。ティルの両親の故郷でもある。


「最近、イソプロパノール以外の商人を騙してんだ。ここで」


 とん、と、ティルがカウンターテーブルに真っ直ぐ指を突く。


「……商人達を……? わざととは言え、お前みたいに騙される商人なんかいないだろう。そんな生易しい生き物じゃねぇぞ」

「うん、もう少し姑息な手を使う。時間に追われてる時に絡んで来て、美味い話を持って来きたり、困ってる時にちょっと手を貸して恩を売ってから、とか、そういうケチな方法で近寄って来るらしい」


 先頭に出て来るのは、いつも、違う顔。

 商人の仲間内で『気を付けろ』と伝えあっても、毎回顔が違えば特定しにくい。

 やり口もケチだがまばらだ。


「それに、パッとデカい事はしないんだ。オジサン、ここに住んでるけど知らなかったろ?」


 アスランは頷いた。

 毎日商人がやって来る飲食店を営んでいるのに、そんな話は聞いていなかった。

 そもそも、あまり聞き耳を立てる人間ではない上に、正義の人なアスランは、たまに持ち上がる「あっちを騙してこっちを煽り、ちょいちょい噛ませて皆そこそこに儲けを出す」と言った具合の商人たちの話など、あまり聞かない方が良い事の方が多いのだ。

 一度「けしからん」と引っ掻き回した事がある。

 その一連の金の流れに正でか邪かはわからないが、家具屋が噛んでいた。

 アスランが横やりを入れた事で、誰かが線を引き、それに肉付けしていった流れが乱れた。そして、次の資材の発注用に考えていた資金をその家具屋は掴み損ねた。

 次に仕入れるハズの資材は、孤児院から発注されていた、子供たちの新しいベッドだった……。

 孤児院はケチンボだ。ケチンボになるくらい金が無い。

 資材を仕入れる為の資金を前払いしたりしてくれない。

 実際に存在しないものに金は払えないのだ。

 おかげで、子供たちは新しいベッドを新調出来なくなり、家具屋の体制が整うまでギシギシと音を立てるボロベッドで我慢する事になったのだ。


 ……と言う事があってから、アスランは自重している。


 ―――新しいの作って貰えるって、楽しみにしてたんだろうなぁ……。ガッカリしただろうなぁ……。


 金の巡りと言うのは複雑で、奥深い。そして、金自身に意思が無いのがまた、やっかいな所である。


 さておき、どうもそういう流れを組まない集団である事がティルの言う「詐欺集団」という言葉で伝わった。

 要するにウィンウィンじゃない一本線の利益を踏んだ食っている。


「でも、子悪党臭いな。なんでまたお前が?」

「子悪党だからだろ」


 と、ティルがプッと前髪を吹き上げた。


「わざわざ大商人の母様が出て来る事も無い」

「て、事は、お前の母ちゃんに睨まれたワケでもないんだろ?」

「母様は煩わしい人間でもそうそう睨んだりしねぇよ」


 ティルが庇う様に言った。

 マザコンらしい。気持ちは分る。


「じゃあなんで関わる?」

「イソプロパノールの悪党だからサ」

「?」

「オレの爺様の縄張りを踏んじまったんだよ」

「爺様って……どっちの?」

「どっちって……決まってんだろ? 父様の方さ」


 ティルの祖父・祖母は、諸々の事情で父方も母方も国内以外の公には存在しない事になっているが、他国の者は特にそれを気にしない。彼の国は歴史あれど、三国間では最近のポッと出の国なのだ。

 その存在しない事になっている彼の祖父だが、母方の方はお上品なものだが、父方はそうはいかない。

 一度何やら「良い事含めの悪い事」をしにこの街へ来て、アスランの店に寄った事があるから、アスランは人となりを把握している。

 裏通りを明るく豪快に生き抜く豪胆な爺だ。アイツを育てただけある、とアスランは物凄く納得したのを覚えている。


「……なんだ……痴話喧嘩に巻き込まれたのか……」


 人物を知りつつ「痴話喧嘩」と言っておいた。

 好感しか持てない爺だったが、薄暗い所で起きる喧嘩なんか、アスランから言わせればみな「痴話喧嘩」だ。そう思いたい。


 ティルは肩を竦める。


「ま・ね。そう言っちゃえば……でも、ちょっとした事で手下が相当酷くやられたらしくて」


 ますますアスランの好きな話じゃない。やられたらやり返す? とんでもない。アスランは騎士だったのだ。どっかの若かりし頃(あんまり若くなかったが)の禿げ鷲じゃあるまいし。


 腕を組むアスランに、ティルはまた肩を竦めた。


「その手下の子供が攫われたんだ」

「……子供にまで手出して来たのか」


 アスランの耳がピクッと動いた。


「うん。元々イソプロパノールと、その貿易相手の国と両方を拠点にしてんだよ」

「ほぉ」

「で、子供を攫っては外国で売ってるみたいで。……まぁ専門じゃないみたいだけど」


 貿易の港国だから、間口は広いし、ピュッと海へ出ればオサラバだ。


「色々やってる子悪党ってワケか……面倒臭い相手だな」

「拠点がどこの国にあるのか分からない」


 出来るだけ出向数が多い時に、堅気の船に紛れ乗るのも巧い。

 それにしても獲物の量が量だ。

 もしかしたら口裏を合わせる仲間がいるのかも知れない。


「今イソプロパノールと繋がってるデカい港は五つ。そっから出入り口を細かくすると三十六。まぁ、細かいのは港を特定すれば減るとして……」

「虱潰してる時間は無いワケだな」

「そそ、そういう事。手下の子供が売られちまう」


「そうか……言葉で特定出来ないのか?」

「姑息な奴らがそんなヘマすると思う? 姑息なんだってば」


 イソプロパノールで叩いても、全部潰せない。子供は多分もう、拠点に流れて行ってしまっている。何とかして仲間をとっ捕まえて、拠点を吐かせたい。


「で、お前は一体何の為に?」

「トスカノの工芸品なんか、『お前この装飾品、悪さしてぶんどって来たヤツだろぉ』なんて言われても、印でもついてるんでるんですか? で百面相面の皮厚く逃げちまうに決まってる。でも、マクサルトの織物なんか、頻繁に出ないだろ?」


 トスカノの工芸品だったら零れ落ちる程ありふれている。

 けれど、マクサルトの織物はそうじゃない。


「最近卸して無かったし、今の時期港で見かけたらソイツ等がホシだよ」


 悪党がどこかで入れ替わり顔を変えたって、マクサルトの織物は柄や色を変えたりしない。

 トスカノの工芸品で、特定の物をティルの様に相手に掴ませておく手はあるが、時間が掛かるし他国を巻き込みたくないというところか。


「目印ってワケか……」

「そう。オレの役目はここまで。朝には伝達の鳥を飛ばす。キレーなおネェさんの特徴やら、取り巻きの数や、使ってた馬や荷台の特徴なんかを書いてね」


 平原と丘を越えて荷を引く馬よりも飛ぶ鳥の方が数段早い。

 ましてや、ティルの使う鳥は愛妻家で、愛する者へ向かって飛ぶ習性があるのだ。

 ちなみに今回ティルが使う鳥は、数か月引き離されていて我慢も限界の鳥である。

 もちろん、最愛の妻はティルの祖父に可愛がられている。

 鳥はストレスで禿げるのだ。

 ティルの鳥は、妻には会いたいし、禿げる訳にもいかないのだった。


「いや、ちょっと待てよ。道中やイソプロパノールで関係ない商人に売っぱらっちまうんじゃねぇか?」

「アレ、オジサン知らないの? マクサルトの織物は海の向こうで価値が上がるんだ。なんてったかなー…『ご利益』?」


 マクサルトは夢幻の理想郷として噂されていた。

 その土地で織られた布に、そういう見方をするのは人の性であり、そういう売り方をするのもまた、人の性だ。



「向こうでふっかけ言い値で売れるモンをさぁ、目利き値切り出来る商人なんかとやり取りするワケないだろ? 海の向こうに拠点持ってんだぜ?」

「へぇ……そういうもんか?」


 どうやらティルは、レオーナが言うよりもずっとデキるのかもしれない、とアスランは見直した。


「でも、詐欺して仕入れて来たものを持ち歩くのは、リスクがあるだろ?」

「なんの?」

「だってホラ、バレるじゃねぇか」

「誰に?」

「え……なんだよ……」


 ブッとティルが吹き出した。


「こっちの考えなんか、向こうは知らないんだ。アッチはそんな警戒してねぇよ!」

「ア……そ、そっか」

「そうそう! いつも通りの仕事中に、デカくてアホなカモが来てラッキーぐらいにしか思ってな・い。最初に言ったけど、巧妙だけど小物集団なんだってば!」


 ティルはそう言うが、海を跨いで「小さな悪さ」とはちょっと引っ掛かるアスランだ。

 それに、子供を攫って売買は専門外と言えど、小さい悪だろうか?

 本当に小物集団なんだろうか? 

 ティルは何か隠されて(・・・・)いるのかも知れない。それとも……彼を侮れなくなって来た……アスランにも話の端っこしか明かさないつもりか?

 どちらにせよ、この役はティルにおあつらえ向きだったんだろう。

 若い、世間知らずそうな、それでいて、はねっかえりそうな……パッと見、大いにカモだ。

 それから、本当にそれだけの役目ならまず危険は無い。

 ティルは、レオーナが言った通りに上手く演じた(・・・)

 あとは鳥を飛ばすだけ。ティルはそう言った。


 ―――丁度いい社会見学といったところか? お前もそろそろ悪い奴(ゲス)の顔拝んどけよってな……? 


「まぁ、今後どう流れるか知らんが、もうお前は関わらないんだな?」

「うん。後は爺様が上手くやるさ」


 イソプロパノールで締め上げて海外の拠点を吐かせるか、場所まで泳がせて尾行するか……。どっちが固いか分からないが、まぁ、悪い奴等同士の喧嘩は専門に任せよう。

 特に手助けを乞う様子では無かったので、アスランはそう思った。


「ん」とティルも頷く。彼がどこまで、どういう風にこの任務を受け止めているかは聞かない事にする。悔しい思いや情けない気持ちをわざわざ引き出してしまうとか、気付かせてしまうとか、そういう目に合わせるにはまだ少し若いし、親がどういう考えかもわからないのにアスランがしゃしゃり出るのも気が引ける。

 この事が、ティルのちょっとした自信になればいいだけの話なのだから。


「家出なんて言って……」

「レオーナが勝手について来たんだ! 事情も知らずにさ! だからそういう事にしといてよ」

「レオーナは何も知らないのか」

「オレんチの事なんだ。チンピラの話なんか……知らなくてもいいだろ?」


 ズズッ、と切れ悪くティルはミルク酒を飲む。

 ドアを蹴飛ばして、レオーナの横で悪戯そうに笑っていた少年じゃないみたいだ。


「そうだけどそんな風に言うなよ」

「う~ん……オレは複雑なんだ……」


 アスランはカウンターテーブルに頬杖を突いた。

 どうやら、本題に入ったみたいだ。

 まどろっこしいが、今の話全部、アスランに明かしたのはそれが本題に溶け込んでいるからだ。端折ればいいものを、きちんとほとんど説明したのはアスランへの信頼と、「オレ、こんな事出来るんだぜ」と……きっと色々だ。


 ―――これから話を聞けば、わかるのかも知れないな。


 デカくなったよ。安心しろよ。


 アスランは、目の前で何か打ち明けようとしている少年に、目を細める。元々細いから、微笑んでいる事に気付かれたりしない。


 ティルが口を湿らす為か、もう一口カップに口を付ける。

 アスランは穏やかにそれを見守った。

 ふと、思う。


 どんな味覚で飲み込んでいるんだろう。

 そのものの甘さだろうか。それとも少し苦いのだろうか。


 そしてそれを、素直に教えられる相手はいるのだろうか。


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