会いたい
「マクサルトへ行きます」
ヌイヤーマを発ってすぐ、ラヴィは宣言した。
ロゼはひょいと眉を上げ、「へぇ」と声を上げた。
「『セーロ玉』という万能薬のある国があるのを、以前何処かで聞きましたよね!?」
「あー……、あったっけかな」
ありました。と、大きく頷いて、ラヴィは旅先で手に入れた貴重な世界地図を広げた。
世界地図と言っても、途中書きだ。世界の縮図を全て紙上に収めるには世界は広く未知過ぎて、描いた人物の時間が足りなかったからだった。
「現在地より北東です」
「マクサルトのほぼ真上な」
ロゼはラヴィの指差す地図を見て、腕を組んだ。
ラヴィの言っている『マクサルト』のある大陸の北西に大きな島があり、『セーロ島』と記載されている。
世界は今のところラヴィたちの常識では西の大陸と東の大陸に分かれていて、セーロ島は東サイド側に描かれているが、東サイドの国との国交は無かった。
ちょうど向き合うマクサルトとの間の海が東サイドへの門になるのだが、そこが酷い荒れ海なのだ。
その為、セーロ島の情報は西の大陸にしか広まっておらず、東の大陸育ちのラヴィたちは西の大陸を訪れて「じゃあまずセーロ島だった」とちょっと後悔したのだった。
「そ、そろそろ船の燃料も買わないといけません。『セーロ玉』なら高く売れます」
「金ならこの前俺様が仕留めた竜の鱗でしこたま儲けただろぉ」
俺様、を強調してロゼがふんぞり返った。
「俺様の稼ぎじゃ満足出来ねぇってか、コノ、守銭奴め」
「いえ、いえっ、それは今後の軍資金に回す予定で……って、待って下さい、竜の弱点を見抜いたのはわたくしでしたよね!? それまでロゼさん、絶体絶命でしたよね!?」
「……マクサルトの傍を通るから、ついでに寄るんか」
ラヴィの巻き返しに雲行きが怪しくなるのを恐れて、ロゼは彼女から顔をそらすと、話を元に戻して自分の絶体絶命だった話題をうやむやにした。
ラヴィはホッとした様にこくこく頷いた。
「……はい、はいっそうです!」
「へぇ~」
「つ、ついでです!」
「ほぉ~」
「げ、元気にしているか、気になりますよね!?」
「全然。死ねばいいのに」
ロゼはつれない。
「ロ、ロゼさんの故郷にもよりません?」
「いいって。あんたが船長だろぉ、勝手にしやがれ」
ラヴィはパァっと顔を輝かせて「ハイ!」と微笑んだ。
なのでロゼはつまらなそうに下唇を突き出して、デッキへ出て行った。
*
船はのんびり飛んでいたので、デッキには優しい風が吹き抜けている。
ロゼは暖かな日の光に目を細め、北東を眺めた。
大地は広く、決まった目的地はまだずっとずっと先だ。
アイツと別れてから、一言も「行こう」なんて言わなかった癖に。
「マクサルトか~。まだシケてんだろな~」
ロゼはそう思って腕を天に上げ、伸びをした。
途端、船が急に速度を加速させた。
「うぉぉぉ~!?」
加速時の船体の揺れと急に押し寄せる風に倒れそうになり、ロゼはかなり慌ててマストの柱にしがみつき、ため息を吐いた。
たくよー、素直じゃねぇな~……。
世界で一番素直じゃないヤツが、そう思った。
*
マクサルトへ向けて、ぐんぐんガリオン船は飛んだ。
ラヴィはいよいよマクサルトのある東の大陸が見えて来る頃、真剣にチョコレート作りを始めた。
そうして渾身のチョコレートを作り上げたら、ラッピングだ。
ヌイヤーマのチョコレート店からラッピング用の箱を買って来たので、彼女は特に良く出来た数粒を慎重に詰め、ふぅ、と息を吐いた。
それから、店で貰った不思議な紙を大事そうに箱に添える。
匂いに慣れたと言うよりは、鼻がマヒしてしまったロゼが、それを横目に眺めていて首を捻った。
「手紙だろぉ? なんにも書かねぇの?」
この質問は多少がっかりした調子でされた。
ロゼは目ざとく箱の傍に置かれた紙を早くから見つけていて、書いたらすぐさま取り上げて大声で朗読してやろうと思っていたのだった。最低である。
ラヴィはその魂胆に全く気付かずに、ふふふ、と笑うと
「これは魔法の紙なんです」
「魔法の紙?」
「はい。こうして切れ込みの所から半分にして……お互い持っているんです」
ほんのり頬を染めて、ラヴィ。
ロゼは胡散臭そうだ。
「ふん?」
「そうして、なにかメッセージを書くと、もう一方の紙にもそれが映るんだそうです」
「マジか。そりゃ売れそうだぁ」
「……え?」
ラヴィの反応にロゼは目を見開いた。
「嘘だろ……仕入れてねぇの?」
ラヴィは「やってしまった」という顔を真っ赤にしながら俯いた。
「サービスだったので……自分用にしか……」
「マジかぁ~! テメ、浮かれ過ぎ~! 幾つ貰ったんだ」
「に、二枚です……」
「おまけ」に貰って使い方を聞いて、感動して終わってしまった。
確かに、何とか交渉して手に入れれば、ロゼの言う通り良い商品になる代物だ。
普段しっかりした彼女らしからぬ行動に、ロゼは呆れてソファに突っ伏した。
それから手をラヴィに差し出した。
「見せろ。そのクズ紙を」
「え、は、はい」
ロゼはラヴィの手からピッと一枚取り上げると、躊躇なく半分に裂いた。
「ああ!?」
「一方に書くのか」
そう言いながら、ロゼは手近にあったペンを手に取り紙に「アバズレ」と書いてしまった。
「絵もイケるのか?」
ロゼはそう言って、「ラヴィちゃんのデカぱい~」と、駄々草に女性の胸らしき絵を描いた。
程なくして、もう一方の切れ端にも「アバズレ」の文字と、いびつなおっぱいが浮かび上がる。
「ああああああっ……」
「おお、スゲー」
「酷いです! 一回キリなんですよ!」
「もう一枚あるんだろぉ?」
「そうですけど、そうですけど!!」
「バドにやるんだろぉ~、向こうも発情期だといいなぁオイ!」
「……っ」
「あ、チャラいアイツは年がら年中かぁ~、今頃浮気しまくってんじゃねぇ? ひぇっひぇっひぇっ」
純真そうな童顔を、本性のまま歪ませてロゼが笑った。
途端、ピカッと視界が光ったが、ロゼに後悔は無かった。
*
ガリオン船は高速で飛んでいたので、デッキに出るのは止めて、大人しく自分の部屋と決めた船室に入り、ラヴィはふぅと溜め息を吐いた。
「そんな事、無いですよね?」
大事に胸に抱えたチョコレートの箱に、ぽつりと言葉を落として、彼女は優し気な眉を寄せた。
ロゼさんの言う通り、わたくしもバドと初めて出会った時……初対面の印象はええと……なんて言うのだったかしら……確か……チャラい。そう、チャラいって思ったのだわ。
でも、本当はそうじゃない。わたくしは知ってる。本当の彼を……。
ラヴィを旅に送り出す時、彼は彼女を抱きしめて彼らしくなくおずおずと言ったのだ。
『たまに、会いに来てくれる?』
普段なら、「また来いよな! 会いてぇよ~」とかそんな風に言うのに、肝心なところで……。
でも、それはわたくしにだけよね?
それからラヴィはふと思った。
―――「たまに」って、どれ位の期間を指すのかしら? 二年は早い? 遅い?
―――早かったら、どうしよう。
―――遅かったら、どうしよう。
丁度良い期間はどこかしら?
ラヴィはずっと前からこの質問を胸に繰り返している。
答えは当然無くて、いつもしゅんとベッドに入るのだけれど、今日は違う。
彼女はベッドサイドに置いた綺麗な箱を見る。
―――作ったのだから。
うん、とラヴィは独り頷いた。
―――渡しに行かなくては。
そうだそうだと頷いて、ラヴィはベッドに潜り込んだ。
彼女は背中を押してくれる物がずっと欲しかった。
そして、彼女にとってとても良い形でそれは現れた。
ラヴィはかけ布団と枕の隙間から、ベッドサイドに置いた綺麗な箱をもう一度確認する。
そこにはラヴィの大事に温め続けていた想いがたくさん詰まっている。
―――朝にはマクサルトの目の前を飛んでいるでしょう。
バドは驚くかしら?
少し大人になっていたりするのかしら?
わたくしは、バドにどう見えるかしら?
たくさんお話したい事がある……。
それから、たくさん聞きたいの……。
貴方が頑張った話。辛かった話。嬉しかった話。
……でも。
ラヴィは目を閉じ、寝返りをうってチョコレートの箱に、背を向けた。
―――再会を喜んでくれるのかしら?