アスラン、良くわからない
カウンター越しに目をキラキラさせてこちらを見ている少年少女の為に、野菜と肉の切れッ端を、ディナータイムに残ったスープに突っ込みぐつぐつ煮込む事にした。
育ち盛り二人を前に、それでは心もとない気もして、パンを薄く切り、香辛料を漬けた油を振って焼いてやる。
そうしていると勝手に身体に調子が付いて、根菜のサラダやちょっとした揚げ物まで「うおーっ」と、作ってしまうアスランだった。
チャキチャキ動きながら、「で? どうしたんだ」と問い詰めるのも忘れない。
彼の質問に、少年がカウンターに頬杖をつきながら答えた。
「ここに国の織物を売りに来たんだよ」
「母さんの飛空船でか」
「馬でなんかやってらんないよ。ここまでどんだけかかるんだよ」
少年はプッ、と前髪を吹き上げるとカウンターテーブルに肩頬をつけてだらけた。
騎士団長を務めた年配の前で、いい度胸である。
「腑抜けてんな~。『自分を試す』とか言って無かったか?」
「オレは~、運搬法より、商法を見て欲しいワケ」
へぇ、とスープの火加減を見ながら、気無しに返事をするアスランに、少女がカウンターから身を乗り出した。
「何が商法よ! 聞いてよオジサン。ティルったら勝手に持って来た織物全部詐欺られちゃったのよ!」
「ああン!?」
「バカ! レオーナは黙ってろよ!」
「バカとは何よ!」
レオーナがティルと呼ばれた少年に、噛み付く様に声を荒げた。
ティルは両耳を塞いでそれを受け流すと、こちらも噛み付く様に言い返す。
「詐欺じゃねーの! 明日到着する麦と油を持って来るって言ってたろ~?」
「明日も明後日も麦の一粉も貴方の手元に来ないったら!」
ティルはそれに対して「ハァ~?」と高い声を上げる。
「お前なぁ、人の良心は信じろよ」
「何言ってるの! 貧乏くじ引くに決まってるんだからね!」
「お前ら、相変わらずウルセーなぁ。腹減ってイライラするんだろ。ホレ、ホレ」
アスランはそう言って、言い争う二人の前に料理を盛った器をドンドンと出して二人を黙らせた。
二人はアスランの見立て通り、腹が空いてイライラしていたので、彼のふるまいに飛びついた。
「おいひー」
ティルが大人ぶるのを忘れて口いっぱいに食べ物を詰め込むのを、微笑んで眺め、アスランは明日の仕込みを始めた。
多分、いつもくらいに早起きが出来ない気がして。
なので彼はこうして明日の仕込みをしながら、のんびり話を聞いてやろうと思ったのだった。
「で? 織物を渡しちまった奴等とは明日の何時頃待ち合わせなんだ?」
「ん・ん~と……昼? 商隊が昼前にここに着くらしいから」
「へ~。お前、ちゃんと取引をした証明みたいなの貰ったか?」
ティルは頬を食べ物で膨らませながら、首を捻った。
「お前母ちゃんからナンモ教えて貰ってねぇのか?」
ごくん、と少年の喉が鳴る。
隣でスープをホクホク啜っていたレオーナが、大きな瞳を細めて彼を睨んだ。
「教えて貰っても、全ッ然聞いて無かったのよ、おじさん。商いに行きたいばっかだったもの!」
「レオーナは喰ってろ」
またいがみ合うと煩いので、アスランはピシャリと彼女を黙らせた。
レオーナはちょっと驚いた顔をして、唇を尖らせ、瞳を潤ませる。
「ごめんね」してあげたいところだが、ティルの話が先だ。
もしもティルが詐欺にあっているのなら、彼の国には多少なりとも痛手だろうから。
「引き換えの証書みたいなの貰ってねぇのか」
「ない」
「そもそも、なんで明日まで待たなかった?」
「……それは……その……」
「オンナよ」
ブスッとして、レオーナが低い声を出した。
アスランは眉を寄せて、ティルを見る。
ティルは初めて気まずそうに、アスランから目を逸らす。
「オンナ?」
「そ。相手はすっごく美人の商人だったの」
「……ティル……。要するにお前、カッコつけたな?」
「ち、ちげぇよ! 明日もいるか心配されたから……」
「だからカッコつけて先に渡したんだろ」
「カッコつけたわけじゃ……」
「ティルのバカ!」
「なんだと!!」
レオーナの一言で、ティルがドン! とカウンターテーブルを拳で打った。
怒り方だけはいっちょ前で、アスランはちょっと笑った。
「止めろティル。まぁ、やっちまったモンは仕方ねぇから、明日を待とう」
「バカって言った」
「バカだもの」
この野郎、とティルがレオーナに手を伸ばした。
ティルが彼女を本気で痛めつける事は無いし、そんな事をする様な男でも無い事を分かっていたが、アスランは彼がレオーナに触れる前に俊敏に動き、二人の間に包丁を突き立てた。
ティルが動きを止め、ノロノロと行先を失った両手を上げる。
ふふん、とレオーナがそれを見てツンとした。
「お、おじさ~ん……」
冗談だろ、と呟くティルを、アスランは睨み付けた。
いつもは穏やかな細い目が、更に細くなって鋭く吊り上がっている事に、本人は全く気付いていなかった。
「……レオーナに乱暴してみろ。オジサンはお前のオジサンじゃなくなるからな……」
「わかった、わかったよ。ちぇ、レオーナにばっかり甘いんだからな!」
「お前にも十分甘いわ!」
ティルが平らげた皿を包丁の先で示しながら、アスランが言うので、ティルはニッと笑った。
「じゃあさ、今晩泊めてくれるよな?」
「あぁ? 狭いぞ? 雑魚寝だぞ? 船の方が……」
「オレだって船のベッドの方がいいやいっ。でもレオーナが嫌がるんだ」
「色ボケのティルと二人で寝るのなんかイヤ!」
このレオーナの言葉に、アスランはうっかり吹き出して、睨まれた。
ティルは鼻の頭に皺を寄せて、親指でレオーナを指し、うんざりした様に、
「な? アホだろ? こんな事言ってるんだぜ?」
アスランは堪えられなくてひとしきり笑った後、むくれるレオーナの新緑色の頭を「悪い悪い、ませて来たな~」とグリグリ撫でた。
つい最近まで赤ん坊だったのにな~。男に危機感持つ様になるなんて……。
オジサンは寂しいぞ。
そして、俺はそんな劇的な変化の間、一体今まで何をやってたんだ……。
なんで未だに一人なんだ……。
「レオーナ、俺のベッド、くっさいぞ?」
アスランは綺麗好きなので、ほぼ毎日シーツを変えるし、ベッドのマットもしばしば「うおおおーっ」と外に担ぎ出して干す。バンバン叩く(彼はいつも元気いっぱいだ)。
なので、そんなに臭くないハズだ。
でも、かぐわしい十代の女の子がどう感じるかなんてわからないので、一応念を押す。
綺麗好きのオッサンでも、オッサンだ。
存在するだけで良い匂いの女の子には到底敵わないのだ。
「オジサンの匂いなら……平気」
「そ、そうか……?」
思いがけない熱の籠った返事に、アスランは戸惑いつつも頷いた。
―――家族みたいに思ってくれてるんだな。オジサン嬉しいぞ!
今度はティルがむくれているのに気付かずに、
「レオーナは大丈夫だから、船で寝たかったらお前だけ戻ったらどうだ?」
と、親切心いっぱいでアスランは提案する。
すると、ティルが目尻を釣り上げた。
「お」と、思う程に、視線に力を込めて来るので、アスランは首を捻る。
「なんだよ、別にレオーナだけ甘やかそうってワケじゃ」
「ちげぇよ、……オジサンも男だから」
「? 女に見えるかよ?」
「……オレもここに泊まる!」
「??? お、おう? 泊ってけ」
何が何だかわからないアスランだったが、かくして『ジージョとまだら鳥亭』の夜が賑やかに更けて行くのだった。




