もなかたち
ある時、巡り逢った少年と少女が、冒険をした。
数奇な運命に翻弄されながら、二人はお互いに持っているものを分かち合った。
それは上手く混ざり、いつしかお互いを癒着させた。
その証明と誓いをこの世に宣言する時が来た。
空は高く晴れ渡り、風も全てを清める様に吹いている。
お互いの晴れ着の眩しさに、くらくらする様な誇らしさで破裂しそうになりながら、ラヴィとバドは向かい合い、地面に敷かれた黄土色の絨毯の上に座った。
この絨毯を敷く場所を決めるのに、オバアと風水を尊重する年長者達は随分迷った。
なにしろマクサルトの歴史に残る式だ。良い場所で無くてはならない。
それに、民の皆が今後そこで誓いをあげるのを夢にする様な、そんな場所が良い。
場所はアルベルト・クチャラの良く見える、小高い丘の上に決まった。
かつてのマクサルトにあった様な、幾つもの段々に囲まれた祭壇はまだ無理だけれど、いつかここがそういう場所になる事だろう。
向かい合うバドは、穏やかだけれど少し厳しい顔つきで二人の傍で誓いの信仰を進めるオバアの言葉に頷いたり、答えたりしている。その様子は威厳を感じさせて、彼という人が背に背負える容量をうっすらと見せ、ラヴィの気を引き締めさせた。
ラヴィは珍しくニヤニヤしていないバドの顔を見て、『別人みたいだわ』と思い、それからふとその思いに心の中で笑った。
―――いつかも思ったわ。そして、もっと知りたいと思った。
―――あの時はそれを半ば諦めていたけれど……。
何が好き? 何が嬉しい? 何が欲しい?
これからどんどん知って行けばいい。
受け入れられない事もあるかもしれない。
でも、万が一そうなっても大丈夫と思わせてくれる。
きっと、柔軟に許し、耐え、尊重し、愛すれば。
だって彼は既にそうしてくれているし、ラヴィはそれに満足しているのだ。
オバアがラヴィとバドの手を取って重ね合わせた。
「出逢って苦楽を共にし、恋に落ちるまでは楽しいことです。でも、愛になり、共に生きると決めた後の方が長いのです……うんとうんとですよ。甘い楽しみだけではないでしょう。時には、続く平坦さに心乱されるかもしれません。死までの長い時間を常にお互いへの責任を意識しながら生きられますか?」
参列していたロゼが、アスランの横で『ゲ、俺ぜってぇヤダ』と小さく呟いた。
「なんでだよ。お互いに恥じない様に、自分を大事にして生きるって意味だろ? 素晴らしいじゃねぇか」
「そうかなぁ~? なんか重くないですかぁ?」
「軽くてどうするよ。生きる事は重たいんだぞ」
「でもなぁ……面倒くせ」
シッ、とロゼを制止した後で、アスランはハッとして呟いた。
「これは結婚に限った事ではないかもしれない」
アスランは小声でそう言って、ロゼの首の後ろ側の襟をワシッと掴むと、強引(彼にその自覚は無い)に自分の方へ向かせて細い目をキラキラさせた。
「俺達も誓おう。『死までの長い時間、常にお互いの責任を意識しながら』……」
「はぁ!?」
なんかわからないけど、その日二つの誓いが固く結ばれたのだった。
*
晴天。
高く高く風が舞い上がる。
その風は優しくは無い。御するのに難しい気難し屋の風を捕まえて、一羽の大鷲が飛んでいる。
それを眩しそうに目を細めて見上げているのは、明るい金髪を風に乱したバド。
もう彼は自分の夫だというのに、ラヴィは食い入る様に彼を見詰め、胸を締め付けさせる。
彼の瞬間一つ一つが、失われて行くのが辛い。
全部、留めておきたい。
―――でも、貴方の次の瞬間に焦れながら照準を合わせているわたくしもいて、もうどうしたらいいのかわからなくなる……。
そうなると胸の中が火照る反面、ゾクリとする手にゆっくり絞られるよう。
絞られたそれが、どうしようもなく瞳に上がって来ようとして、ラヴィの顔は歪んでしまう。
―――『どうしたの?』と貴方は聞いてくれるけれど、ああ、一体どうしたのか知りたいのはわたくしの方。
幼い少女時代に胸をときめかせたラブ・ストーリーで、恋人たちが『時よ止まれ』と願うシーンや、愛しい人が目の前にいるだけで涙ぐむシーンをラヴィは思い起こす。
『もしかしたら』を夢見て読み進めた物語たち。
でも、それらに対し思っていた解釈では気持ちが当てはまらなくて、ラヴィはセオリーに添えない自分の感情に対して遺憾の意だ。
―――ええ、そうよ。『時よ止まれ』だわ。でも、『幸せすぎて』や『今生の別れだから』とは少し違う。彼を視界に入れてしまうと、どの一瞬も失いたくない。ただ、それだけ。ただそれだけで、涙ぐんでしまう。
バドが口笛を甲高く響かせて、大鷲を呼んだ。
大鷲はひゅんと旋回して飛んで来て、彼の腕にとまり、甘える様に頭を擦り付けた。
バドの腕でバランスをとる為大鷲が羽ばたく度、翼で彼の笑顔が隠れたり見えたりする。
ラヴィは大きな瞳を知らず微笑ます。そして、何故か口元だけが変に歪んでしまいそうになるのを堪えた。
わたくしも、ああしたい。
それから、望み過ぎでなければ両腕でしっかり抱いて。
わたくしを、安定させて。
そうしたらようやく、愛と幸せがわたくしを包むの。
ああそして、またわたくしは貴方の一瞬一瞬に―――更に高ぶる。
本当に、どうしたらいいの?
一つの「これ」と判るものならまだしも、数多の混沌とした強い自分の感情に、常に穏やかさや自制を好む性質のラヴィは耐えられない。原因が確約された愛だとたとえ解っていたとしても、自分を見失うのをなかなか受け入れられない。
なので彼女は、バドから視線を逸らして自分のガリオン船へ目を向けた。
「そ、そろそろ行きます」
「……お~……」
大鷲の体に隠れた向こうから、「ガンバッテ……」とポツリと聞こえた。
「バドも、がんばって下さい」
「オレ、やっぱ寂しいかも」
「バド……」
「でも、そう言ったら留まってくれる女の子なんか詰まんねぇやって思う」
ヤッ、と大鷲を空へ飛び立たせて、バドがラヴィに「ケケケ」と笑いかけた。
「なぁ、オレの事抱きしめて!」
「えっ?」
「ギュッてしてくれよ! オレを安心させてくれいっ」
ラヴィはバドの素直さには毎回ハラハラさせられてばかりだったけれど、今回のは今までで一番極め付けだった。
でも、薄々気付いてはいる。
一番必要な事なんじゃないかって。
会いたいと思った。でも、怖気づいて迷い、不安だった。
聞けないと思った。とても苦しかった。
自分にはふさわしく無いのかと、思った。悲しかった。
言えないと思った。自分の夢と希望を。とても後ろめたかった。
真っ向から許される愛に戸惑った。不安定に揺れたまま、地盤に安心していたのかも知れない、今さっき、心はその場しのぎの逃げを見せた。
それら全てを救ってくれたのは?
オバアは言った。「この先はとても長い」と。
それから、小さな声で付け足したのだ。「振り返れば、一瞬だったけどね」と。
ラヴィは恐る恐るバドを抱きしめる。
自分よりずっと大きくて逞しい身体をしているのに、こうして欲しがるのはなんだか可笑しくて可愛くて、とてつもなく愛しい。
「とても長く」て、それでも「一瞬」という不思議で貴重な時間を、大事にしたい。
なにせ加えて、ラヴィは空の旅人なのだ。
「あの、わ、わたくしも」
ラヴィがそうねだると、バドが「アハッ」と笑って躊躇なくラヴィを抱きしめた。
ラヴィはバドの胸に頬を寄せ、「ああ、やっぱり全部がここにあるのね」と確信すると、心が軽やかに踊った。彼女は彼を見上げ、自然に「アハッ」と笑った。
バドにとって、随分罪作りな笑顔だった。
彼は何度目になるか忘れてしまったフレーズを心で叫ぶ。
『降参だぜ、ラヴィ!』
*
大空に恋焦がれ、そうせずにはいられない様にガリオン船が空へ浮かび上がった。
ラヴィが小柄な体を精いっぱい大きく動かして、地上に残るバドに手を振った。
バドは「勝てねぇなぁ」という顔で手を振り返した。
太陽の光の逆光で、彼女の顔が影に黒く塗りつぶされた。
でも、バドには光も影も無視してラヴィの笑顔が見える。
「オイオイ」と突っ込みたくなる程あっけなく船は軽やかに早く飛び去って行き、バドに乾いた風が絡みついては悪戯に吹き抜けて行った。
バドは「へへっ」と小さく笑うと、ぐいと空を見上げ、瞳を輝かせ、口笛を鋭く吹いた。
ガリオン船を途中まで見送っていた大鷲がすぐさま戻って来て、バドの差し出した腕にとまった。
「ラヴィも口笛で戻って来たらいいのにな! セレナ、お前は可愛いなぁっ」
『当たり前デショ』とばかりに身体を揺するセレナに微笑んで、擦り切れたズボンのポケットに手を突っ込むと、ラヴィがくれた小さな紙切れが指先に触れた。
これに文字を書けば、紙切れの片割れを持っているラヴィにそれが届くのだと言う。
「ホントかよ?」
指で抓んで紙を覗き込むと、甘いチョコレートの匂いがした。
ガリオン船でした、チョコレートまみれのキスを思い出す。
唇も舌も吐息も、ラヴィの全部が甘かった。
スルッとすり抜けて行きそうな彼女を、手放すもんかと思った。
「ホントにサ、危ねぇ方、危ねぇ方へ行こうとすンだよな! ……あ~、やべぇ、ナニこの匂い、脳みそくらくらする」
バドが紙切れに鼻をくっつけていると、セレナが嘴を突き出して来た。
「おっと、へへへ。俺からなんか取り上げるなんて無理なの!」
バドはそう言って、セレナの背を撫でると、彼女を空へ羽ばたかせた。
それから、自分の国を振り返る。
そこは、乾いた風の吹く、荒れた固い大地。
皆はラヴィの送迎を既に済ませて最後は水入らずにしてくれたから、バドはガリオン船のいなくなったその場にたった一人。
正直、先は見えない。
けれど、いつだってそうだった。今更、怖がらない。
「見えねぇなら、描くまでサ」
彼は口の片端だけ釣り上げて、集落へヒョイヒョイ、と歩き出す。
右頬の奥が、妙に疼いた。
*
「おまいらなぁ~、いつまでイチャコラしてんだよぉ! 日が暮れちまうかと思ったわ!」
「な……っ!? み、見てたんですか!?」
「赤くなるとか止めろぉ! 見てねぇわ! 見たくねぇわ!!」
ぴぎゃーっとロゼの頭の上でアルベルトが鳴いて、何を意図しているのか小さな翼を羽ばたかせた。
ラヴィはそれを見てくすりと笑った。
「結局、仲良しですね」
「冗談じゃねぇ」
「離れがたくて連れて来たんじゃないんですか?」
「コイツが離れたがらねぇだけだぃ! 笑うな!! 蹴っ飛ばすぞアバズレ!!」
そんな、青筋を立てて怒らなくていいのに……とラヴィは呆れながら、既に見えなくなったマクサルトの方角を暫く眺めた後、リクライニングチェアにごろりとしてくつろぎ出したロゼの傍へ行き、しゃがんで彼の顔を覗き込んだ。
「んだよぉ、まだ何かぁ~?」
「ふふふ、なに身構えてるんですか。ロゼさん、改めてですが、これからもよろしくお願いします」
アスランとマクサルトで再会した時ラヴィは、ロゼが船を降りて、アスランとトスカノへ帰ってしまうのではないか、とちょっと心配だった。
けれど、ロゼはアスランと行かずに船に残ってくれた。
ラヴィはロゼもこの船の旅が好きなんだ、と初めてわかって嬉しかった。
やっかいな男だけれど、長く一緒にいれば息も合う……否、全然合わないけれど、頼りになる……かと思えば肝心なところで居なかったりするけれど、一緒にいると楽し……くなんか全然なくて、むしろ不快指数の方が高いけれど……。
―――? どうしてわたくし、嬉しいのかしら???
―――でも、嬉しいから、仕方ないわ……。
ロゼは口を真一文字に引き結んで、押し黙っている。
「……」
「……なんですかその顔? なんで息止めてるんです? な、なんか紫色ですよ!?」
「うるせーっ! あっち行けっ!! どっか行けっ!! バーカバーカ!! ブースゥゥ~!!」
「なっ、なんですか!? もうっ!!」
驚いて憤慨するラヴィの方を見もせずに、ロゼは尋常じゃない程素早く起き上がり、バタバタ走って自分の船室へ入って行ってしまった。
ドアを閉める時、「やなこったっ! バーカ!」と何やら喚いていたが、アルベルトの鳴き声は『クルル♪クルル♪』と嬉しそうだった。
すみません、今度こそあと一話です。
どうぞ最後までお付き合いください。




