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轟きにまみれて

大きな港を持つ国イソプロパノールの海は、大抵凪いでいる。

けれど、一か所だけ荒れ海に面した場所がある。

どうしてそこだけ荒れているのか。地形のせいだと言ってしまえばそれでお終いなのだけれど、なんだかそう言ってしまうには惜しい情緒を持って海は荒れ、渦巻いているのだった。

そんな荒れ海の波が、八つ当たりめいてぶつかる崖がある。

ここを皆、『イブフェンの崖』と呼ぶ。

パッと見ですぐ判る。誰にだって、誰に教えて貰わなくたって、ここは命を捨てるのにピッタリの場所だと。

この物騒な崖の麓には、冗談みたいな名前の飲食い処がある。

その店の名は『最後の晩餐』。



『最後の晩餐』の店主は、年齢を無視したスタイルの良さを誇る中年の女だ。

特に足が自慢で、いつも深いスリット入りのスカートを堂々と迫力満点に穿いている。

男好きしそうな派手な容姿をしていて、彼女が豪快に笑えば、店の中はいつもパッと明るくなる、そんなひとだ。

彼女がここに店を構えたのには、ワケがある。

この店の奥が、『イブフェンの崖』の内部に繋がっている事。

実はこの崖、地層が穴だらけなのだ。そんな穴ぼこにコッソリ住みたがるのは、太陽の陽を浴びてまともに生きている人間では、勿論無い。

それでも彼女がカモフラージュと門番めいた役目を担っているのは、彼女もその人間達の仲間だからだ。


それともう一つ。

この世には、抱えきれないものを持って、或いはそうと勘違いして救いを求める人が大勢いる。『終焉』という救いを。

そんな人達を『イブフェンの崖』は誘っている。

来なさい、楽になりなさい、と。

人はふらふらと緩やかな長い坂道を、崖っぷち目指して登る。

迷いながら、震えながら、或いは、既に迷いの無い足取りで。

そんな彼らの死への門前に、『最後の晩餐』なんてヘンテコな名前の飲食い処があったら?

死を背負いふらりと入って来た者を、彼女は「アハッ」と笑って受け入れる。

かつての自分を笑い飛ばし、訪れた者にその心を重ねて。

皆彼女を『ママ』と呼ぶ。

『女店主』を意味しているのかも知れないし、『母』を意味しているのかも知れない。


どっちだってアンタ、不本意だよ! ジジィまでそう呼びやがってサ! 


彼女は乱暴にそう言って、ニッと笑う。

あらゆる苦しみを映して来た瞳に、強気や癇気を光らせ、その裏側に慈しみを湛えて。



あのひとったら、また来たわ。


と、ママは思った。

『最後の晩餐』は、夕刻から開店だ。

その仕込みに忙しい昼中、ママは手を止めてカウンターから出入り口へ出た。

視線は窓の外、崖への坂道をふらふらと登って行く女を捕えていた。

その女はママと同じ位か、少し若い。

頼りなさげな細い身体に、上等そうなマントを人目を憚る様に頭から被せ、虚ろな表情で崖の頂きを目指している姿は、まるで亡霊の様だった。

ママは鼻息を吐いて身に付けていたエプロンで手を拭い、それをポイと脱ぎ捨て店の外へ女を追ってズカズカ歩いた。


仕込みの忙しいって時に来ンのよね、おお、ありがたいこと!


トボトボとした足取りの女に追いつくのは容易かった。

ママは彼女を驚かさない程度の大声を上げる。


「オリビエさん!」


女が振り返った。その反応に、ママはホッとする。

まだ、危うい線を越えていない。そう思うからだ。

オリビエと呼ばれた女は、ママを見て諦めの混じった柔らかい微笑みを見せた。

面と向かって歳を聞いた事は無いけれど、大体の予想が外れていないなら彼女もママと負けないくらい若く見える。

生き生きと弾ける様に生きるママのギャンギャンした若さとは違い、苦労知らず、風知らずのつるんとした若さだ。もしもこんな場所に足を向ける事情が無かったら、彼女はもっと若々しかったのだろうと思うと、ママは感嘆する。

人生の背景は女を若くもし、老けさせもするから。

それから、彼女はとても美しい。

潮風に晒されたすっぴんを見る度に、ママは心配になる。

無防備に晒した肌や目元を、自分の様にお粉やシャドゥで武装させて直接外気に触れない様にしてやりたくなるのだった。


ま、そりゃお節介ってモンだ。それにしても、唇が荒れちまってるじゃないか。勿体無い……。


「アンタも飽きないね。ここに来たらウチに寄ってけって毎度言ってるじゃないか。どうして来てくンないのサ! 言っとくケド、掃除はちゃんとしてるつもりだよ」

「波の音を聴きたくて……」

「波の音なんてここじゃなくても聞けるじゃないサ!」

「足りないのです」

「……欲張りだね」


ママはオリビエの横に並ぶと、一緒に坂道を登り始める。


「お店の準備はよろしいの?」

「ヨロシイヨロシイ。ワタシも聴きたくなっちゃった」

「……心配なさらなくても、飛び降りたりしませんわ」

「わかってるよ」


崖っぷちに近くなるにつれ、ママは強く強く彼女を何度も理解する。

吹っ飛ばされそうな程の波の轟き。

けたたましい海猫の鳴き声は、四方八方から雨の様にそそがれ、うねる風の圧力と音が無遠慮(そこが良い)に魂であろう部分を突き上げ、放り投げて行く。

引き千切られそうになる騒音と渦の中に浸るのは、どうしてだかこの上も無い安らぎを彼女達に与える……。

そう。ママには解る。

彼女が穏やかな入り江のさざ波の音などでは、「足りない」、心をうやむやに出来ないという事を。


ママもこのオリビエも、静かな表面のずっと下の方に荒れ狂う海を持っている。

荒れ海の音を聴くのはとてもじゃないけれど耐え難くて、だから、ここに来る。

同じか、もしくはそれ以上のもので掻き乱されたいのだ。

同じか、もしくはそれ以上のもので抑え付けたいのだ。

そして、最終的に混ざり合い、気持ちを落ち着かせると、女達はその場を離れ、崖を降りる。


飛び込んだりしない。

どんな荒れ海を抱えたって。

その中に飛び込んでしまっては、渦の一部で終わってしまう。

何かの一部になんてならない。

何故なら、彼女達には彼女達に、個を望む人々や物事があるからである。


「それがなきゃ、もうとっくに……おっと、」


下りの坂に足をもつれさせると、そっと背に手を添えられた。

ママはオリビエを見た。

オリビエはやつれてもなお美しい横顔を風に晒して、崖の麓の方を見詰めている。

マントのフードが初めて風に煽られまくれ、紅茶色の髪を綺麗に結い上げた頭が見えた。


ママは唇の端を片方だけ歪めて、オリビエの視線の先を同じように見詰めた。


何度も何度も、坂を下る。その度に思う。

ほら、今度も戻って来た。

後ろめたさと、安堵と、どっちつかずな未練を感じながら、「まだやれる」そんな負けん気を確認し、生者に還る。


「先に何があると言うの」


ママの横でオリビエが囁いた。

死を選びたい、と言った具合でも、何かを期待した具合でも無く。

ママは彼女の小さな背に、彼女がしてくれた様に手を添える。


「知らないね。一緒に見ようじゃないの」


彼女達の後ろに広がる大空に、一艘のガリオン船が飛んでいる。

二人の女達は振り返ったりなどしない為、暫くそれには気付かない。

強いというのはたまには厄介な事だった。


本編未読の読者様を、置いてきぼりにしてしまったと思います。

申し訳ありません。。。

なので、かなり情けない補足をさせて下さい。

「ママ」はバドの育ての親で、昔、自分の赤ん坊を病で天に奪われていて、オリビエさんは、二年前に大切な娘を失っております(と、思っております)


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本編も是非!【蜥蜴の果実】
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