アスラン隊長、色々複雑に驚く
拾った。
そう、拾った様なものだった。
その雛は、てんで可愛く無かった。
まず、子供らしく無かった。
子供でいる事を許されていなかったし、別のものになっていようと、駄目だったんだろう。存在を否定されていた。
生かされていた理由も知っていたのだろう。誰かの体裁の為に生きるのはどんな気持ちなのか、経験がなくたって心あれば解る事だ。
彼はその時今の彼より当然ずっと若かったし、雛の扱いなんて知らなかった。
それでもそれなりに面倒を見てやろうと思った。彼の性分がそうさせた。
それからというもの、後を付いてまわって来る癖に噛み付くわ生意気だわ、手を焼かされた。その内自分が彼の面倒を見ている様な顔をし出すし、なんとも珍妙な事になったと彼は「こんなつもりじゃ無かったんだがなぁ」と苦笑したものだった。
雛は全然可愛く無かった。
全然。全く。
* * * * * * *
オバアは頬を高揚させて戻って来たバドとラヴィを、おっとりと微笑んで迎えた。
バドが「ケッコンする」と短く言うと、彼女はラヴィを探る様に見、ラヴィにも迷いが無いのを見て取るとようやく破顔した。
ラヴィがマクサルトに留まらない計画をバドが説明すると、頷いて、「一番良い方法なら、文句は言いませんよ」と答えた。
少し不満そうだったのを、ラヴィは見逃さなかった。
「我儘は重々承知の上です。本当にそれでも、わたくしをバドのお相手として認めて下さいますか?」
「ラヴィ様」
オバアがラヴィに真っ直ぐ向き合い、深々と頭を下げた。
「王と貴女が決められた事に、私如きが何も申し上げられません」
「……でも」
「いーじゃん、ラヴィ」
混ぜっ返すなよ。バドはそう言ってラヴィを肘で突いた。
ラヴィは当惑顔で、バドを見、オバアを見る。
自由に飛び回りつつ、バドの……マクサルト王妃になるなんて、周りの理解は得られるのかしら?
まずはこの老婆にちゃんと納得して貰わないと、国民にも受け入れられる自信が無かった。
オバアが「ふふふ」と笑った。
「貴女が幸せなのが、一番良い事」
「……オバア様」
「孫が見たいだけなの」
「……孫……」
ラヴィは戸惑ってバドの顔を見た。
バドはニヤッとして、オバアに親指を立てた。
「バカだな、オバア! ンなモン、任せとけって!」
「ダ。ボン様、その言葉を信じています」
「……」
ラヴィはニンマリする二人を交互に見ながら、「もしかしたら、何かの罠にハマってしまったかも知れないわ……」とバドの策略にようやく気付き始めた。
ラヴィにはまだ想像も出来ないけれど、いつか子供を授かったら、彼女は暫く船から降りるだろう。きっとバドはそれが狙いなのだ。そして狙いを定めて来るハズだ。多分彼の事だから連射攻撃で来るハズだ。きっと大家族だ。
でも、と、ラヴィはその姑息な策略に厭な気持を抱かなかった。
自分と彼の赤ん坊、なんて、想像するだけで愛しかったからだ。想像するだけで愛しい者と天秤に掛けられるものなど、この世の何処にも無い。
―――もしそうなったら、嬉しいわ。
オバアがニコニコして言った。
「お腹が膨らむ前に、花嫁衣装を用意しましょう」
ラヴィは初々しく俯いて、それからふと浮かんだ考えにコッソリ微笑んだ。
―――でも、船でも子育ては出来るのではないかしら?
*
お祭りモードのマクサルトへ、夕刻トスカノの一団が尋ねて来た。
先頭を率いてやって来た長身の男は集落の雰囲気に不思議そうにしていた。
バドが彼を迎え入れると、彼はバドの横にラヴィが並んでいるのを見つけて糸の様に細い目を精いっぱい見開いた。
「おお!? ええ!?」
ラヴィはバドの横で、彼へ微笑むと小さく頭を下げた。
「お久しぶりです。アスラン隊長」
アスラン隊長と呼ばれた男は、彼女の落ち着いた対応に爪の厚さほどだけ傷ついた。
ラヴィとアスランも、二年ぶりの再会なのだ。
もっとこう……若い娘らしい歓声とか欲しかった。と彼は思ったが、ラヴィの気質でそれは無い、と思い直す事で自分を慰めた。
切り替えが早く、細かい事にこだわらない男なので、直ぐに目尻の皺をクシャッとさせて微笑む。
「あ、こりゃどうも。本当に、久しぶりだ。元気そうで……いつ?」
「昨日です」
「なんてタイミングだ……嬉しいぞ。嬉しいけど……」
彼はきまり悪そうにバドを見た。
バドは腕を組んで、唇を歪めている。顔は怒っていないが、少し責めている様な調子で男へ声を掛けた。
「タイチョさ~、勘弁してくれよ!」
「や、や、悪いな。コッチも色々あって、すり抜けられてしまった」
「何度目だよ? 実はオタクの王様の思惑とかじゃねぇだろうな? なんか含んでんの?」
「滅多な事言うなよ。コッチだって人も物資も足んねぇのに」
「トスカノ……荒れていますか?」
ラヴィが心配そうに尋ねると、アスランは短く頷いた。
「ガタガタだな。急速に豊かになりつつあった段階で、知らずまかれた色んな問題の種が、今度は一気に肥料を絶やされておかしな具合に芽吹いたり、枯れたりしてる。
その原因も解決策も、マクサルトにあると考える者がいる。以前のトスカノを復活させたい者もいる」
フンとバドが鼻を鳴らした。
「もう、マクサルトにはそんなモンねぇよ」
アスランは重く頷いて、
「言ってるんだけどな……奴等は叩いても叩いてもしつこく湧き出して、「夢見がちな奴等」を集めたり、何処かから出る資金で金に困った落ちぶれ者を雇ってマクサルトへ送り込む。大抵は俺ら騎士団がとおせんぼしてるんだが……」
「全然じゃん!」
ううん、とアスランは困った様に唸って後ろ頭を掻いた。
バドの手前、自国の為と無茶をする奴等を「夢見がちな奴等」と揶揄したけれど、彼らの気持ちがわからなくはないアスランだ。
誰だって飢えたく無い。
「今忙しいんだ。前国王派の勢力がごねたりちょっかいを掛けたりして、結局意味の無い小さな内乱が起こったり、マクサルト教(これはアスランの嫌味だ)の資金源を探ったりしてるんだ」
「繋がってるんじゃねぇの?」
「ありうるな」
ゴクローさん、とバドはやや諦めのこもった声で言って、アスランの肩を叩いた。
「まぁ……コッチに夢なんてねぇって、よく叩き込んどいてくれよ。皆飢えてンから喰われるぞっつっといて。あ、馬は喰っちゃったぜ」
アスランはバドの言葉に顔を曇らせた。
「馬ぁ~……生きてるのは? 人間いらねぇから返してくれよ」
「冗談だろ? 人間は返してやるけど、馬は返さねぇよ! こんなトコで立ち話もなんだし、オレんち来いよ。報告もあるしサ!」
ニヤニヤして言うバドに、アスランは肩を落として頷いた。
「おう。報告って?」
* * * * * * * * *
「糞を出すな!! ケツの穴栓してやろうか!?」
鷲の子はチョコレートの箱に大人しく収まっておらず、ロゼと密着したがってピャーピャー煩い。
一時は気分を入れ替えようと「俺のカリスマすげぇ」と悦に浸ってみてみたりしたけれど、服に粗相をされて一気に気分が冷めた。
動物とかやっぱ無理。汚い。臭い。
ふわふわの綿毛のせいで盛大なクシャミをして、ロゼは鼻を啜った。
雛は鋭い爪でしっかりロゼの胸元にしがみ付き、何が良いのか彼の喉仏の膨らみを甘噛みしている。
「止ぁめろ! 服に爪を立てんな!! いだだだだぁ……」
止めろっつってんだろぉー!! とブチ切れた所に、船室のドアが開いた。
そこにはこの場面を一番見られたく無い男が立っていた。アスランだ。
「よお、久しぶりだな」
「……隊長」
アスランは破顔して、ウンウン頷いた。
「オマエ、子育てするとか……丸くなったんだなぁ……」
「子育てじゃねえ!!」
ロゼは雛を胸元にぶら下げたまま、顔を歪めた。
マクサルトに来たからにはもしかしたら、と思っていたけれど、こんな場面を見られるとは!
彼は舌打ちして、皮肉っぽい顔を作ると、
「トスカノ、ガタガタみてぇだなぁ。しっかりやってるんスかぁ?」
なんとか形勢を変えたいロゼはそう言った。
アスランはしかめ面をして、
「なんだよ、その言い方! お前、こうなるの解ってて投げ出したんだろ!!」
「ハン、言いがかりだなぁ。誰にだって解る事じゃないですか~ぁ? 俺は隊長に名誉ある地位を譲っただけですぅ」
「おま、相変わらずだな……」
「たりめ~です」
雛が自分を見ろとばかりにピギャピギャ鳴いて、ロゼの頭によじ登るのを心の中だけで微笑して(顔で微笑したらムキになるのを彼は良く解っている)アスランはロゼの隣に座った。
「楽しいか」
「ぼちぼちです」
「そうか。なら良い。ところで……あの二人結婚するって言ってるんだが」
フンとロゼは鼻で笑った。
「勝手にしやがれ」
「オマエ、トスカノに戻る気は無いのか?」
「なんで?」
「なんでって……。どうすんだよ」
「知らねえよぉ~もぉ~!!」
ロゼは座っていたソファに寝転がって、足でアスランを押しのけた。そのまま、ずり落ちたアスランをゲシゲシ足蹴にしてまるっきり駄々っ子だ。
アスランは苦笑いして、そのままにさせている。
「ラヴィが遠くに行っちまうの、寂しいか」
「ンなワケあるかぁ! あの裏切り者ぉ!!」
「二年の間に口説いちまえば良かったのに」
「……」
冗談で言ったのに、ロゼが急に動きを止めて黙ったのでアスランは「げ」と思って彼を見た。
ロゼは物凄く冷めた顔をして黙って起き上がると、「そういうんじゃねぇ」と小さく言った。
その一言で、アスランは何故か寂しさを覚えた。
いつの間にか、止まり木を移されてしまった様な、そんな気がして。
「まぁ、そんなら祝福してやれよ」
「やなこった。なんで俺が」
「『そういうんじゃねぇ』ヤツの幸せを喜んでやらにゃ」
「……爆ぜろとしか思えねぇ」
「……トスカノに来いよ」
「い・や・だ」
アスランは呆れかえって笑った。
「そんなに楽しいんだな。じゃあ、続けろ」
「続けろっつったって、続けらんねぇですわ」
「そうでもねぇみたいだぞ? ラヴィは結婚しても旅は続けるらしい」
ロゼが目をまんまるにした。
いつも純粋そうな瞳をしているけれど、それは見た目だけの事だとアスランは知っている。でも、この時ばかりは本当に純粋に何かを現している様に見えてアスランは驚いた。
「どういう事です?」
「そういう事だろ」
「……隊長……まさか、カマかけしやがりましたぁ?」
アスランは糸の様な細い目をちょっと見開いて、ワザとらしくロゼから目を逸らして見せた。
「だって、大変なんだぜ。軽く騙して連れて行こうとしたのに、残念だ!」
「……コノ、」
「良かったな!!」
キラキラ微笑むアスランに、ロゼは思い切り嫌悪の表情を作って見せると、黙って船室から押し出した。
「お、おお、オイオイ……」
「ちょ、イヤ、出てって下さい」
「な、なんだよ。悪かった」
「や、や、マジで。あっち行って下さい」
「怒るなよ……え? てか怒ってんの? あ、お前なに笑……」
「いーから出てけぇ!! でもまだマクサルトに居やがれよぉ!」
*
アスランを追い出してしまうと、ロゼはソファに飛び込んで寝転がった。
その表情を知っているのは、やっぱり鷲の雛だけだった。
大切なものが増えるのは、少し怖い。
でも、勝手に増えて行く。




