甘い思い出
【蜥蜴の果実】という長編冒険ファンタジーの番外編になります。
本編はアドベンチャー色が強いのですが、こちらは恋愛話になります。
女性向けな感じです。
本編を読んでいなくても読める様に書いてみましたので、ファンタジーお好きな方は是非是非お楽しみ下さい!!
表紙絵は【蜥蜴の果実】に頂いたイラストです。
ヒーローとヒロインはこんな感じです。
イラスト:辻が瀬様
広く真っ青な空に、おぼろに白い雲が地上から遥か上空を浮かび、ゆるゆると風に乗って漂っている。
形を変えて空と太陽の光を輪郭に湛え、或いは透かして地上へおこぼれを落としながら流れ行く。
そんなのんびりとした風景が、突如ぐぅ、と乱れた。
くるくると渦巻く風に揉みくちゃにされて細切れになった雲の間から、船首がぬっと現れたのだ。
儚げに舞い散る雲を割りながら、大空をガリオン船が飛んでいた。
ガリオン船は気ままな旅をしている。
渡り鳥の群れと仲良く並行して飛び、雨のあと虹を見つけると、無駄と知りつつ半円の中を潜ろうと挑戦したり、季節を運ぶ穏やかな風に帆を張ってそれに乗ったりして、船は気ままに風に乗り、または悪戯に逆らって空の旅を楽しんでいるのだった。
そうして色々な国へ行き、珍しいものを手に入れては、また別の国でそれらを交易をして回っている。
空飛ぶ船は、世界でただ一つ、このガリオン船だけ。
それ以外の船という船は、ちゃんと大人しく海に浮かんでいる。
空飛ぶガリオン船の船長は、紅茶色の髪の、大きな瞳をした飛び切りの美少女だ。
船長になった頃より、少しだけ大人になったけれど、まだまだ愛らしい顔に初々しさが輝いている。
それから、彼女は大抵丈の短い白ワンピースに腰帯をキュッと締めている。
これは彼女のお気に入りのスタイルなのだ。
彼女は雲を割る船首の柵板にしな垂れる様に両腕をもたせかけ、意思のみで自分の手足の様に自在に動くガリオン船を少しだけ下降させると、水平線の先を目を細めて見詰めた。
風に長い睫を微かになびかせ、珊瑚色の唇をふっくら微笑えまして。
彼女はガリオン船の船長になるいきさつを宝物の様に大事にしていて、あまり人に聞かせてくれないのだけれど、どこぞの王子サマと「冒険」した際に彼から贈られたのだという。
彼女はとても幸せな気持ちで空を飛ぶ。
この自由で気ままな時間を、彼に貰ったから。
……でも、本当は、少し、ほんの少しだけれど寂しい。
―――どこまで行けたら、貴方に会いに行っていいのかしら?
そんな風に想いながら、一向に越す事が出来ない水平線を追っている。
彼女の名は、ラヴィ・セイル。
*
「オイ~、こんな国早く出ようぜぇ」
「朝に到着して、まだ昼にもなっていないじゃないですか」
ラヴィはそう言って、ぼやぼやぼやく新緑色の髪をした童顔の青年をねめつけると、新たに辿り着いた国の街中をサッサと歩いた。
街中はおとぎ話の中の様に可愛らしい物で溢れている。
立ち並ぶ店や表通りの家は一枚の壁の様に向かい合って連なっており、外壁の色が淡いピンク色なので、ほぼ一面ピンク色だ。
新緑色の髪の青年も場合によればピンクが好きだけれど、このピンクはラヴィが好きなピンク色だった。
建物のほとんどの軒先や窓に花がこんもりと溢れ、窓の向こうから可愛らしい小物やカーテンが覗いている。こぶし大程の四角く切り取られた色々な色のレンガが敷き詰められた道は、なんだか心が躍った。
「景色を切り取れたらいいのに……残念だわ」
ラヴィはそんな風に思いながら、この国一番の「お目当て」を探す。
ふわりと甘い香りが漂って来て、ラヴィは目を輝かせた。
反面、新緑色の髪の男は、「うっ」と鼻を摘まんだ。
「なんかこの国、匂いもウゼェ。もう気持ち悪ぃ」
「いい香りじゃないですか。チョコレートの香りですよ。ヌイヤーマはお菓子の国ですから、こうでなくては」
「その、ちょこれいとってヤツ喰って仕入れたら、すぐ出ようぜ。滞在はぜってぇイヤだ。後、ぜってぇ俺の部屋の傍に置くな。それから、喰ったらしばらく俺に寄るな」
おええぇ、と本気でエヅく連れを嫌そうに見やって、ラヴィは「はいはい」とあしらった。
この連れは大概こうなので、ラヴィはもう慣れっこだ。
それより、チョコレートだ。
ラヴィは旅に出る前は港のある貿易の国に住んでいた。
だから「チョコレート」という珍しいお菓子を小さな頃に食べた事がある。
可愛らしいリボンのかけられた綺麗な小花模様の箱をドキドキして開けると、まるで宝石の様に大事に詰められていたのを覚えている。それは本当に宝石の様に美しい形を模して並んでいて、本当に食べ物なのか、食べても怒られやしないかなんて不安に思ったのを思い出して、彼女は微笑んだ。
ああ、それに口に入れた時……。魔法にかけられたのかと思ったわ。
とても甘いのに、後から優しい苦みで「忘れないでね」と言って溶けて行ったものや、すっとハッカの爽やかな風を起こして「さよなら」と言って消えていくもの、酸味で頬を窪ませられて「私は誰でしょう?」なんて聞いて来た可愛いものもいたわ。わたくしは、「ベリーね?」と一緒に味わった方と同じタイミングで声を上げたのだったわ……。
楽しい時間が終わりを迎え、空の箱を幸福と寂しさの混ざった気持ちで眺めていると、箱の底に何か書かれていた。異国語だったので異国語の教授の書斎へ飛び込んで読んで貰った。
『皇女様、ラビリエ様、これは我が国とたまに付き合いのあるナトリという国とその周辺が使う言葉です。たまにの付き合いなので、まだお教えしていませんでしたね。申し訳ない』
『箱にはなんと書いてありますか?』
教授はニッコリ微笑んだ。痩せ細った男だったが、穏やかな知性が滲み出ているので頼もしい雰囲気を持っていた。
『「ヌイヤーマより。あなたへ」と、書かれています。ヌイヤーマはお菓子の国で、特にチョコレートは絶品なのだとか……あ、おや、僕のは無いんですか?』……
当時の教授のガッカリした顔を思い出して、ラヴィは頬を緩めた。
教授、ごめんなさい。でも、でも……。
ああ、ヌイヤーマ! ずっとずっと憧れてた国!!
自然と軽い足取りになって、連れに浮き浮きを嫌がられた。
彼は人の幸せを見るのが好きな質では無いのだ。性格は下の下だった。
「アンタ、匂いで脳ミソおかしくなったんじゃねぇ?」
「ずっと、ここのチョコレートを夢見てたんです」
「へぇ、船に乗ってから二年経つってのに、随分遠回りしたなぁ。忘れてたんだろ」
「……」
「ありゃ、図星? 抜けてんなぁ」
「い、色々軌道に乗るまで大変だったじゃないですか! ロゼさんが交渉相手と喧嘩したり喧嘩したり喧嘩したり!!」
ロゼと呼ばれた男は「知らねぇなぁ」と一見害の無い純粋そうな顔をとぼけさせた。
ラヴィはツンと彼から顔を背けて、懐かしい思い出の香りを辿る。先には一軒の店。
目を留めた看板は、あの綺麗な箱と同じ小花模様が描かれており、ラヴィにしては珍しく、感情のままに涙ぐんだ。
「ここだわ……ロゼさん。チョコレートのお店」
「泣くほど喰いてぇのか……ちょこれいと怖ぇ。 俺は外で待ってる」
ラヴィは心ここにあらずで「好きにしてください」と返事をすると、店の扉の前で深呼吸した。
「ナニやってんだぁ? はよ行けやぁ! マジで早く終わらせろ!!」
超煩い。
ラヴィは無視して扉を開け、店内へ足を踏み入れた。
「密封して貰えよぉ!」と、ロゼの声が追いかけて来たが、扉を閉めてしまえばこっちのものだった。
*
店内は甘い香りで満たされていた。なんだかラヴィまで満たされて、彼女は頬を上気させた。
カウンターのディスプレイに並べられているチョコレートは、ラヴィが食べたものより少し無骨な見た目の物が多くてちょっぴりがっかりする。先にいた客たちは、それを買って行くのが不思議だった。
でも、ちゃんとあの箱も並んでいた。
見本に蓋の空けられたものを覗いて、ラヴィは胸が苦しくなるほど喜びに翻弄された。
少し趣は変わっていたけれど、そのままだった。記憶の中のキラキラ輝くチョコレート。
「こちらをお求めですか?」
優しそうなふっくらしたおばさん店員が寄って来て、カウンター越しにラヴィに微笑みかけた。
ラヴィは勉強こそして来たものの、少し緊張しながら「はい」と小さな声で答えると、店員はえくぼを作って微笑んだ。ラヴィはなんだかその甘い微笑みに安心して、会話を試みる。
「わたくしは他国から来たのですが、昔ここのチョコレートを食べて感激したんです」
これは、是非伝えようと思っていたので何度も練習した台詞だ。
「まぁ、ありがとうございます」と店員は微笑んで、「幾ついりますか」と箱を手に持った。
「自分用にも欲しいのですが、日持ちはどのくらいしますか? 実は交易の為に保つ分、持てる分だけ欲しいのです」
「物にもよるのですが……」
「え? ごめんなさい、なんです?」
「加工してあるものは、日持ちしません。六日くらいでしょうか。こちらの塊なら、一月持ちます」
そう言って店員が指差したのは、他の客たちが買って行った無骨な茶色い塊だった。
塊は子供の手のひら位の大きさからあって、色々な大きさに切られた大雑把な切り口が、ラヴィは好きになれない。
それにしても、六日? ここからわたくしの国まで、普通に陸で向かったら六日では済まないわ。
ラヴィはちょっと目を細めて、良くお腹を壊さなかったものだ、と思った。
いい加減な商売は褒められないけれど、そのお蔭でチョコレートに出逢えたのもまた事実。
複雑な胸の内を隠して、ラヴィは肩を落とした。
「それではあまり遠くへは持って行かれないですね」
陸や海を移動するよりずっと早く動けるけれど……。
「贈り物?」
ラヴィの「交易」の発音が悪かったのか、それとも全体的に落第点だったのか、意味を違えて店員が尋ねて来た。
「いえ、あの……」
「国の恋人?」
「え? ええ!? いえ、違います」
旅行客とでも勘違いされた様だった。でも、どうして恋人なのか。
店員は「恥ずかしがらなくてもいいですよ」とばかりに微笑んで、チョコレートの塊を指差した。
「では、こちらをお勧めします」
「いえ、でも……大変失礼ですが……見た目が」
「自分で作るんです。渡す前日あたりに作れば、日持ちも関係無いですよ。一月以上の旅ならどちらもおススメ出来ませんが……」
「つくる……自分で……? え、自分で作れるんですか!?」
店員は微笑んで、レシピの記された二つ折りの紙をラヴィに手渡してくれた。
左めくりで四面の内三面がチョコレートのレシピ。一面ずつ違う種類で、三種類分のレシピが書かれている。四面(背表紙にあたる)には何かハート形の絵が描かれ、ハートの中につらつらと文字が並んでいた。
店員は丁寧に材料の記載を指差し、これはどこどこの店にある、これはあそこの店にある、と材料の場所まで教えてくれた。
最後に、
「愛をたくさん入れて下さいね」
と言うので、若干引っ掛かりつつ、ラヴィは頷いて試しに小さな塊を一つ買い求めると、彼女はやる気に満ちて店を出た。
「お、終わったか。くっせーなぁオイ! ……アレ? そんだけ? え? オーイ、ラヴィちゃん?」
「まずは生クリームを買います! お砂糖も足らないので補充しましょう!」
「オ? ……おお。……は?」
「それから、型が要ります。可愛いやつです」
「……ほお? なにが?」
「作るんです!!」
「なにを?」
ラヴィは目をキラキラさせて言った。
「チョコレートをです!!」
*
ラヴィはもともと、料理が得意なのだ。好きでもある。
自分用に買った箱に入っている宝石の方をお手本にしたり、味わって分量やコツの予想をするのは結構楽しい挑戦だった。
だから、結果かなり上手くいった。
夢中になり過ぎて、ロゼが厨房の外から「なぁメシはぁ~?」とブーブー言うまで日が暮れたのに気が付かなかった。
「こんな甘ったりぃとこでメシ喰えねぇ~」
「外に食べに行きますか?」
「やめとけよぉ~、もう行って見て来た。なんか……ちょこれーと? を、肉にぶっかけてた。この国の奴らヤベェぞマジで……」
おえぇぇ……と顔色の悪いロゼに、ラヴィは唇を尖らせる。
「もう、一人だけ食べに行くなんて酷いです」
「アンタがメシ作らねぇからだろ!」
「あ、チョコレートは作ったんです! ロゼさん、見て下さいっ」
「しょうもないっ! はよメシ作れ」
そう言って上着を脱ぐと、厨房の入り口で「換気だコノヤロ~」と仰ぎ出したので、ラヴィはせっかく綺麗に可愛く作ったチョコレートに埃が被らない様に、厨房の隅に非難させた。
「ロゼさん、止めて下さい!」
「止めねぇよ!! 貴様こそ止めて下さぁい~っ人が嫌がる事しないで下さぁい~っくさぁい~っ」
「嗅覚も捻じれていらっしゃるんですねっ! 自分で上手く作れる事が判ったので、明日また塊を買い付けに行きます。ロゼさん、手伝って下さいね!」
ロゼが思い切り顔をしかめた。
塊をどれ程買い付ける気か知らないが、それだけでも厭なのに今日みたいに船の中で四六時中やられたら堪らない。
船はラヴィのものとは言え、同居人の安息を侵害するのはロゼにもわかるマナー違反と言うものだ。
それでも本気で逆らえないのは、ガリオン船に備えられたある力のせいだ。
ラヴィに船を贈った王子サマは、彼女の身の安全を考えて彼女に危険な事が起こるとピシャンと稲妻が落ちる悪魔の機能を船に備えたのだった。
身体に危害を加えなければ良いと甘く見ていたら、どうやらラヴィが本気で怒ったり不本意だと思ったりする心の機微にも稲妻は応える様で、ロゼは結構痛い目に遭いっぱなしだった。
最近は電撃に慣れて来て、ピシャンとやられた後に何故か身体の具合が良くなる程だ。
それにしても痛いので、ピシャンは避けたいロゼである。
渋々頷いて、イモの皮むきを命じられると、彼は料理をするラヴィの足元にあぐらをかいてイモに八つ当たりめいた気分でナイフを入れるのだった。
遅い夕食を終えて、自作のチョコレートを頬張りながら、ラヴィは厨房の隅に作った小さなダイニング兼リビングで貰ったレシピを眺めていた。
大抵、食事の後はリビングに置いたソファでロゼがゴロゴロしているのだけれど、今日はチョコレートの匂いを嫌がって甲板へ出て行ってしまったので、ラヴィは「ロゼ避けに毎日作ろう」と思いながらソファを独り占めした。
リビングに置いた異国語勉強用の本棚からナトリ周辺言語の辞書が取り出され、テーブルに開かれている。
ラヴィはレシピの一番最後に書かれた文章が気になったので、今それを読んでいるのだった。
美味しい作り方の秘訣とかそんな事が記されていると思ったけれど、読んでみて彼女は赤面した。
「………!?」
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大切な人
大好きな人
言葉ではなかなか言えないけれど
チョコレートはあなたの味方
甘いチョコレートで気持ちを伝えましょう
印象付けて
あの人が忘れられない甘さを
きっと届くはず
あの人はきっとあなたに
フォーリン・ラブ♡
♡ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡
「……! ……!」
ラヴィはテーブルに突っ伏し、しばらく動けなかった。
真っ赤な顔で起き上がり、もう一度文章を眺める。
眺めながら、自分がこの素晴らしいお菓子を初めて口に入れた時の感動の事を思う。
それから、ずっとずっと忘れていなかった事も……。
作ったチョコレートを口に入れて味わうと、彼女は瞳を閉じた。
* * * * * * * * * *
「うめぇっ!」って言うわ、きっと。
耳まで裂けそうな大きな口をニッと歪ませて、言ってくれるわ。
それから、綺麗な青い目をキラキラさせて悪戯そうに笑ってくれる。
「ラヴィも喰えよー」なんて言うんだわ。
……元気かしら?
わたくしの事、忘れていないかしら?
会いたいわ。バド。