9.「つ……つらい。辛すぎる」
王太子をバッドエンドに叩き落そうと決めて数日。
早速私はある問題に行き詰まっていた。
それは『そもそも私に悪役令嬢なんてできるのか?』
という実に根本的な問題だった。
「……まずは三年後、ヒロインとの出会いのシーン」
ゲームをざっと振り返ってみる。
始まりは、伯爵家に引き取られたヒロインが初めて公の場に現れる夜会。
そこでヒロインがどうしてもと駄々をこねて、自分の母親の形見でもあるドレスを着てくるのだ。当然流行遅れの、古臭いデザイン。
そんなものを平然と着てきたヒロインに他の令嬢たちは奇異の目をむける。
その時、取り巻きを山のように引き連れ、高笑いと共に登場するのがエレノアだ。
「ほーっほっほっほ! なんなのかしら、そのみすぼらしいドレスは! とても伯爵家の令嬢が着るものとは思えないわね。ここがどういう場なのか理解しているのなら、そもそもそんなもの着て来ようとは思わないはずよ」
……うろ覚えだが、確かこんなセリフを言っていた気がする。
つまり、私は3年後、初対面のヒロインにいきなりコレをぶちかまさなければいけないということだ。
「つ……つらい。辛すぎる」
自分がそんな言葉を大衆の面前で吐くとは考えたくもない。
もう少しこましなセリフはなかったのかとゲームシナリオを書いたやつに心から抗議したい。
でも、それで恥ずかしくなって逃げ出したヒロインは、逃げた先の中庭で王太子と運命の出会いを果たすのだ。絶対に完遂させなければならないイベントであることは間違いない。つまり回避不可能。私は拳を握りしめた。
「くっ。どこまでも私を苦しめやがって! 私がこんないらぬ苦労をするのも全部あんたのせいだー!! …………はあ」
……むなしい。
叫んでも意味はない。やつあたりも甚だしい。やると決めたのは自分だ。
冷静に、だが確実に計画を進行させなければならない。
一通りわめいて少しだけ落ち着いた私は、自らに言い聞かせるように言った。
「……仕方ない。来る本番に備え、練習をしよう」
高笑いなんて出来る自信がない。だが、あの笑いはエレノアの特徴みたいなものでもある。絶対にマスターしておかなくてはならないと、私は悲壮な決意を固めた。
「よし……やるぞ」
一応周りを確認した。
とはいってもここは私の部屋だ。誰かが入ってくる心配はない。
ベッドに腰掛け、すうはあと深呼吸をし、恐る恐る口を開いた。
「お……おー……っほっほっほ……ほほほ……って、出来るかっ!!」
近くにあった枕を壁に投げつけた。
なにこれ、死ぬほど恥ずかしいわっ!
耳まで真っ赤にしながら私はベッドに突っ伏した。
「信じられない。これを素でできるとかエレノアどれだけレベル高いのよ……」
恐ろしい羞恥心のなさである。
普通の神経で出来る事だとはとても思えない。
私はベッドから身を起こし、震える声で言った。
「こ、これはでも、気が付いてよかったかもしれない……本番でいきなりやれって言われても無理だわ、コレ」
衆人環視の中、いきなり高笑い。躊躇しているうちにタイミングを逸してしまいそうだ。
練習する必要性は大いにある。
「うん、これくらいで心折られている場合じゃないわ。これからもっともっとキツいイベントは続くんだから」
わざとドレスにお茶を掛けたり。ヒロインに恥をかかせたり。……取り巻きを利用して男をけしかけたり……。
そこまで考えて、慌てて首を振った。
「いや、流石にそれはいかんでしょう……」
エレノアのしたことを思いだし、眉を顰めた。いくらなんでもやりすぎだ。私は彼女に王太子のルートにさえ進んでもらえればそれでいいのだ。いくら役どころが悪役令嬢とはいえ、関係のないひどい嫌がらせはしたくない。
「どうしてもルートに進むのに必要なイベント以外はスルーしよう。で、その代り、好感度上昇イベントを集中的に入れて行こう」
王太子と偶然会えるスポットへ誘い込むとか。それくらいならお手の物だ。
うまく会えれば勝手に好感度は上がるだろう。乙女ゲーの基本だ。
つーか、考えてみれば会うたびに好感度上がるってヒロインの女子力高すぎである。
「皆の前で馬鹿にするとか……できればそういう系統は回避したいんだけどな」
それでも、この高笑い&登場イベントだけは避けられない。
「王太子の出会いイベントに繋がるし、何よりエレノアを印象付けるシーンだものねえ……」
諦めて、ベッドから立ち上がった。
すうはあと息を整え、言い聞かせる。
「私はエレノア……悪役令嬢……悪役令嬢のエレノア……」
何度も何度も繰り返すと、やがてそんな気分になってきた。
……よし、いける!
私はがっと顔を上げて口を開いた。
「ほーっほっほっほ! あなたが噂の伯爵家の令嬢ね! そんなみすぼらしいドレスを着てくるなんて一体どういう心づもりかしら!」
やった、言い切った!!
思わずガッツポーズをとった。
そうだ、自分がやると思うから恥ずかしいんだ。
そういう役、悪役なエレノアを演じていると思えばいけるはず。
「うんうん、それなら何とか出来るような気がする」
少し手ごたえを掴み何度も頷いた。
よし、今の感覚を忘れないようにもう一度だ。
「ほーっほっほっほ!」
よしよし、いい感じ。
なんだかコツというものを分かってきた気がする。
「おーっほっほっほ!」
おお、今の感じ。ちょっとエレノアっぽかったんじゃね?
調子に乗ってきた私は、部屋の中央に移動しそれこそ女優気分でポーズをとった。
ノリノリである。
「おーーっほっほっほ! おーっほっほっほっほ!」
「姉上……何をしているんですか」
呆れたような声が背後から響き、弾かれたように振り返った。
「っ!? レオっ!?」
振り返った先、部屋の扉の前には弟のレオと、その後ろにはメイドのリリィが居て、二人とも目を丸くして私を見ていた。
固まる私を尻目に、弟は言う。
「何度ノックしても返事がないから、それなのに部屋の中からは変な音が聞こえるから気になって。姉上に失礼だとは思いましたが、リリィに扉を開けさせました……」
「そ……そう」
弟の言葉にぎこちなく頷く。
ポーズをとっていた自分が急に恥ずかしくなって、慌てて両手を降ろした。
「お、お茶持ってきてくれたのね……」
そういえばそんな約束をしていた。新しいお茶が入ったから一緒に楽しもうと。
それなのに何度ノックしても返事がなく、しかも中から音が聞こえるとなれば様子を窺っても仕方ないだろう。弟の判断は間違っていない。
お茶の用意を運んできたリリィも私と目が合うと、気まずそうに視線をそらし頭を下げた。
い、居た堪れない。
すっかり忘れてノリノリで高笑いの練習をしていた自分がとても恥ずかしかった。
「それで姉上……一体何をしていたのですか?」
もう一度尋ねてきたレオの言葉に、びくりと肩が跳ねあがった。
どう答えればいいのかわからない。
高笑いの練習? いや、さすがにど直球すぎるだろう。
「え、とその……ね。急に笑ってみたくなったというか……」
結局そのままよくわからない言い訳をした。
私の答えを聞いて弟が顔を顰める。
「……あんな笑い方で、ですか? 全く姉上らしくありませんでしたが」
「そ、そうかしら。新たな自分を発見できるかと思ったのだけれど、あまり良くなかったかしらね」
「全く。姉上の品位が疑われます。あんな馬鹿なことは金輪際しないで下さい」
「え……ええ。わかったわ……」
真面目な顔で諭され泣きたくなった。後ろにいるリリィまでうんうんと頷く。
……私だってやりたくてやってたんじゃないやい。
誤魔化すような笑いを浮かべ、二人を招き入れた。
……悪役令嬢デビューを目指した練習初日。
――――結果。
さっそく大きく躓いた。