(8)
「わ、わたし……帰る」「私も……」「お、同じく……」
あまりの実力差に打ちのめされたか。二人組どころか、何もしてない残りの受験者たちさえも、次々と手を上げて去っていった。
しおたれた彼女らの背中を見送り、沢村は大きくため息をついた。
「情けない……壁の高さを知ってからが挑戦だろう。腰抜けばかりか、まったく」
「そうでもねーぜ」
不敵な笑みをたたえた声――と同時に、美海の足元から強烈な水飛沫が上がった。
またしても二艇だ。20番と21番のマギコンが、縦列に並んで突進していく。
「わわっ、ダメだよ、さっきの人たちと同じになっちゃう!」
思わず制止の声を上げる美海。だが。
――速い!
さっきの二人組とは比べ物にならない。特に、先行した20番のほうだ。
加速度が違う。モーターの音が違う。巻き上がる波の、その高さが違い過ぎる。
沢村が、0番艇を急発進させた。相手の実力を認め、迎え撃ちに行ったのだ。
突進する20番、迎撃する0番。両者ともに減速もしなければ曲がりもしない。小細工なしで水路を突っ走る二本の矢が一直線に接近し、
「ひうっ!」
美海の身がすくむほどの激突音だった。正面衝突、爆ぜる白波。その中から飛び出したのは――20番だ。
軌道を全く変えることなく、高々と水を噴き散らしてゴールに飛び込む。一方の0番艇は、転覆は免れたものの、激突したその位置で激しくスピン。制御のきかないそのスキを見逃さず、もう一艇、21番が横をすり抜けた。二艇連続のゴールインだ。
「……ほう」
沢村は感心したように息を漏らした。
静かだった用水路が、まるで台風の後。数十メートルにわたってギザギサの白波が踊り、縁からあふれた水が芝生を濃く染めている。
一体どんなゴツい人が――20番のバッジを探し当て、美海は二度驚いた。
「……ちっさ」
どう見ても年下、どう見ても百五十センチない、やせっぽちの体。
緑がかった黒髪をツインテールにまとめ、瞳の色も緑。生まれつき儀力が極端に強い人間の中には、こういう色を持つものがいるそうだが、実際見るのははじめてだ。
そして、肌は褐色。日焼けした人は見なれている美海だが、これはまた違う。
(外国、人……?)
「このオレがハンデもらったとあっちゃあ、末代までのハジだかんな」
異様に流暢な日本語で、チビっ娘はいかにも生意気そうに笑った。
どういう意味かと思ったが、すぐに分かった。三度目の驚きだった。
何しろ、彼女はパーカーのポケットに左手を突っ込んでいたのだから。
(まさか……片手で?)
「あっ! あの人、ひょっとして……」
四度目は、背後の円からだった。
「……ロキシィ=キャンデロロ!」
「えっ、本当?」
その名に美海は目を見開き、
「……って、誰?」
お約束のようにコケる円。
「去年の世界ジュニアで優勝した人ですよ! ジェットのニュースサイトで大騒ぎだったじゃないですか、フランスの超新星あらわるって!」
世界ジュニア選手権。十三歳以下限定で行われる、ジェットレースの国際大会である。
ジュニアと名はつくものの、そのレベルは日本のプロをはるかに超える。その中でも彼女・ロキシィは圧倒的なスピードで同郷の英雄『氷后』の後継者とも呼ばれる天才児である――と、補足説明を受けた美海だが、反応はいかにも薄い。
「あたし、調べるのとか苦手だし……っていうか、なんでそのフランスの子がここに?しかもなんで日本語ペラペラなの?」
円はうっ、と詰まった。そこまで知るわけがない。
と、ロキシィは八重歯を剥き出しにして、ニンマリと笑いかけてきた。
「へぇ。そこのマユゲ、ちったー勉強してんじゃねーか。誉めてやんぜ」
「まっ……マユゲ? わたしのことですか? な、なんて失礼な!」
どうやら気にしていたらしい。涙目で怒る彼女を、美海は「まぁまぁ」となだめるが、その顔は殺しきれない笑いにひきつっている。なんて的確な特徴のとらえ方だろう。
「落ち着いてって、エンちゃん。ホラ、マユゲがつり上がってるよぉ(笑)」
「だってだって、人が気にしていることを!」
「まぁまぁ、子供の言うことだからぁ」
「誰が子供だよ、モーコ」
「ん? モーコ? あたしのこと? なんで?」
「蒙古斑だから」
「ミィさん落ち着いてください! こ、子供の言うことですから!(笑)」
「だってだって人が気にしていることを! 大体、自分のことをオレとかってねぇ!」
ギャーギャーと騒ぎまくる三人。そこへ。
「申し訳ありマセん」
21番――メガネをかけた中性的な顔立ちの少女が、割って入った。
「ロロはマンガで日本語を覚えたものデ、言葉遣いが悪いのデス。ご容赦くだサイ」
ぺこん、と腰を直角に曲げてみせる。こちらは一転バカ丁寧な言葉遣いで、あまり慣れてないのか、発音には出来の悪い読み上げソフトのような切り貼り感があった。
ロキシィよりは大きいものの、やはり小柄。赤毛の髪は几帳面に切りそろえられている。そして、メガネの奥の瞳はトパーズのように青い。こちらは白人のようだ。
「沢村さん! あの人たち、外国の人じゃないんですか? どうして日本代表のトライアウトを受けられるんですかっ?」
円が怒りまかせに抗議するが、沢村は平然としたもの。
「ロキシィ=キャンデロロ。フルネームは、ロキシィ=イケヤマ=キャンデロロ。十四歳。日仏三世で、両国の国籍を保有。ヴァーミリアン・カップのルール上、これはどちらの国から出場してもいいことになっている。もちろん、そちらの――」
「クリスティーヌ=キタガワ。日仏二世デス」
「世界ジュニアでは、三位だったな。年はキャンデロれろ……」
噛んだ。
「……キャンデル、と同じ十四か」
略した。
「ハイ。知っていただけて、光栄デス」
メガネはぺこり、と頭を下げた。この少女、さっきからほとんど表情が動かない。
「それよかマユゲよォ。『なんで』とはひでー言い方じゃねーか。世界最強のライダーロキシィ様が、フランス代表の座を蹴ってだぜ、このちっこい島国を世界一にしてやろーってんだ。涙流して感謝しろよなむしろ」
「な、なんて小憎らしい……というか、またマユゲって……!」
腹の虫がおさまらないマユゲ、もとい円。
一方、美海は感心していた。日本チャンピオンの顔も知らなかった沢村が、彼女らに関しては驚くほどよく知っている。出場資格の有無を調べる上で当たり前のことかもしれないが、彼女らの実力と実績が飛び抜けているのは確かであるらしい。