(4)
沢村はクリップボードを手に取り、居並ぶ参加者へ瞳をめぐらせた。
薙ぐような視線――それだけで、場の空気がキンと張りつめる。
「試験官の沢村だ。遠方から集まってもらい礼を言う。まずは、諸君らの覚悟を問いたい。知っての通りこのトライアウトは、五ヶ月後に迫った世界最高峰のアクアジェットレース、ヴァーミリアン・カップに向けた、女子日本代表メンバーを選抜する試験だ」
と、そこで沢村は自分の空っぽの右袖をつかみ、
「知っている者もいるかもしれないが、私は三年半前、つまり前回大会に選手として出場した。この腕は、そのときのものだ」
ほとんどの者がそれは知っているのだろう。なんともいえない沈黙が流れた。
「ヴァーミリアン・カップとは『そういう』大会だ。平均時速七十キロ以上で走るジェットが互いにぶつかりあい、あるいは岩壁スレスレをすり抜ける。転覆、落水、激突。いくらでもアクシデントは起こり得るし、事実、過去何人もの死傷者が出ている。もしそれ相応の覚悟がないというなら、即刻この場を立ち去ってもらいたい。遠慮はいらん」
もちろん立ち去る者はいない。ライダーにとって、ヴァーミリアン・カップを制することは、オリンピックの金メダルにも匹敵する名誉なのだ。
沢村は満足そうに、というほどでもないが、小さくうなずき、
「結構。さて、これも知っての通りヴァーミリアン・カップは個人戦ではない。国別対抗で行う、三人リレー形式のレースだ。よって本トライアウトでは複数回の試験を実施し、三人に絞ったところで終了とさせてもらう。では早速、第一次試験を開始しよう」
美海は唾を呑んだ。なにしろ死人が出るような大会の選抜テスト、骨の二三本は持っていかれるようなお題が出てもおかしくはない。
同じことを考えているのだろう、右に居並ぶ他の参加者たちからも、緊張が伝わってくる。一体何が出てくるのか、何をさせられるのか。予想は果てしなく増殖する。
が、次に沢村が口にした言葉は、そのどれをも越えていた。
「全員、尻を出せ」
時間が凍結した。
「あ、あの……今、なんて?」
「そこの壁に手をついて、私に尻を見せろ。それが第一次試験だ」
どうやら美海だけの聞き違いではなかったらしい。
「何も丸出しにしろとは言わん。スカートもしくはズボンを脱いで、下着越しに尻の形が分かるようにすればいい。できなければ、帰れ。以上だ」
内容の突飛さはともかく、沢村の声には、冗談とは思えないスゴ味があった。
参加者たちは互いに「?」まみれの顔を見合わせ、眉根を寄せた。
なにしろ全く意図が全く分からない。度胸を見るためなのか、従順さを試そうとしているのか。それとも試験官個人のタダのシュミか。それは職権濫用というものではないのか。しかしそれを質問すれば、即座に失格にされそうな雰囲気だし――。
無言のまま場に疑念は渦巻き、しかし、結局従うしかないと悟った参加者たちは、一人、また一人と後ろの壁に手をつけはじめた。
スカートをまくり、あるいはズボンを下ろし、おずおずと下着を露出させてゆく。かくしてパーティールームは、三十余りのパンツがずらりと並ぶ異常事態となった。
右を見ても左を見ても、パンツ、パンツ、パンツ。生パンの見本市である。
沢村は扉側から順番に参加者の後ろに立ち、そのパンツを、というか尻を観察してゆく。表情はぴくりとも変えない。虫歯をチェックする歯医者のようである。
参加者たちにとっては拷問のような時間が過ぎた。扉とカーテンが閉められているのがせめてもの救いだが、それでも恥ずかしいものは恥ずかしい。
やがて列の最後に到着し、沢村はそこではじめて眉を動かした。
「どうした、三十三番」
三十三番・美海は、壁に手をついたまま動かない。ジーンズは尻を隠したままだ。
「あ、あの……ホントに見せなきゃダメですか?」
返答はなかった。それがすでに返答だった。
左側からは、強烈なプレッシャー。すでにチェックを終わって尻をしまった参加者たちが、視線の矢を投げつけてきているのだ。すなわち「お前も脱げや」と。
(ど、どうしよう……)
普通に脱ぐだけだけなら、まだいい。納得はできないが目的のためだ、我慢しよう。
だが、ダメなのだ。こればかりは。
なにしろ今日のパンツはただのパンツではない。中学の修学旅行で大阪に行ったとき友達に乗せられて買った、全面金粉貼りのド派手なイロモノ。しかもお尻の部分には、極太の筆文字で『大金星』という用途不明の文言が刻まれており、こんなものが衆目にさらされた日には、もう生きていけない。高校受験のときに願かけのつもりで穿いていったところ見事合格できたため、今日もそれにならっただけなのだが、まさか人様に見せるハメになるとは想像もしていなかった。
(ああっ、しかも中学よりちょっと太ったからピチピチなんだよぉ~。ピンチ!)
「……了解した。辞退ということだな」
「ああっ、待ってください! 分かりました! 脱ぎます、脱げます、脱がせますっ!」
謎の三段活用は、ハラをくくった証拠だ。花より団子、恥より夢である。
ジーンズのボタンを外し、ゆっくりとファスナーを降ろす。ジジジ……という聞きなれた音が今に限ってやたらと卑猥なのはどうしてだろう。他のメンバーはもう全員普通人に戻っているのに、ただ一人下着を露出しようとしているこの状況……金粉だとか大金星だとか以前に、ものすごく変態的なことをしている気になってきた。
(ええい、もうっ! ここまで来たら迷うなあたし! ドーンといかんかい!)
そう、金粉だろうと何だろうとたかが布切れ。毒を食らわば皿まで食らえ。グワッと両手を腰にかけ、開いた口から気合一閃、
「もってけドロボー!」
ずり下ろした。
沈黙が垂れこめた。ぎゅっと閉じたまぶたの外から、じっとりと生ぬるい、いくつもの視線を感じる。顔面の水分が蒸発してゆくのが分かる。
「……いいだろう」
ぷはぁ、と安堵の息。と、そこで沢村は、列を離れつつ妙なことを言った。
「最近は蒙古斑もレーザーで治せるそうだ。もし気になるなら、皮膚科に行って来い」
何のことだか分からない。なぜ蒙古斑を気にしていることを知っている? というよりなぜ自分の尻に蒙古斑があることがわかる?
美海は視線を下に向けた。
すっぽんぽんだった。
「どぎゃ――――――――――――――――――――っ!」
とうてい花の女子高生とは思えない絶叫とともに、その場にうずくまる。勢いあまって、ジーンズもろともずり下ろしてしまったのだった。
豪雨のように降ってくる笑い声。……ならまだよかったが、聞こえてきたのは同情、もしくはドン引きのひそひそ声だった。
「それはないわぁ……」「ひさーん……」「かわいそー……」「っていうか、ちょっとウケ狙ってたんじゃないのぉ?」「まさかでしょ……」「ヤバくない、女として?」
(あ、あれ? おかしいなぁ、目の前がにじんで何も見えないよぉ? えへへっ?)
へろへろと立ち上がり、どうにかジーンズ(とパンツ)だけは元に戻す。しかしもう姿勢を維持する気力はなく、壁にもたれてうつろに笑うしかない。
(そうだよ、これは計算通りなんだよ……だって大金星パンツ見られなかったもん……すごいでしょ、ねぇ、ほめてよみんな……ほめて……えへ、えへへへへっ……)
しかし彼女がボケようと狂おうと、試験はおかまいなしに進行するのである。