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サムライ・ドルフィンズ  作者: 古池ケロ太
ヴァーミリアン・カップ
48/50

(14)

 美海の丸い目が、ラストフェイズ最後の難関『ケーキカット』をとらえた。

 左右を切り立った崖に挟まれた、L字型の水路である。

 父が命を、沢村が右腕を失った場所。今度はここで、自分が全てを手に入れてみせる。

 奥歯を噛み、なけなしの儀力を振り絞って、美海はシャルロットの半艇身前に出た。

 左に付かれたのは痛恨だった。最後のターンは左曲がり。そして自分の左目は、もう――役に立たない。傷口が開き切って、ぬぐってもその上から血が垂れてくるのだ。

 となれば、相手の動きを見る必要があるイン差しはできない。アウトコース、それも相手と接触することのないほど遠くから、全速でまくるしかない。

 亀裂の中に入る。瞬間、視覚が死んだ。

 陽光あふれる海上からいきなり暗い亀裂の中に入ったのだ。瞳孔がついていかず、目の前が真っ暗になる。左右の岩壁にモーター音が反響し、聴覚までも潰えた。

 が、暗闇も耳鳴りも先刻承知済みだ。体が覚えたタイミングでそのときを待つ。

 ――ずっと、思っていた。

 どうして父さんは死んだのか。命をかけてまで、レースに挑んだのか。勝つということに、命をかけるほどの価値があるのか。

 今なら分かる。答えはもう、この手の中にある。

 父が追いかけた。沢村が受け継いだ。四年の時を越え、ロキシィ、円、クリスが自分に繋いでくれた。その大切なもののために、あたしは負けるわけにはいかない。

 ――そうだ。あたしは。

「あたしは――夢を託されたんだ!」

 光が弾けた。正面から獰猛なスピードで岩壁が迫る。恐怖心を奥歯で噛み殺し、衝突寸前まで引きつけてから左に切り返す。

 読まれていた。

 すぐ左、ヒジとヒジがくっつきそうな位置までシャルロットが迫っていた。先に動いた分、狙いがバレてしまったのだ。

 真紅の船尾がこちらの航跡をえぐり取るように迫る。ヴェルサイユ・ルーレット。

 右にハンドルを切ろうとした美海は、一瞬にして絶望のドン底に叩き込まれた。

 右はすぐに岩壁だ。逃げられない。

 船首が海から引きはがされてゆく。スローモーションで視界は上に流れてゆく。重力が消え、ナナメ右四十五度に浮き上がるジェット、死を運ぶ岩の壁が、避けようもない角度で目の前に迫ってくる。

(終わっ……)

          ――美海。

「!」 

 美海は、とっさに後方加重した。一気に背中をエビ反らし、バーにぶら下がるようにして、左後方に頭を持って行く。

 と同時に渾身のスロットル。きりもみしながら飛び出したジェットは、船底から岩壁に激突した。

【うわあああっと、日本艇、大破! ……い、いやっ?】

 壊れない。どころか、美海艇は岩の壁を斜めに切り上がってゆく。いや、正確には。

 岩壁にへばりついた波の上を、だ。

【な、なんだぁ? シャルロット艇が起こした波を! まるでサーフィンのように!】

 もちろん全部がサーフィンのようにはいかない。ごりごりというイヤな音は、船底が岩肌に削られている証拠だ。

 眼下では、体勢を整えたシャルロットが、水を切り裂いて追いかけてくる。船底はボロボロ、このまま着水したら、絶対に勝てない。ならもう、道は一つだ。

 岩肌の滑走路が切れる。正面に青く広い空と、ゴールデンビーチの真正面に浮いた、栄光のゴールブイが見えた。

 渾身のスロットル。腹の中の水を残らずブチ撒けて空へ。

「と……べええええええええええ―――――――――――――――――――――っ!」

 イルカが、飛んだ。

 ……。

 …………。

 ………………。

「ぶはっ!」

 美海は水面から顔を上げた。

 泡立つ波間に座っている。お尻が砂地についている。すぐ横で、青いジェットが白い腹を見せて波打ち際に打ちあがっている。空は高く澄んでいる。

 何も聞こえない。水が入ったのだろうか、両耳はボワボワと鳴るだけだ。

 振り返れば、ゴールブイのあたりから自分のところまで、大きく左に曲がる航跡がゆらめいていた。無我夢中で突っ込んだ拍子にカーブして、浅瀬に突っ込んでしまったらしい。着水の衝撃でゴーグルまで吹き飛んでしまっていた。

 勝ったのか、負けたのか、それ以前にまともにゴールできたのか。わけが分からず、ひたすらあたりを見回していると、波を分けて歩み立つ二本の足があった。

「シャルロット……ちゃん……」

 シャルロットは、ただ、無言。ゴーグルはすでに外していて、あらわになったアメジストの瞳が、ほんの少しの怒りを湛えたような色でこちらを見下ろしている。

 いきなり視界が持ちあがった。

 襟首を掴まれ、立ちあがらされたのである。

「え、ちょ、ちょっと……?」

 そのまま浜辺の方へ乱暴に突き飛ばされる。よろめき、止まり、顔を上げたところへ。

「ミミ――――――――――――!」「モ―――――――――コ――――――――!」

 祝福が襲ってきた。美海は二人がかりのタックルに押し倒された。

「優勝だヨ、世界一だヨ、ミミ!」「心配させやがって、このヤロー! バカヤロー!」

「ゆ……ゆうしょお?」

 涙まみれの笑顔。もみくちゃにする手。跳ねまわる水飛沫。どうにか体を引き起こそうとしたところで、再び引きずり倒される。

「さ、沢村さん?」

 沢村は何も言わず、ただ抱きしめてくる。嗚咽が伝わってくる。想いが伝わってくる。

「さ……わむら、さん……っ」

 美海の目に、たちまち涙があふれ出た。

 後はもう、言葉にならなかった。

 耳から温い水が抜ける。

 入れ替わりに、地鳴りのような大歓声が飛び込んできた。

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