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サムライ・ドルフィンズ  作者: 古池ケロ太
ヴァーミリアン・カップ
46/50

(12)

「やった、ミミ!」

 クリスの顔は驚き半分、嬉しさ半分だ。

 沢村が「飛び込んでゆけ」と指示した時はどうなることかと思ったが、差しにかかった美海に対し、シャルロットはなぜかルーレットを出さなかった。

「で、でも、どうしテ?」

「分からないか。あれはターンのとき、船尾が旋回する勢いで放つ技だ。つまり、自分の外側の相手に対してしか使えない」

「あ……だカラ」

「そう。平良に指示したんだ。『インコースを突け』と」

 思ったとおり、シャルロットはブロックで対抗せざるを得なかった。しかも、かろうじて、だ。そして美海には、必殺の鋭角ターンがある。

 スラロームはまだまだ長い。このままアタックを続ければ、必ずどこかで――。

「くだらない」

 沢村の期待を、シベリウスは一蹴する。

「あの子には、私の全てを教えてあるのよ。その程度のアタックで切り崩せると思う?」

「何だと?」

「見てみなさい」

 画面の中、美海は再びインコースへと切り込んでゆく。ブイとシャルロット艇の間、針穴のような隙間に向かい、船首を突き入れにかかる。

 沢村の、そして美海の顔がはっきりと強張った。

 シャルロットのターニング――まるでコンパスだ。ブイに船首を押しつけて、そこを支点に船尾だけを滑らせる。針穴一つ分のスキさえ見つけられない。

「『ドリフト』か……!」

 シベリウスがファーストブイで見せた走法である。船尾が水の抵抗をモロに受ける分スピードは落ちるが、インコースの防御は強固この上ない。

【日本艇、二度三度と抜きにかかる! しかし切り崩せない!】

 はじめは焦燥の色が見えたシャルロットの顔も、落ち着きを取り戻している。アタックのリズムと強さを完全に覚えたらしい。

 ――まずい。

 ここを通過すれば、あとは四百メートルの直線と、左ターンを一つ挟んで最後のホームストレートだけだ。直線のスピードで劣る美海が勝つには、ここで追い抜くしかない。

 だが、インコースはこうして封じられ、外を回れば一撃必殺の転覆技が待っている。

 八方塞がりだ。

 美海はなおもアタックを続ける。だが、その顔には明らかに疲れと迷いの色がある。

 当然だ。インコースへの切り返しは、常に落水の危険をともなう。なおかつ大幅な重心移動を必要とするため、精神・肉体の両方から体力を削られるのだ。

 それだけのリスクを負いながら攻め続けているのに、ことごとくはね返されているこの現状――その先に希望が見えていれば別なのだろうが、実際にやっているのは不毛な突撃の繰り返し。心が折れるのは時間の問題だ。

【ああっと、タイラ、遅れ始めたか? 二艇の差が少しずつ広がってゆく! 『ハンドレッド・ターンズ』、残りは三分の二だ!】

「どうやら……私のライダーのほうが、貴方のよりも上のようね」

 シベリウスの声が、頭の中で無限に反響した。

『沢村さん』

 そのとき、ヘッドセットから、美海の声が聞こえてきた。

『どうすればいいですか。どうすれば抜けますか。教えてください』

 沢村は息を詰めた。まだ、美海は諦めていない。

(平良……!)

 打つ手はある。しかしそれは、何よりも美海自身が強く心を持たなければできない芸当だ。自分を信じてくれなければ、できないことだ。

 不意に、美海との日々が脳裏を駆け抜けた。思えば彼女には叱りつけ、怒鳴りつけた記憶しかない。試練を与え、悩ませ、苦しませ、泣かせ――ほんのゆうべですら、不安に震えさせてしまった。

 そんな自分を――彼女は信じてくれるだろうか。言葉を受け入れてくれるだろうか。

 沢村はただ一言だけを、唸るように発した。

「勝ちたいか、平良」

 イヤホンから、苦しげな息が伝わってくる。波音にまぎれて、消えながら、

『……たい、です』 

 しかし、美海ははっきりと答えた。

『勝ちたいです! 勝たせてください、沢村さん!』

 血が沸き立った。

 美海は信じている。この人なら、勝たせてくれると信じている。ならば。

 ――それに応えずして、何がコーチだ。

 沢村はテーブルを打ち鳴らし、ヘッドセットに声を叩き込んだ。

「アタックだ! 今のまま攻め続けろ! 私を信じろ、平良ァ!」



 一体何度アタックしただろう。もう数え切れないし、数えていない。出血のせいで頭がぼぉっとし、時間の感覚すらあいまいになってきた。

 それでも、あの人は攻めろと言った。だから前に出る。それ以外の理由は何もいらない。

(信じます……沢村さん!)

【『ハンドレッド・ターンズ』が終局を迎える! 二艇の差、依然一艇身!】 

 フランス艇が、最後のブイの右側へと斬り込んでゆく。黄色いボールに鼻先をくっつけ、滑る船尾が反時計回りの弧を描く。インコースの隙間は、やはりゼロだ。

 構うものかと美海は攻める。相手の引き波を踏み越え、フルスロットルから左方向へ渾身の切り返し。

「!」

 見えない。視界の左半分が真っ黒だ。血で左目を塞がれた。

【あああっと、日本艇、滑った! バランスを崩して横に流れてゆく!】

 美海は目を閉じた。視覚を捨て、平衡感覚を総動員して船体の傾きを洗い出す。

 半分しゃがんで左に重心移動、倒れかかったジェットが復元すると同時に肩口で血をぬぐい、ようやく復活した視界に――

「ぎりみぃ」

 シャルロットの凶悪な横顔が飛び込んできた。フランス艇のアウト側、完全に必殺の間合いの中だ。

 逃げろ、と考えるヒマもなかった。血のように赤いサイドバンパーが、間髪入れず足元に潜り込んでくる。ヴェルサイユ・ルーレット。

 もしそこで美海が、再び目を閉じていたなら、きっと気づかなかったろう。

 弧を描くその船尾の、勢い、力感、そして、スピードのなさに。

 反応というより、反射に近かった。

(右!)

 噴水が上がった。美海艇が左への急旋回でルーレットをかわし、空振りしたシャルロット艇の船尾からノズルの水が噴き上がったのだ。

【ああっ! これはどうした、フランス艇突然のスピン! そ、そして日本艇はッ!】

 分からない。スピンの影響で波と水飛沫がでたらめに暴れまくっている。かといって収まるのを待つわけにもいかず、上下の感覚すら分からないまま、とにかく思い切り儀力を叩き込んだ。ノズルが吠え、前に進んだのだけが知覚できた。

 進んだ方向を教えてくれたのは、実況の怒鳴り声だ。

【抜いたァ――――ッ! 日本艇タイラ、最後のターンでついに逆転! ラストフェイズ、はじめての先頭で次の直線に突入だァ――――――――――――――――!】


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