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サムライ・ドルフィンズ  作者: 古池ケロ太
ヴァーミリアン・カップ
45/50

(11)

【て、転覆――――――――!】

 実況の悲鳴が、島中に響き渡った。

【なんということか! 日本艇、『チェックメイト』最後の最後で真横に転覆! どうやら、ターンしようとしたフランス艇と接触してしまったようです!】

 海上に白く泡立った波紋。上下する波の中に、青い鼻先が見え隠れする。

【フランス艇はすでに体勢を整えて走り去っています! 日本艇、これはもはや……】

 と実況が言いかけた瞬間。波紋の中から何かが飛び出した。

 青いジェットは、水圧ジェットのように一度空中へ跳び、見事に着水した。

【あっ! し、失礼しました! 日本艇、無事です! なんという強運! どうやら一回転して船尾から沈んだだけのようです!】

 どぉ、と安堵の息が一斉に観客席から漏れた。一部から上がる失意のため息とブーイングは、フランスサポーターだ。

 びしょ濡れになりながらも、美海の目は闘志を失っていない。

 直線のコースを、それしか知らない生き物のように突っ走る。もし相手が一年前のシャルロットだったなら、沈没による三艇身の差など、一瞬にして跳ね返したに違いない。それほどのダッシュだ。

 だが今、彼女の前にいるのは――

【あ、ああっ……こ、これは……】

 赤いジェットの引く波が、性質を変えた。

 ジェットの周りに飛沫が立たない。サイドバンパーに切り取られた水がわずかに白く線を残すだけで、これだけのスピードなのに、その静けさは不気味なほどだ。

「くっ……きははっ……ちぃきゃひゃふはははははははははあはあは!」

 シャルロットは、生まれて初めて嗤った。顔の半分ほども口を開き、氷の言語で。

 死に物狂いで追いかけてくる青いジェット。背中に感じる、ありったけの感情。

 ――気持ちいい。

 楽しい。嬉しい。全身の細胞一つ一つが、電気を喰ったように踊っている。

 こんな瞬間が、この世にあったのか。こんな感覚を知らずに生きて来たのか。

 面白くて仕方ない。戦うことが。競うことが。そして、叩きのめすことが。

【なんというスピードだ、シャルロット! 氷后そっくりのライディングで、追いすがるタイラ艇を引きはがす、取り残す、打ち捨てるゥゥゥゥ!】

 なおも美海は走り続ける。歯をくいしばり、敗北感から逃げ出そうとでもするように。

 そうだ。もっともっと追いかけて来い。もっともっと楽しみたい。

 もっともっと、もっともっともっともっともっともっともっと気持ちよくなりたい!

「ちききっ、うぃちち、けははは! てゅら―――――――――――――――――!」



 沢村は強く舌を打った。美海の左の眉の上から、血が流れていた。

 ――落水の時か。

 ひっくり返ったとき、ハンドルかどこかに顔をぶつけたのだろう。出血量から見て、かなり深く切れているようだ。美海のバランス感覚からして、ただの不注意でぶつけたとは考えられないから、よほどのスピードでひっくり返されたのだろう。

「あの技は、お前直伝の秘密兵器というわけか。アンネット」

 沢村の問いに、シベリウスは満足そうにうなずいた。

「『ヴェルサイユ・ルーレット』。なかなかいいネーミングでしょう?」

 クリスは理解できない、という表情で沢村に振り向く。

「ど……どういうことデスか、コーチ? アレは……ワザとやったってことデスか?」

 まさか、と思うのも無理はない。

 一見すれば、シャルロット艇がターンに失敗してスピンし、そこへ、外から抜きにかかった美海が『たまたま』巻き込まれ、横に倒れた。それだけだ。

 だが、違う。シャルエットはあえてスピンをかけたのだ。そしてそのまま、美海艇のアゴの下に、サイドバンパーを滑り込ませた。

 通常ならば、そんなことをすれば押し潰されるのがオチだ。だが、遠心力が加算されたシャルロット艇の船尾はそれに耐え、逆に下から持ち上げる。美海艇にしてみれば岩礁に乗り上げたようなものだ。加速する最中に食らったのでは、ひとたまりもない。

 明らかな故意――だが、怒りよりも感嘆が勝る。人間離れしたテクニックだ。

「アンネット。貴様、シャルロットに一体何をした? 催眠術でもかけたか?」

 沢村が集めたデータにあるシャルロットは、そつのないライドをするという、ただそれだけの選手だった。あんな絶技を使いこなせる器ではなかったはず。

「貴方の国では『学ぶ』という言葉は、『真似る』から来ているんですってね」

 意味を測りかねる沢村に、シベリウスはにこりと笑う。

「そういう意味で、あの子は天才。ずぅっと『ある人間』の模写ばかりしてきたんだもの。観察眼の鋭さには、私も舌を巻いたわ。……でもね。お手本が悪ければ、それも台無し。『ある人間』はもう、シャルロットには小さ過ぎたのよ」

「そこでお前が、というわけか」

「ウィ。感謝するわ、マキ。技は覚えても、育ちのせいかしらね。あの子、どうも自分を信じ切れないところがあったの。だけど貴方の弟子の走りが、底力を引きだしてくれた……引退する前に、いいものが見られたわ」

 沢村は、しばらく考え、ゆっくりと言葉をつむいだ。

「あれは……四年前のことは、事故じゃなかったのか」

 飛ばされる美海を見た瞬間、フラッシュバックした。四年前の自分が重なった。

 ずっと偶然の接触だと思っていた。だがもしあれが、ヴェルサイユ・ルーレットによるものなら。故意だというのなら。

「ノン。あれは本当に、ただの事故。あんなことになるなんて、思いもよらなかった」

「ならあの技は何なんだ。大層な名前までつけて、お前が教えたんじゃないのか?」

「違うわ。あれは、シャルロットが自分で編み出したもの。あのときの映像からヒントを得て、ね。あの子は本当に天才よ」

 沢村はシベリウスの胸倉をつかみ、叫んだ。

「なぜ止めない! 私のような人間をまだ増やしたいのか!」

 片腕を失ったことに後悔はない。デッキに乗った以上、覚悟はしていた。

 だが、だからと言って、あんな事故が何度も起こっていいはずはない。しかも、あえて転覆させるような真似を――それがどれだけ危険か、氷后ともあろうものが分からないはずはないのに。

「なら聞くわ。貴方は完成されてゆく芸術品を前にして、止めることができて?」

「な……に?」

「仮にもコーチを務めたのなら、身に覚えがあるでしょう? 巨大な才能を目の前にして、どうしても止められない。どこまで昇ってゆくのか見てみたい、そんな感覚が。ねぇ……分かるでしょう? サワムラコーチ?」

 沢村は、微笑む氷后から手を離した。抗う言葉は、なぜか出てこなかった。

【さぁ、ラストフェイズもいよいよ中盤! 両者が次なる関門に突入してゆく!】



 『ハンドレッド・ターンズ』――縦列に並ぶブイの数はなんと百個。しかも、これがわずか三メートルの間隔で延々と続くとなると、ライダーが感じる肉体・精神的疲労は、千回分にもなるだろうか。

 シャルロットは白い弧を描いてスラロームに入った。振り返れば、日本艇は四艇身も後ろ、いや、三艇身、二艇身――

【は、速いっ! タイラ、驚異的な速度の切り返しで、みるみる差を詰めてゆく!】

 やはりターニングそのものは、向こうのほうが上だ。ブイを横切るたび、直線で作った貯金がみるみるうちに削り取られてゆく。

 だがそれでも、シャルロットは嗤った。嗤える理由があった。

 ヴェルサイユ・ルーレット。間合いに入れば確実に仕留める必殺技がこちらにはある。

 実戦投入は初めてだったから、さっきは仕留め損ねたが、今度はそうはいかない。

【さぁ、五つ目のターンだ! タイラ艇がシャルロットの尻尾をとらえた!】 

 逆転の予感に大歓声が沸き起こる中、青ジェットが懐に飛び込んでくる。

 てんで無造作な、無策そのもののターンだった。

 シャルロットは、待ち構えていたように、ハンドルを右に切った。自分の体を軸に船体を一つの独楽と化しめ、左足をサイドバンパーに叩きつけると同時に儀力全開。

 ヴェルサイユ――

「!」

 瞬間、シャルロットはそれを中断した。急ターンでインコースを突いてきた美海艇に対し、船体を投げ出すようにして進路を塞ぎ、

【どああっっと! シャルロット艇、ブロック! しかし、これは――】

 横っ腹に激突され、横転しかかるフランス艇。右に倒れるようにして、かろうじて立て直す。と、手の届きそうな距離で、美海が会心の笑みを浮かべていた。

「ナイス、沢村さん!」


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