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サムライ・ドルフィンズ  作者: 古池ケロ太
ヴァーミリアン・カップ
44/50

(10)

【さぁ、『チェックメイト』もいよいよ終盤! 残り数本の石柱を残すのみ! ここまでノーミスで迷路をクリアしてきた両者、その差はもうほとんどありません!】

 二センチ。さっき横切った岩と、ジェットとの距離だ。

 いや、ちゃんと測ったら二・五かもしれないけど、とにかくそれくらい近かった。

 そして、それでもなお、まだ近づけると言い切れる。それくらい『見えて』いる。次々と襲いかかってくる岩のデコボコも、飛び跳ねる水飛沫の一滴一滴さえも。

(いける!)

 頭はスカッと晴れ渡り、視界はこれ以上ないくらいに鮮明。体はキレキレにキレまくって、自分でも恐いくらいの絶好調だ。今なら誰と競り合っても、負ける気がしない。

 視界が開けた。残りは一本、『キング』の駒を思わせる、ひときわ野太い石柱だけ。

【日本艇ハンドルを右に切った! 岩の右側を抜きにかかる!】

 と同時に、赤いジェットが横から飛び出してきた。

 迷路に入る前は一艇身先に行かれていたのが、今はほぼ同順――ということは、テクニックはこちらのほうが上だ。一度先行してしまえば、ゴールまでブロックできる。

 ここが勝負のカンどころだ。美海は波を蹴った。

 そうはさせじと、シャルロットがその左脇にへばりつく。左ターンしようとする美海艇と岩のスキ間に潜り込み、内側から差しにくる動きだ。

 ――やればいい。

 ここを抜ければ、短いながらも直線コース。下手に妨害するよりは、そのままアウトコースでスピードを維持し、前に出たほうが得策だ。

 フランス艇が岩肌ギリギリを切り進む。日本艇はそのギリギリ外側をかすめ通る。二本の航跡が一本になりそうな距離で弧を描き、その頂点、最も角度の鋭いところで美海は一気に加速、シャルロットの前へ出る。

 海がひっくり返った。

(――な)

 声も出なかった。

 ひっくり返ったのは、海じゃなくて自分とジェット――そう理解した時には、重力は足元から消え去っていた。

 粘性を帯びた時間の中、視覚と聴覚だけが異様に冴えていた。

 美海は見た。そして聞いた。

 逆さまの視界に映る、シャルロットの氷のような無表情。

 そして、抑揚のない、どこの国の言葉でもない、声。

「みりかたねりちうき」



「この恥知らず!」

 紙を叩くような音と、お姉様の甲高い怒鳴り声が、建物の間に反響した。

 閃光のような痛みに遅れて、じんわりと頬が熱くなった。

 遠くからは、表彰式の華やかなアナウンス。ジュニア世界選手権。表彰台をフランス勢が独占。一位、キャンデロロ選手。二位、ギャバン選手。三位、キタガワ選手……

「表彰式なんて恥ずかしくて出させられませんわ! 六艇身……六艇身もよ、あんなに差をつけられて、しかも、よりにもよってあのロキシィに! ああもうっ、考えただけでいまいまいまいまいましい!」

 お姉様はがりがりと頭をかき回した。かつてジュニアで優勝したお姉様にしてみれば、こんなところでつまづく自分は、ギャバン家の面汚し以外の何でもないのだろう。

 私もそう思う。

 いつだって、お姉様の言うとおりに生きてきた。お姉様はすごいから。何をやっても上手にできるし、何をやっても正しいし。周りの大人の人たちも言っている。お姉さんみたいに、お姉さんに負けないようにがんばりなさいね、って。

 だからそうしてきた。お姉様の言うことを聞いて、お姉様の真似をして生きていれば、何も間違いなんて犯さない。そう信じているから。

「大体、どうしてあそこで抜かなかったんですの! 最後から三番目のブイ! 外からまくれたでしょう? どうしてあんな何でもないところでフラフラするんですの!」

 どうして、と言われて私は困った。人形の不出来を怒る人はいても、その理由を人形に問う人はいない。

 答えを言語にするのに少しかかった。次いで、答えるべきかどうかを迷った。

 ――だって、お姉様なら。

 黙りこくる私に、お姉さまは業を煮やしたのか、

「もう結構! 今日は帰ってくるんじゃありませんことよ! そのへんで野宿なさい!」

 遠ざかる背中を、私はぼんやりと見送った。

 うずくまる。群れからはぐれたのだろうか、足元で蟻が死んでいた。

「泣かないの?」

 顔を上げた。いつからそこにいたのか、女の人が建物の壁に肩をもたせかけていた。

 その人には見覚えがあった。いや、見覚えどころじゃない。仮にもライダーを名乗るなら、知らないわけがない。

 ――でも、どうしてここに? 

「探してたのよ。……それにしてもひどい言われよう。実のお姉さんでしょ? あんな言い方されて悔しくないの?」

「……別に」

 強がりじゃない。本当に、悔しくなどなかった。ただ、お姉様の言うとおりにできなかったこと、自分が不良品なのだということを認識した。それだけだ。

 その人は「ふーん」と一房だけ長い前髪をいじり、

「あの場面、まくりに行っちゃあダメよね」

 私はハッと顔を上げた。食いついたな、とばかりのニンマリした笑み。

「優勝した子は、スタミナに難があるみたいね。後半、明らかにターンが外に膨らんでたもの。そんなところへまくりにかかったら、内から弾かれるのがオチ。だからあそこはインを差しに行くのが正解……貴方がやろうとしたようにね」

「……」

「どうして途中で止めたの? いい入り方だったのに」

 見破られたことには驚いた。だけどその次にはもう、空しさが舞い降りてきた。

 ――どうでもいいじゃない。

 答えはある。でも、それをこの人に言わなければならない理由が、どこにあるのか。

 お姉様以外の人間とつながりを持つ必要が、どこにあるのか。

 黙っていればそのうち飽きて帰るだろう。私は顔をうつぶせた。――と。

「綺麗な肌」

 しゃがみこんだその人の手が、私の頬に触れていた。

 凍てつくような美貌が、文字通り、目と鼻の先にあった。

「貴方に興味があるのよ、シャルロット=ギャバン。なぜ、ワザと負けたの?」

 それでも、無視することはできたはずだ。だけど私は、ささやき声に引き込まれるまま、本心を漏らしていた。

「お姉様なら……抜けなかったから」

「……?」

「私は、お姉様の真似をしないといけないから」

 その人は少し考え、

「つまり、お姉さんのできないことをしてしまったら、真似にならないから? だから抜かなかったっていうの?」

 私がうなずくと、眉を寄せて寂しそうに笑い、

「あ……」

 額に唇が触れた。絹のような柔らかな感触。二つ名とは裏腹の温かさ。

 どうしてだろう――気持ちが和らいでゆく。

「気持ちいい……? でも、勝てばもっと気持ちいいわよ」

「かて、ば……?」

「人真似ができること、それは貴方のかけがえのない才能。だけど悦びまでは模写できない……。貴方が望むなら教えてあげるわ。もっと、きもちの、いいこと……」

 言葉の意味はよく分からなかった。ジェットに乗って気持ちよかったことなんて、一度もない。ただお姉様の後を追うためだけにはじめ、そして続けてきたのだから。

 だけど、その眠りに誘うような声は、確かな温度をもって私の体に染み込んだ。気持ちがふわふわする。頭の中がスープになる。夢の中にとろけてゆく……。

(気持ちいいって……どんなのだろう……)

「知りたい?」

「は……い」

 その人はゆったりと微笑んだ。

「いい子ね……」

 氷細工の顔が、ゆっくりと近づいてくる。私は目を閉じた。拒むわけがない。

 なぜならそれは、氷后の世界に連れて行ってもらうための。

 契約、なのだから。

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