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サムライ・ドルフィンズ  作者: 古池ケロ太
トライアウト
4/50

(3)

 おかもちを背に緩い坂道を下る。台風の多い土地らしい、いかにも頑丈そうな平屋根の家屋を横切り、『石敢當』の石柱が座る角をすりぬけ、たどりついたのは島の魚港。

 倉庫の前では、漁師たちが車座で昼食をとっているところだった。

「おおう、ミィミィ! そんな急いでデートかぁ? 猿山はあっちどぉ!」

「だぁーれがサル女よぉ! ふらー(ばーか)!」

 見知りの漁師に笑顔で百歩神拳を喰らわせ、足を止めずに岸壁へと向かう。

 埠頭の先に泊めておいたイルカに飛び移り、キーを差し込む。美海プラスおかもちの重量にも、二人乗りのイルカはびくともしない。ハンドルバーを握り、精神集中――儀力を送り込む。お尻のノズルが水を吐き出し、青い体がゆっくりと前に出た。

 ここで言うイルカとはもちろん、あのエサをせしめるため飛んだり跳ねたり鳴いたり回ったり握手したりする、けなげな海の生き物のことではない。

 アクアジェット。マギナモーターを原動機とし、ウォータージェット方式で推進する特殊小型船舶。早い話が、儀力で走る水上オートバイだ。

 この名称が、実は最大手メーカー・ラムダ社による登録商標だというのは、意外と知られていない。正式名はMWC(Maginatic Water Craft)というが、なにしろこういうネーミングは日本では定着しにくく、一般には『ジェット』あるいは、美海のように足として使っている人間からは、『イルカ』と親しみを込めて呼ばれている。

 その形状はまさにイルカだ。頭の後ろから胴体の上半分をズバッと削ってシートを乗せ、頭にハンドルバー、お尻にステアリングノズルを突き刺してやればできあがり。

 全長三メートル、全幅一メートル。イルカというにはやや太めな流線形が、波紋を曳いて建物の影から抜ける。急な陽光に目がくらみ、数秒の間をおいて。

 青が飛び込んできた。

 透明を含んだ水色から浅葱色へ、そして紺青へ。進むごとに濃さを増してゆくマリンブルーの彼方、定規で引かれた水平線の上に、雲ひとつない青空がある。

 母の実家へ帰省したときに見た東京湾は、それはもう真っ黒だった。

 もし都会の人がアレを海だと思っているのなら、首にヒモをつけてでも、ここに連れてきてあげたいと美海は思う。

 呼吸を止めて、強く儀力を送り込む。モーターがうなる。波の頂点に陽光が照り返り、無数の電球が浮いたような海を、イルカのアゴがV字に裂いてゆく。「ざァっ……」と鳴きながら開く白波は、開演を告げる幕そのものだ。

 加速に合わせて、水が硬さを得はじめた。デコボコの道を走るように、イルカが跳ね出す。シートから腰を浮かせ、美海はなおも速度を上げる。

 モーターと波と風、三つどもえに競う音。みるみる後ろへ消えてゆく沖の観光船。陽光を呑んだ水飛沫が流星のきらめきを残す。風は絹糸のように頬を流れてゆく。

 左に大きく旋回すると、自分の影が日時計のように海面をめぐった。弧を描いた白波から水飛沫が高々と舞い上がり、その向こうに今しがた出てきた港のある、すなわち、美海の生まれ育った島が見えた。海に浮かぶテーブルのような、平坦な緑の大地。

 沖縄県――宮古島。

 沖縄本島から南西へ約三百十キロ。本州よりも台湾に近い、いわゆる離島である。

 三月にもかかわらず、日中の気温は二十五度を超える。アゴに伝う汗をTシャツの襟でぬぐいながら、やがて美海は島の西に位置する砂浜に到着した。

 観光船用の桟橋を拝借して、イルカを係留する。茂みを抜けると、そこはリゾートホテルの中庭だった。

 おかもちをガシャガシャと鳴らしながら白亜の建物に入り、

「ええと、集合場所は、真珠の間、真珠の間……」

 ロビーを曲がって廊下の向こう、肌色に塗られた上品な扉――あそこだ。

「おじゃまします!」

 飛びこんだ先は、どうやらパーティ用の部屋らしかった。フローリングの床を、やわらかな照明が照らしている。テーブルやイスが取り払われているためか、学校の教室ほどの大きさなのに、向こうの壁がずいぶん遠く見える。

 左手の壁に、三十人ほどの人間が横並びになっていた。トライアウトの受験者だろう。

 当たり前だが全員が女性で、ほとんどが二十歳前後といったところ。美海と同じくらいの年の子は少数派らしい。

 じろり。全員の目がこちらを見定めた。一瞬気後れする美海。

 が、すぐさま気を持ち直す。こういうときのために、秘密兵器を持って来たのだ。

 おかもちを下ろし、そば丼を一つ取り出す。勢いよくそれを突き出して、

「これっ! あたしが作ったおそばです! 食べてください!」

 受験者たちの間に、「え?」という空気が流れた。

 無理はない。試験を前に緊張していたところへ、巨大な箱を背負った少女が乱入し、やおら「そば食え」である。彼女らにしてみれば、どこのチンドン屋かと思うだろう。

 しかし美海はどうだといわんばかりの笑顔で、

「あのですね! あたしん家、そば屋なんです!」

 はぁ、と全員が呆けた顔。

「そんであたし、初対面の人には、自分のそばを食べてもらうことにしてるんです! 自分を知ってもらうには、心を込めて作ったものを食べてもらうのが一番だから! あ、これうちのお母さんの受け売りなんですけどね、にゃはははは!」

 バカ笑いに、列の一番手前の女性がびくっと震えた。そこへ美海は「どーぞっ!」と丼を突き出す。女性はほとんどなすがまま、爆発物でも扱うようにそれを手に取る。

「かつおだしがきいてるからおいしいですよぉ。いつもだったら店に来てもらうんですけど今日はこんな場だし、こっちから持っていこうって思って! あ、でもこんなにたくさんいると思ってなかったから、足りないかも。できたら二人で半分こして、」

「そこまでだ」

 刃の鳴るような声だった。

 列の真ん前、朝礼を行う校長先生のポジションに、その人物はいた。

 スッと背筋の伸びた女性である。黒のパンツスーツをスキなく着こなしているが、よく見ればその右袖は不自然に垂れさがっていた。中身は、空っぽだ。

 美海は、すぐさま彼女が何者なのかを理解した。

(この人が……沢村真希さん)

 古いニュース記事で見たとおりの顔だ。芸能人でも見たように、美海の胸は高鳴った。

「君はトライアウト参加者ということでいいんだな?」

 低く、軸が定まった声色である。切れ長の瞳に敵意は感じられないが、どことなく威圧感があるのは、長い黒髪を後ろにくくっているせいかもしれない。いわゆるポニーテールだが、彼女の場合、可愛らしさよりも侍のような厳しい雰囲気が際立つのだ。

「あ、は、はい。平良美海です。よろしくおねが……」

 言葉が終わる前に、胸元に何かを投げつけられた。「33」と書かれた丸い札。

「番号札だ。つけて並べ。君が最後だ」

 一切の贅肉がない口ぶりだった。

「それとその丼は片づけろ。目障りだ」

 吐き捨てるような言葉に、美海はちょっとムッとした。

「そ、そんな言い方ないんじゃないですか? そりゃあたしだって、ちょっと場違いかなー、ぐらいは思いましたよ! でも、せっかくみなさん本土から来てくれたわけだし沖縄人ウチナンチュとしては、少しでも島を味わってもらいたいなぁ、っていう気持ちで」

「ここに集まった者は旅行者じゃない。全員が、代表の座を争う君の敵だ。それとも、その丼に毒でも入れてあるのか?」

「そ、そんなことしませんっ!」

「そうか。もしそうなら褒めてやろうと思ったが」

 それだけを言うと、沢村は「さぁ並べ」とばかりに列の最後を指差した。

 美海の第一印象は決まった。

(なんか、コワい人)

 前回のヴァーミリアン・カップに出たときは、十八歳だったと聞いた。つまり今は二十一か二ということになるが、それにしてはずいぶんエラそうだ。

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