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サムライ・ドルフィンズ  作者: 古池ケロ太
ヴァーミリアン・カップ
37/50

(3)

 火薬が炸裂したような水飛沫。海上に撃ち出される九つの銃弾。

【世界の九艇が今ッ! アツいスタートを決めたァ!】

 全スターターが片膝立ちから素早く体を持ち上げ、ライディングフォームをとった。

 青のジェット、日本艇は第九コース。ファーストブイから見れば最も外側だ。

 ここからの定石は『まくり』、すなわち内側の艇をアウトコースから抜きつつ、ブイを全速で曲がることである。

 そのためにはインの艇とできるだけスピード差をつけないといけない、のだが。

【全艇、一歩も譲らず! スタートダッシュは九人全員が全くの互角だ!】

 各国一のスピード自慢の共演だ。誰ひとりとして抜け出せず、海面に図ったような等加速度の平行線が伸びる。

 ほぼ横並びの艇団、最初に頭を出したのは――

【シベリウスだッ! 最インの第一コース、赤いジェットが一番槍!】

 スタンドを揺らす喚声。興奮というより、驚きの声だ。

「は、速ぇ!」「ほとんど最高速じゃないか!」「あんなスピードで曲がれんのかよ!」

 ターンでは内側のほうが遠心力が強い。よってインコースの艇はスピードを抑えるのが定石である。なのにシベリウスは、そんなセオリーなどクソくらえで突っ走ってゆく。

「ナメるなよ! クイーン!」

 怒声と共に続いたのは、外から二番目、アメリカ代表アルトマンだ。緑のジェットの上でブロンドの髪を曳き流し、他艇の鼻先をかすめながらインコースへ斬り込んでゆく。

【アメリカ艇アルトマン、ストレッチを斜めに切り裂いてシベリウスを強襲! さぁ、間もなく運命のファーストブイだ!】

 シベリウスは左に腰を落とした。その尻に頭をくっつけて続くアメリカ艇。

 アルトマンの狙いは、『差し』だ。いくらシベリウスでもこのスピードでターンすれば、間違いなく遠心力に負けて外へ膨らむ。すなわち内側に空間ができる。そこへ船首をブチ込んで、インコースから一気に抜き去る算段だ。

 先頭二艇がブイに迫る。ジェットの尾が弧を描く。嵐のような水飛沫の中、横殴りの遠心力と戦いながら、アルトマンは女王の尻が外へと滑ってゆくのを見た。

「もらっ……た?」

 アルトマンの青眼がスッポンのように丸くなった。

 空間が開かない。一瞬流れたかに思えた赤いジェットは、そこから磁力のように船首をブイに吸いつかせて旋回してみせた。

【ま、回ったァ! シベリウス、このスピードで最内ギリギリを通って後続艇をシャットアウト! これが世界最高峰のコーナーリングワークだ!】

 この神業に愕然とするアルトマン。が、ぶっちゃけそんな場合ではなかったのである。

「うおおッ?」

 左から突然の衝撃。突如あらわれた、純白のジェット。

【うあああっと、ここで左後方から強烈な体当たり! ブラジル艇、セレーゾだ!】

「悪いっスねぇ、オバサン!」

 憤怒のアルトマンをニンマリと見送るセレーゾ。浅黒い顔に丸っ鼻を膨らませ、してやったりの表情だ。

 ジェットレースにおいて、これは反則ではない。相手を外へはじき飛ばし、なおかつ自分はその反動でインコースに潜り込む、れっきとしたテクニックである。

【アメリカ弾かれ外へ! さぁブラジル差すかフランス逃げ切るか一騎打ち……え?】

 実況が口を開け放した。観客が目を見開いた。そして、セレーゾはその両方だった。

 後ろからだ。影が迫ってきた。今しがた弾き飛ばしてやったばかりのアメリカ艇、ほんの一艇分空いたそのわずかなスキ間めがけて、恐ろしい速度で切り込んでくる機体。

【何だ? 大外から引き波を蹴散らして何かが来た! 全身ブルーのこの艇は……】

 腰を左に深く落としたコーナーリングフォーム、風にはためくツインテール、顔に貼りつく獰猛な笑み。前髪の奥から吊り目をぎらつかせた――

【キャンデロロだ! 日本艇キャンデロロ、アウトコースから一気に差してきたァ!】

 ドォ、と正面スタンドが沸いた。観客席からは、ロキシィの残した航跡がはっきりと俯瞰できるはずだ。剣の切っ先のように鋭い白い波の跡。外から内へ鋭角に切り返す強烈なターン。アウトコースからのまくり狙いから一転、ブラジルとアメリカの間に空間が開いたと見るや、一気にそこを突き破りにかかったのだ。

「すげえっ! なんだあのガキ!」「ホントにジュニアを出たばかりかよ!」

 観客がうなったのも無理はない。まくりの動きでターンに入りながら、内側の舟を差す。『まくり差し』と呼ばれる超高等技術だ。

 アウトからスタートした艇はスピードに乗っているから、急激なターンはインのそれより難しい。そこを乗り切っても、他の艇がターンする中突っ込んでいくのは、高速道路を横切るような恐怖をともなう。さらに視界を奪う水飛沫、バランスを奪う引き波――そのすべてを、この十四歳の少女は踏み越えてみせたのだ。

「こ……このっ……」

 一瞬にして右につけられ、しかし、セレーゾは何もできない。すでにジェットは前を向いている。ここで体当たりを仕掛けようものなら、転覆するのは自分の方だ。

 歯ぎしりせんばかりのセレーゾを置きざりにしながら、ロキシィはこの場面、最も効果的と思われる罵倒を投げつけた。

「ぶわぁ――――――――――――――――か!」

【抜いたァ! 日本艇キャンデロロ外からズッポリまくり差し! そしてそして!】

 前を行くのはただ一艇。

【フランス艇だ! 暴れ馬ルーキー、今度は女王の尻に噛みつきにかかるゥゥ!】

 シベリウス艇の残す航跡は、若干外へと膨らみながらも、ぐんぐん勢いを増して伸びてゆく。この操艇術はさすがというしかない。

 だが、それでも。

「喰うぜェ! 世界一!」

 ロキシィの爆発力のほうが上だ。シベリウスは内側を小さく回った分、助走が足りない。外から十分距離を使って加速してきたロキシィとは、勢いの差が歴然だ。

 航跡が伸びる。白波を曳いて、コバルトブルーがクリムゾンを追う。

 三艇身差、二艇身差、一艇身差――

【な――】

 そして。

【並んだ並んだぁ! 日本艇、女王の左脇腹に食いついた! ファーストブイを先頭で飛び出したのは絶対王者と最年少ルーキー! こんな展開を誰が予想したでしょう!】

 驚愕と興奮、大歓声が会場を覆いつくす。

 並走する二隻。並行する二本の航跡。千切れんばかりに後方へ引っ張られる両者の髪。

 シベリウスの緑の瞳が、ついと左に流れた。抑揚のない声が来た。

「いにきりにりちとて」

 意味は知れない。だが「なかなかやるな」的意味だろうとロキシィは見当をつけた。

「驚くなァまだ早いぜ――」

 不敵に笑みを返し、バーを強く搾る。一瞬の間。そして青いジェットが、

「イグニッション!」

 火を噴いた。

 そう思うほどの巨大な爆煙が船尾から噴き上がり、そのときにはもう、ロキシィ艇は突風の彼方だ。

 数秒の空白の後、地鳴りのような喚声が再びスタンドを揺らした。

【抜いた―ッ! キャンデロロ、信じられない加速でブッチぎりのトップに躍り出た!第十四回ヴァーミリアン・カップ、大波乱の幕開けだァ――――――――――――!】

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