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サムライ・ドルフィンズ  作者: 古池ケロ太
ヴァーミリアン・カップ
36/50

(2)

【さぁ、ライダーたちが持ち場へ向かいます! スターターはゴールデンビーチへ、セットアッパーとアンカーはシャトルバスで各スタート地点へ! 決戦は間近です!】

 大会ロゴをベタ貼りした台の上。ポロシャツの白人男がマイクに大声を吹きこんだ。

 今大会が実に六回目の実況担当となる名物アナ、モリス・グレンだ。芯の太いよく通る声に、スタンドのボルテージは熱した水のごとく、じわじわと盛り上がってゆく。

 その熱気を背に、沢村はコーチャーズボックスに入った。ビーチのやや奥まったところに立った、四本足のテントである。正面にはスターターたちのジェットが並ぶ水際、後ろはひな段の観客席。左右を見れば合計八つ、自分をあわせて参加九チーム分のボックスが並んでいる。他チームのコーチは全員が壮年の男、しかもその大半が、自国ではン億円の年俸を稼ぐ名将たちだ。この面子を向こうに、紅一点・最年少・最少年俸の自分が優勝コーチになればさぞ面白いだろうな、と沢村は思った。

 テーブルの上には、二十八インチの液晶ディスプレイがある。レース中は絶えずここに中継映像が流される。コーチはそれを見て指示を出すのだ。電源を入れ、機器に不備がないかを確かめる――と、不意にスタンドが沸いた。

 歓声というよりどよめきだ。顔を上げた沢村は、おのが目を疑った。

 正面の波打ち際、スターターたちが集合する中に、信じられない人物が歩いてゆく。

 赤地に白と青のラインが入ったライフジャケット。肩にかかった薄緑の髪。

 フランスチームのスターターは、シベリウスだ。

【こ、これは驚きました! 私の手元にも今、はじめて出走表が届きましたが……不動のアンカーと思われていた氷后シベリウスは、なんとまさかのスターター登録! フランスチーム、奇襲をしかけてきましたァ!】

 他のスターターたちは、熊でも見るような顔で氷后を遠巻きにしている。たしかに大会の出走は直前になるまで明かされないが、フランスの先陣予想は、ジュニアの短距離で結果を出しているシャルロットで鉄板だった。よもや自分が世界最強ライダーとやるハメになるとは、想像もしていなかったのだろう。

 沢村は唾を呑みこみ、そして考えた。これは奇襲などではない。

 ――これは、チャンスだ。

 ジェットレースは先行したほうが圧倒的に有利だ。レースの半分はファーストフェイズで決まると言っていい。それだけに、スターターの役割は極めて重い。

 シャルロットには、それを背負えるだけの力と経験がない。フランスのコーチはそう判断したのだ。だから本来アンカーのシベリウスを先頭に持ってきて、勝負に出た。

 ぞわり、と背筋を蠢くものがあった。

 シベリウスは確かに直線でも強い。実際、このフェイズの誰よりも速いだろう。

 だが、本来はターン技術で他艇を振り切るスタイルである。無理なポジション変更は確実にひずみを生む。そして――そのひずみを突く矛を、こちらは持っている。

 もし世界一のライダーたる彼女が敗れれば、それは単純に一つのフェイズを落としたという以上の意味を持つ。以降のライダーにも、精神的なショックを与えるはずだ。

 ずくん、と失くした右腕が傷んだ。沢村は肩を強く押さえ、祈るように唱えた。

「スタートだ。スタートだぞ、キャンデル……!」



【只今、全てのライダーが所定の位置に到着しました! 第十四回ヴァーミリアン・カップ・女子ウィメン! まもなくスタートです!】

 地鳴りのような喚声が、スタンド、いや、島中から巻き起こった。

【改めてご説明しましょう! ヴァーミリア島を南端から反時計回りに一周する、全長約十四キロのコースは、三つのフェイズに分けられます。ファーストフェイズは、スタートから約一キロの短距離コース、なんといっても見どころはそのスピードッ! 各国の儀力自慢が速度の限界に挑む迫力満点の戦いにご注目ください!】

 波打ち際では、各国それぞれに色分けされたジェットが、出陣を待ちわびている。

【ビーチから二百メートルほど離れた南の海上に、赤いブイが浮かんでいるのがご覧になれますでしょうか? スターターたちは一斉にスタートした後、このファーストブイを左にターンし東へ向かいます。先頭が有利といわれるジェットレース、ここをトップで抜けだしたチームが勝利を大きくたぐりよせるのは間違いありません!】

「よう、あんたがしょっぱなに出てくるたーな」

 ロキシィが出し抜けにそう言うと、周囲のライダーはぎょっと目をむいた。

 シベリウスは振り返り、緑の瞳を、同じ色の少女に向けた。そのまなざしに温度はない。昨日の柔らかな雰囲気がウソのような、冷酷な雪女の顔である。

「聞いたぜ。代表選考、あんたが口出ししたそうじゃねーか。好みでチームメイト選べるほど、あんたは偉いのかよ?」

 それでもロキシィはあくまで挑戦的だった。

 シベリウスは、霊峰の頂きから見下ろすように彼女を眺め、やがて、ただ一言。

「くりこくりまちせにとき」

 ロキシィはあっけにとられた。

 フランス語ではない。それどころか、どこの国の言葉でもない。それは、彼女自らが作り出した、彼女だけの言語である。

 優れたアスリートはそもそも皆、自分だけの精神世界を持っている。シベリウスの場合、沢村に敗れたことでそれがさらに先鋭化した。強さを追い求めた末に閉鎖され純化され凝固され、ついには言葉までオリジナルで固められた氷の世界。そこに閉じこもった彼女は、もう人ではない。

 しばし言葉を失っていたロキシィは、やがて不敵に笑い、背を向けた。

 同じライダーだ。なんとなく理解できる。氷后は、きっとこう言ったのだ。

 ――言いたいことはライドで語れ。

(いいぜ。お望みどおりにしてやろーじゃねーか)

 ブーツのホルダーに、バトンを差し入れる。決意は固まった。

「SET!」

 審判員の鋭い声が響いた。スターターたちが各々のジェットに駆け寄る。

 スタートはプルアップ方式だ。ロキシィが左からジェットの尾に手をかける。反対側から持ち上げる役割を担うのは、クリスだ。

「ロロ……」

 向かい合った彼女の顔は、不安にゆがんでいた。無理もない。これからロキシィが相対するのは、まぎれもなく世界最強のライダーなのだから。

「なんだよ、泣き虫クリスに戻っちまったのか?」

「だって……」

「トップでバトンを渡しゃあ、文句なしにオレが世界一だ。分かりやすいじゃねーか」

 ロキシィは口角を上げた。クリスはぎゅっと唇を引き締め、ようやく小さく笑った。

「行くぜ。オレたちの世界デビューだ」「……ウン」

 ロキシィが空いた左手からハンドルバーに儀力を送る。プロペラがうなる。ステアリングノズルが内部の水を吐き出し、強烈な水しぶきがビーチに飛んだ。それはちょうど興奮した闘牛が土を蹴り飛ばす様子に似ている。

 重なり合うすさまじいモーターの駆動音と水音が、全会場の興奮を最高潮に引き上げる。歓声が轟く。風が巻く。海がうねる。戦いがはじまる。

「スタート五秒前ッ!」

 脇のシグナルポールに、五つの青信号が灯った。カウントダウン。

「4《フォー》!」

 実況のそれに合わせ、観客席からも一斉に轟音が上がった。それはもはや人間の声ではなく、ヴァーミリアというこの島そのものの雄叫びだ。

「3《スリー》!」

 船体を水に降ろす。ロキシィがぐっと腰を落とす。

「2《ツー》!」

 クリスが唇を引きしめる。

「1《ワン》!」

 シベリウスがハンドルを強く握る。

「GO!」

 弾丸が放たれた。

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