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サムライ・ドルフィンズ  作者: 古池ケロ太
ヴァーミリアン・カップ
35/50

(1)

 ユニオンジャック、三色旗トリコロール、星条旗、日の丸――国旗は東へはためている。今日の波は、やや高くなりそうだ。

 決戦の日が来た。ゴールデンビーチは、すでに超のつく満員である。

 全島十二か所に設けられた観戦スタンドの中でも、ここのそれはとにかくデカい。幅四百メートルもある砂浜が、端から端まで階段状のベンチに占拠されている。海をのぞむ要塞のごときひな壇を埋めるのは、全身に国旗ペイントをほどこしたサポーターたち。お国それぞれのスタイルで気炎を吐くその横を、マイク片手のリポーターがかけずり回り、空では中継ヘリが群れ羽ばたく。高く組まれた鉄骨台の上では、カメラマンが相棒のチェックに没頭中だ。世界三十八カ国・二千万人が視聴する、四年に一度の大レースがついに始まるのである。

「ふぁ~、すんごい人だねぇ……」

 白地に側面が紺のウェットスーツと、セルリアンブルーのライフジャケット。日本チームのライディングギアを身に着けた美海は、三角屋根のテントの下から、手びさしをかかげた。スポンサーの看板がずらりと並ぶその向こうは、ホテル・ヴァーミリアン。ビーチをのぞむベランダは、双眼鏡を手にした人々で満杯だ。

「あのホテルの部屋、八十年後の大会まで、予約で埋まってるそうですよ」

「八十年後って……フツー死んでんじゃないのぉ?」

「見ずに死ねるかってことでしょう」

 言って、円は笑顔を作った。だが、それはなんともぎこちない。トレードマークの眉毛も、さっきから中央に寄りっぱなしである。

「んーもー。なんかカタいよぉ、エンちゃん。りら~っくす、りら~っくす」

「うっ……。ミ、ミィさんこそ、緊張してないんですか?」

 このビーチだけで六千個の瞳がこれから向けられるというのに、美海はずいぶん落ち着いている。いや、迷いないその眼つきは、気合いのノリがいいと表現すべきか。

「うん。ここまで来たらもう、やれることやるだけだから。全力を尽くすことだけが、ライダーに許された権利だもん」

 それは、かつて円自身が彼女に向けた言葉だった。

「でしょ?」

 屈託の「く」の字もない笑顔に、円の眉はゆっくりとほぐれていった。

「そう……ですよね。うん。……なんだか一本とられちゃいましたね」

 えへへ、と二人は笑い合った。

「全員、ゴーグルをかけろ。最後にもう一度、無線のテストをしておくぞ」

 パンツスーツ姿の沢村がテントに入ってきた。この暑い中でも、コーチはスーツ着用が慣例である。

 侍ポニーの頭には、ヘッドセットが装着されている。ヘッドホンに小型マイクがくっついたもので、手を使わなくても音声をマイクに送り込めるシロモノである。

 レース中は必要に応じ、コーチからライダーに無線で指示を出すことが許される。ライダー側の受け口は、ゴーグルに付けた骨伝導式小型イヤホンだ。

「ゴーグルには小型のマイクもつけてあるから、指示が聞き取りにくいときなどは聞き返してくれ。ちゃんと聞こえるか?」

 全員がうなずいたところで、拡声器ごしの割れた声が流れてきた。

【アナウンス、アナウンス。ライダーは各スタート地点へ、移動を開始してください】

 いよいよだ。各チームのテントから、気合いを入れる声が上がった。

 沢村は懐からバトンを取り出した。長さ十三インチ(約三十三センチ)の、何の変哲もないプラスチックの棒。これが三人のライダーをつなぐ、運命のロープだ。

「いいか、バトンタッチはスピードよりも確実性重視で。受け手の右につけて、左手で渡す。受け手の右につけて、左手だ。腕は水面と平行に。しっかり落ち着いてやれよ」

「わーってるって」と、耳タコな顔でロキシィはバトンを受け取り、

「つぅかよ、何かねーの?」

「? どういうことだ?」

「ほら、マンガとかでよくあんじゃん。決戦前に全員で円陣組んだり、手ェ合わせたりしてよ。ああいうのやろーぜ、ああいうの」

「ロロ、ミーハー……」

「うっせーなー。様式美だよヨーシキビ!」

 さすがジュニアで場数を踏んだだけはある。緊張どころか、ウキウキしていた。

 ふむ、と沢村は少し考え、バトンを取り返した。伸ばした腕の先でそれを垂直に立てみせる。

「前回のチームでやっていたことだがな。これを全員で握り、一斉に声を出すんだ。すると心が一つになる……やってみるか?」

「おおっ、それだよそれだよそーゆーの! やろーぜみんな!」

 ロキシィはいともたやすく食いついた。他のメンバーも苦笑しながらそれに続く。

 下から沢村、ロキシィ、クリス、円、美海。輪なりの少女たちから五つの手が伸び、一つのバトンに集う。それぞれがそれぞれの体温を感じ取る。……そして、震えも。

「……ミィさん……」

 美海の顔は、真っ青だった。快活だった先ほどとは、まるで別人だ。

「ご、ごめん……。つ、ついさっきまで大丈夫だったんだけど、なんか急に……」

 人の多さに怯えたのではない。本番の緊張感に呑まれたのでもない。

 バトンだ。プラスチックの無愛想な質感に触れた途端、あらぬ恐怖が襲ってきた。

 今からこのバトンを、ロキシィと円が運んでくる。自分はそれを受け取って走る。ゴールラインまで、全ての責任を負って。この五ヶ月の努力の全てをしょいこんで。

 ――もしミスしたら。転覆なんかしたら。

 どうしよう。どうやって謝ればいいんだろう。

 静まる円陣――。

 口を開いたのは、沢村だった。凛として芯の通った、力強い声。

「大丈夫だ。私にはもう勝利の確信がある。平良、お前を見てな」

 美海は驚いた。

 なにしろ沢村からは、怒られたか怒鳴られたかの記憶しかない。この五ヶ月を通じて初めて聞かされる、それはまぎれもない褒め言葉であった。

「ホ、ホントですかっ? あたし、そんな頼もしい顔になりましたかっ?」

 すると、沢村は首を振り、

「いや。頼もしいのは、パンツだ」

「は? パンツ?」

 ニヤリと口の端を引き上げる。初めて見せる、イタズラな笑みだった。

「大金星パンツ、履いてきているんだろう?」

 たちまち美海の目ん玉は飛び出した。

「な、な、な、何でそれっ……!」

「何でも何も。ホテルで洗濯に出していたろうに」

 同意を求めるように視線を流すと、他のメンバーもウンウンとうなずき、

「みんな知ってんぞ」「周知の事実ですよね」「来年の教科書に載るくらいの常識デス」

 ここぞとばかりにいじくり倒され、美海はムンクの『叫び』と化した。

 沢村はすかさず鬨の声を上げた。

「行くぞ! 大金星!」「「「大金星!(美海以外)」」」「もう殺して!(美海)」

「暴れてこい! じゃじゃ馬ども!」

 沢村が全員の尻を叩く。四人の少女が戦場へと弾け飛んでゆく。

「テャハハッ、おいモーコ! こんだけ恥かいたらもう恐いモンなんかねーだろ!」

「ああ~っ、もうっ! こうなったら、思いっきり暴れてやるぅ!」

 完全にヤケクソの美海、トマトのように赤らんだ顔から、もう緊張は吹き飛んでいた。

 駆けるライダーたちを迎え入れるのは、満場の拍手だ。


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