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サムライ・ドルフィンズ  作者: 古池ケロ太
ヴァーミリア島
34/50

(4)

「ホーホホホホ! 滑稽、滑稽! 面白いオトモダチがいてうらやましいですわぁ!」

 人垣がほどけても、ジュリエットはまだ笑い続けていた。

「世界中のマスコミの前でナンバーワンですって! ああもう最高! ロキシィ、あ」

 びゅん、と手元に影が伸びた。ロキシィが一瞬のスキに、唐揚げを奪い取ったのだ。

「あっ! こ、この卑怯者!」

 抗議しかけたジュリエットは、しかし、次いで後ろにのけぞることになる。

 ロキシィのフォークが、鼻先に突きつけられていた。

「吠へんはよ、ほのメフ犬」

 唐揚げをほおばりながら、褐色の顔は不敵に笑んでいた。

 ウィーアー・ナンバーワン。そうだ。アイアムではなく、ウィーアー。

 あんなアホが氷后とやりあうことになるのだ。スターターの自分がぶっちぎりで差をつけてやらねば、とうてい勝てない。

 ――じゃ、やってやろうじゃねーか。

 選考委員も氷后も関係ない。まとめて目にものみせてやる。

「そんなに欲しけりゃ、おごってやるよ」

 唐揚げを呑みこみ、ロキシィは堂々と宣言した。

「明日、オレたちの優勝賞金でな!」



 もう〇.五ミリ短く――。

 沢村は木の台の上にプロペラを乗せた。ヒザで固定し、慎重の上に慎重を重ね、刃にやすりをかける。ただでさえデリケートな作業であるのを片手でやるのは、そうとう骨が折れるが、手を抜くわけにはいかない。

 大会では公平を期すため、全ライダーが同一の型のジェットを使う。ただしプロペラだけは各自で整備することが許されている。この整備の優劣が、意外と勝負を分ける。

 基本的にはフェイズごとの特性に合わせる。直線を走るスターターは最高速度重視、コーナーの多いアンカーは加速力重視という具合だ。これに加えて、個人の力量に合わせた細かい調整を、翼のねじれ具合、大きさ、厚み、左右のバランス等を調整して行う。

 本来はライダーが自分でやるものだが、美海たちにそれを求めるのは酷というものだ。

 部屋の時計が十時を回ったところで、ドアがノックされた。小野田だった。

「おっ、ペラの整備か。後にしようか?」

「いえ。もう全部終わりましたから」

 沢村はやすりと木槌を片づけると、全員分のプロペラを丁寧にケースに入れた。

「すまんなぁ。俺がやってやれればいいんだが、現場を離れた分カンが鈍っちまってる」

「気になさらないでください。あの子らのライドを近くで見てきたのは私ですし」

 小野田はソファにLLサイズの尻を置いた。沢村が向かいの席につく。テーブルにワイン瓶と二つのグラスが置かれる。

「明日に障らん程度にな。さっきのパーティで飲んでないだろ」

「いや、酒はちょっと……イヤな思い出があるので」

 沢村は片方の杯だけにワインを注いだ。

 小野田は「そうか?」と残念そうにそれをあおった。

「それにしてもまぁ、たいした子だ。シベリウスの前で優勝宣言したんだって? 男子のトップライダーだって、氷后には手こずるってのに」

「何も考えてないだけですよ、アレは」

「いやいや、ただのバカにはできんて。俺なんて現役のころは、レース前にはメシなんぞ一口も喉を通らなかった。お前だってそうだろ。なんせ四年前は、成田の出発ロビーから顔面真っ青になってたもんなぁ。そりゃ気分も悪くなるわ」

 思わぬ角度から古傷をえぐられ、沢村はむっと押し黙った。くくっと忍び笑う小野田。

 沢村の顔がふと陰りを帯びた。

「小野田さん」

「うん?」

「濁って……いますか? 私の眼は」

 ことん。小野田はグラスを置いた。

「……シベリウスが?」

「はい。お前はここに復讐に来たのだろう、と。そう言われました」

 クーラーの音が、寝息のように長く流れた。

「お前自身はどう思ってるんだ」

「違う。……と。自分では思います。ただ、シベリウスの目からは……」

 もう一人の自分が見えるのかもしれない。自分にとって彼女が特別なように、彼女にとっての自分も特別な存在なのだから。

 シベリウスは、本当の名を、アンネット=ド=ヌーヴという。

 ジュニアでは、例に漏れず神童と呼ばれていた。神童のバーゲンセールのようなジュニアの世界で、走れば八割は勝っていたというから、その称号はまず本物と見ていい。

 十四歳、意気揚揚と出場したジュニア世界選手権で、しかし彼女は人生最初にして最大の屈辱を味わうことになる。招待選手として出場した、同い年の日本人に敗れたのだ。

 沢村である。

 地元フランスでの開催、しかも無名のアジア人に負けたとあって、周囲のバッシングは相当なものだったらしい。傷心の十四歳の少女は、その後、突如行方をくらました。

 本人が口を割らないため、真相は闇の中だ。一説によると、カヌーで一か月北極海をさまよい『神』に会ったのだとか。とんでもない話であるが、それを信じる者が少なくないのは、戻ってきた彼女がそれ以降、鬼神のごとき強さを見せつけたからだ。

 名前を変え名実ともに別人となった彼女は、十五歳で世界最高峰のフランスプロリーグ『リーグ・アン』でデビューし、以来、七年間、二百戦以上をただの一度も負けたことがない。永久不滅の大記録。正真正銘の怪物である。

 ――そうしたのは、私だ。

 かつて自分が打ち負かしたことで、彼女は怪物になった。その責任を取ってやろうと、リーグ・アンで挑むこと二十戦――一度も勝てなかった。そして、全てを賭けてのぞんだヴァーミリアン・カップで、二度とデッキに立てない体になった。

 あくまで事故である。自分の未熟が招いた事態である。恨みはない。未練もない。

 本当にそうか。

 それならなぜ、あのときのことを思い出すたび、幻肢痛に襲われるのか。

 なぜ、美海に「背負っているものがあるか」と聞かれたとき、

 ――私はとっくに引退した身だからな。口のするほどのものはない。

 あんなウソをついたのか。

「ひょっとしたら、私の奥には、泥のような復讐心が滞っているのかもしれません」

「……」

「もしそうなら、私は自分の復讐を、あの子たちに背負わせて……」

「沢村」

 顔を上げる。小野田の、いたずら坊主のような笑顔があった。

「お前にコーチを頼みに行ったときのこと、覚えてるか?」

 横っ飛びした話題に戸惑う沢村。目を泳がせながら、

「ええ……まぁ……」

「イヤがってたよなぁ、お前」

「それはそうですよ……」

 小野田が実家の花屋に身一つでやってきて、コーチ就任の話を切り出したとき、沢村はにべもなく断った。自分にはコーチング経験などないし、そうでなくても、そのへんから拾ってきた連中を五ヶ月でプロ並みに育てろだなんて、冗談にしてもひどすぎる。

 だが、小野田には殺し文句があった。

「覚えていますよ。『平良をムダ死にさせていいのか』って……あれは効きました」

「はっは、会心の出来だったなぁ。言葉ってな、シンプルでかつインパクトのあるのがいい。カミさんもその手で落としたんだ」

「同情しますよ、同じ被害者として」

 沢村は仕方なさそうに笑った。この人は理事より詐欺師のほうが向いていると思う。

 小野田はグラスを手に取り、ワインレッドの揺れる水面を見つめた。

「俺もよく覚えてるよ。死んだ魚みたいだったお前の眼が、あの一言でブァッと生き返ったんだ。氷后だろうと誰だろうと、濁ってるなんて言わせやしない。そうだろ、沢村」

「小野田さん……」

 沢村はきつく目をつむった。

 沈黙が流れた。窓の外では、あきれるほどに丸い月が泳いでいた。

「なぁ、真希よ」

 沢村は眉を開いた。下の名前で呼ばれるのは、四年ぶりである。

 小野田はグラスを一気に空けると、思いきったように口を開いた。

「現役に戻らんか」

 沢村は表情を変えなかった。そんな余裕はなかった。  

「最近は、スポーツ用の義肢も良くなってきてな。節電義手の一種で、儀力を通すことでヒジやら指やらを動かせるヤツがあるんだ。うまくマギニウムを組み込めば、義手を通じてハンドルバーに儀力を伝えることもできる」

「……」

「実際、アメリカでは実用化されてる。いや、もちろんプロの世界じゃ前例がないし、かなりの訓練が必要になるだろうが……可能性はゼロじゃないんだ」

 小野田が言葉を切ると、ようやく落ち着いた。

 そして考えた。この人は一体、どの時期からこのことを温めていたのだろう。義手の件に詳しいところを見ると、昨日今日考えついたわけではなさそうだ。

「まさか、私にコーチを頼んだ本当に理由はそれですか」

「まさかそれが全部とは言わないがよ。そうなりゃいいなって程度には考えてた。波と風とジェットの音。引退したライダーにてっとり早く刺激を与えるにゃ、一番だろう」

 確かにそうかもしれない。結局ライダーという生き物は、海から離れて生きることなどできはしないのだから。

「俺はな、ずっと後悔してた。お前や平良を事故らせたのは、自分なんだって」

「小野田さん……」

 かつて、沢村を「天才美少女ライダー」としてプロデュースしたのは、協会の委員になったばかりの小野田である。ジュニア世界選手権で優勝し、二年のフランス武者修行を経て帰国した彼女こそ、マイナー競技である日本のジェットレース界の救世主たりえると踏んだのだ。

 目論見通り、凛とした雰囲気と華麗なテクニックがメディアの目にとまり、『サムライ・マキ』は一躍、時の人となった。 

 これでもし上位に食い込めば一気にメジャー競技に、と気合いを込めてのぞんだヴァーミリアン・カップで、しかし、沢村と美海の父・克敏が相次いで死傷。日本では「ジェットレース=危険なもの」という印象が定着してしまった。増えかけていた競技人口は激減、唯一のアイドルだった沢村が引退したことで、世間は見向きもしなくなった。

「あのとき、オレが強引に売り出したせいで、余計な重圧をかけちまった。俺の目が欲にくらんでなけりゃあ……」

「違います、小野田さん。それは――」

「だけど、今からだって遅くない。どうか俺に罪滅ぼしをさせてくれ」

 立ちあがる沢村に、小野田は深く頭を下げた。

「海に戻ってくれ。真希」

 また殺し文句だな、と、沢村は彼のつむじを見下ろしながら、どこか遠くで考えた。

 思う。前までの自分なら、きっとそれで殺されていた。首肯しないまでも、心動かされ、迷うくらいはしたはずだ。だけど――

「顔を上げてください。小野田さん」

 今、まるで夕暮れの海のように心凪ぐ自分がいる。迷いも戸惑いも、ない。

 ライダーというのは、速い人間を見れば必ず嫉妬を感じる。追い抜かしてやろうと思う。先輩も後輩も関係ない。

 だが今、日に日に速くなっていく少女たちを見て、そういう気持ちが沸いてこない。

 ただ、楽しみなのだ。彼女たちの明日が。

「私が選手に戻れば、それは私一人だけの喜びです。だけど、私が今こうしていることで、喜びは五人分になるんです」

 だから。

「だったら、私はそれがいい」

 小野田は、細く長く息をついた。沈黙を置いて、空のグラスにワインを注いだ。

「飲んでくれ、コーチ。新しい門出に乾杯だ」

 沢村は、今度こそ杯を受け取った。


 涼やかなグラスの音が、廊下に漏れた。


 うとうととし始めていた円は、音もなく開いた扉から漏れる光に、目を覚ました。

 ベッドから半身を起こし、目をこする。美海のシルエットだった。

「ん……長いお手洗いでしたね」

 美海は身じろぎもしない。寝起きでよく見えないが、軽く震えているようにも思える。

「……何かありました? ミィさん」

「なんでも、ない」

 ぐずっ、と鼻をすする音とともに、向かい側のベッドにもぐり込むと、頭までシーツをひっかぶってしまった。

 どうしたのだろう。明日のことでナイーブになっているのだろうか。

 と、シーツがしゃべった。

「エンちゃん」

「はい?」

 聞いたこともないような、決意のこもった声だった。

「明日、がんばろうね」

 円は何度かまばたきをし、やがて、ゆるやかに微笑んだ。

「ええ。がんばりましょう」

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