表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
サムライ・ドルフィンズ  作者: 古池ケロ太
ヴァーミリア島
33/50

(3)

 どよめきが空気を揺らした。美海はスープをすする手を止めた。沢村は目だけを向け、

「……ようやくお出ましか」

 ホールの入口、押し合いへしあう人だかり。無数の記者とカメラの砲台に囲まれて、それでもその人物の姿は、驚くほど際立って見えた。

 美海はツバを呑みこんだ。背筋が凍る、というのはこういうことを言うに違いない。

「見えるか、平良。あの水色のドレスの……」

「分かります」

 教えられるまでもない。

 違う。まとっているものが、他の人間と圧倒的に違う。

 存在感というものが目に見えることを、美海は初めて知った。氷から冷気が立ち昇るような、圧倒的なオーラ。

 雪色の肩に、エメラルドグリーンの髪がまっすぐ落ちる。同じ色の瞳は切れるように鋭い。沢村の眼が研ぎ澄まされた日本刀なら、彼女は氷で作ったサーベルだ。

「あれが『氷后ラ・グラッセ』。フランス代表、ジーゼ=シベリウスだ」

 いくら美海でも、彼女の顔と名前だけは知っている。世界最速のライダー。生ける伝説。そして何より、前回のヴァーミリアン・カップで沢村と競り合った――

 氷の瞳がいきなりこちらへ向いた。

 のに続いて、あろうことか、氷后はそのまま近づいてくる。

「あいっ、こ、こここここここっち来る!」

「逃げるな、くそたわけ!」

 スープ皿を持ったまま逃げようとする美海を、沢村が引っ掴む。シベリウスは迷いのない足取りで接近してくる。記者たちが家来のごとくそれに追従する。ホール中の視線が注がれる。沢村が席を立つ。真正面から二人は対峙する。

「おおっ、『氷后』と『サムライ・マキ』のツーショットか!」「絵になるぜこりゃ!」

 テーブルを囲んだカメラの列から、すさまじい数のフラッシュが撃ち込まれた。

 二人の背丈はほぼ同じほど。一歩も退かない、刃とサーベルの鍔競り合い。

 先に動いたのはシベリウスだ。真っ白な両腕が沢村へと伸び、緊張が走り、そして、

「おひさっ! マキ!」

 抱きついた。

「あ~んもう、この感触超ひさしぶり! ね、ね、ちょっと大きくなったァ?」 

 チャイナドレスの胸に頬ずりする氷后、その顔は雪が融けたように朗らかだ。

「……やめんか。人が見てる」

「いいじゃないの、見せてあげましょうよ! あっカメラさん後で写真ちょーだいね!あーもう何年ぶり、四年ぶり? 元気してたぁ?」

(す、すごい落差……何言ってるかわかんないけど)

 腰砕けになる美海の隣で、不意に赤い闘気が上がった。

「なんですかあの人、わたしの沢村さんを…………。カネ払えよ」

「エンちゃん……」

 そして沢村はまるでいつもの調子だ。氷后を引きはがし、流暢なフランス語で、

「相変わらずだな、お前は。少しは落ち着けんのか」

「あン、だって嬉しいんだもの。また貴方と戦えるなんて」

「戦うのは私じゃないぞ」

「貴方が技を教えた子たちでしょう? なら同じコ・ト」

 一房だけ長く伸びた前髪を弄りつつ、心底楽しそうに微笑む。声は弾むようだ。

「本当、楽しみ。あのとき、リーグ・アンで私と互角だったのは貴方だけだったもの」

「よく言う。お前の完勝だったろう」

「結果はね。でも、今だから言うけど、いつだって内心ドキドキしてたわ。次こそ抜かれるんじゃないか、負けるんじゃないかって。いつも怖くて、そして楽しみだった」

「……」

「あの続きが、またできるのね。本当、楽しみ……」

「アンネット」

 ぴしゃりと叩きつけるような声に、氷后の笑みが吹き消える。

(アンネット?)

 美海は首をひねった。氷后のファーストネームは、ジーゼだ。アダ名だろうか。

「今の私はサムライ・マキじゃない。日本チームのコーチ、沢村真希だ。お前がどう思おうと再戦はかなわない。再戦しようとも思わない」

「……」

「もう一度言う。戦うのは私じゃない。あくまで……こいつらだ!」

 バッ! と腕を振ってみせる沢村、記者たちの眼が一斉にそちらへ集中する。そして、栄えある日本チームの戦士たちは。

「……どこ?」「いないぞ?」

 逃げていた。

「出てこんか平良! 速水! キタガワ!」

 ホールの隅っこでダンゴムシになっていた少女たちを、沢村は引きずり戻す。

「うええっ、だってカメラがあんなに!」「わたしも人が多いところはちょっと……」「最初からいないものと思ってくだサレばこれ幸い」

「くそたわけ!」

 怒りの沢村、美海のドレスを引っ掴んで立たせ、

「平良、何か一言言ってやれ!」

「えええっ? な、なんであたしなんですかぁ!」

「シベリウスはお前と同じフェイズだ! 宣戦布告だ、気合いを見せろ!」

 いきなりの死刑宣告だった。

(あ、あたしが世界最強と……?)

 氷后の前に突き出される。途端、機関銃のようにフラッシュが襲いかかってくる。

(む、無茶振りしすぎだよぉ~。言葉も分かんないのにぃ~)

 顔を上げれば、手の届く距離に世界一のライダー。何を見せてくれるのか、という感じで、にこにことこちらを見ている。

 注目と沈黙が重く重くのしかかった。何かを言わねば解放されそうにない。

(うう~~っ、もう! こうなりゃヤケだ!)

 気合い負けするなと沢村は言った。そうだ、気合いだ。こっちだってイヤというほど練習を積んできた。実績は天と地ほども違うけど、努力の量なら誰にも負けない。

 気合いのスコップで、知っている言葉を掘り起こせば、回答は一つしかなかった。

「……ウィ……」 

 洩れた声に注目がぐぐっと集まる。握り拳を天に突き上げ、美海は吠えた。

「ウィーアー、ナンバーワ――――――――――――――――ン!」

 あぜんとした沈黙の後。

 大爆笑が沸き上がった。

「わはは、なんだそりゃー!」「氷后の前で王者宣言か!」「いい度胸してるよ、君!」

 腹をかかえて笑う群衆。赤面し、自由の女神のごとく固まる美海。やんやの大喝采。

「――うそつきね、マキ」

 背後の声に沢村は振り向き、ぎょっと固まった。

 シベリウスの指先が、目元に触れていた。恐ろしく冷たい瞳で、妖しく微笑んで。

「貴方の目は復讐に濁っている。牢獄から抜け出したモンテ・クリスト伯のそれよ」

「なに?」

 冷たい指は、つぅと唇に流れ、そして離れた。

「目は口よりも正直……また遊びましょう?」

 足音もなく去る氷后。

 沢村は、身じろぎもできず、ただ立ちつくした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ