表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
サムライ・ドルフィンズ  作者: 古池ケロ太
トライアウト
3/50

(2)

 鼻穴固めからようやく解放されると、そこは仏間だった。畳の上にタンスと見まがうばかりの巨大な仏壇がある。キャーギーという木材で作った、この島独特のものだ。

 遺影の中は、真っ黒に日焼けした、いかにも海の男といった感じの人物だ。

 頭を押さえつけられ、正座する美海。どんな怒声が来るかと思いきや、母は意外なほど静かな声で、

「まだあきらめてなかったの」

 美海は虚を突かれた。やがて苦しまぎれに半熟の笑顔を作り、

「だ、大丈夫だよ、お母さん。あたしが出るのは女子のほうだし……」

「バカ、同じよ。知ってるでしょ、片腕なくした人」

「……」

「それともあんた、その人やお父さんと同じ目に遭いたいの? 同じ、目……に……」

 母の目にじわり、とにじむものがあった。ヤバイと思ったときにはもう遅い。かさついた唇がぐにゃりと歪み、「ふぃ」とふぬけた息が漏れるのに続いて、

「ぶえぇ――――――――――ん!」

 泣いた。子供泣きだった。

 母親の、それも今年で四十に手が届く中年女のマジ泣きである。いろんな意味で見るにたえず、美海は仏壇に備え付けのバスタオルをブシッと押しつけた。

「あーもーほらほら、イイ子だから泣きやんでよぉ。お父さんが見てるよぉ、ね?」

「うぶええええ~~ん。だっへぇ~、お父さんが死んで、ア、アンタまでいなくなったら、わ、私どうしたらいいか……。なんれよぉ、どーして二人とも、そんなに死にたがんのよぉ~~~~っ、ぶえええええ――っ!」

 女手一人でそば屋を切り盛りする気丈な母も、父のことを思い出すたびにこの有様だ。

 今度は美海がため息をつく番だった。

(どうして、かぁ……)

 多分、母は父を失ったことが悲しいのではない。

 遺影を見る。ヴァーミリア島に出発する前、父は部屋を片付けていった。知人に遺書を預けていった。自分たちを受取人に、生命保険までかけていた。死にたがっていたわけでは当然ないだろうが、その覚悟はできていたわけだ。

 なんで。どうしてそこまでして。

 それが今でも分からないから、母はまだ泣くのだ。

 自分も父を憎んでいた時期があった。勝手にレースに出て勝手に死んだあげく、全身肝っ玉な母を、こんなにしてしまった。同じ思いはさせないと母に約束だってした。

 だけど。

 ――なんで。どうしてそこまでして。

 時間が経つにつれ、その問いは、違った形に成長していった。

 ――そんなにしてまで、出たいのかな。そんなにすごい大会なのかな。

 間違っても憧れではない。だけど小さな疑問はぼんやりとした興味へと移り、やがて三年半――自分の体はすっかり問いに支配されてしまった。

 ――見たい。知りたい。感じたい。

 このあいまいで巨大な『なんで』の重しをかかえたまま、生きていきたくない。

 そして、その重しを外す方法は、一つしかないのだ。

「……ね、お母さん。まだお父さんのこと、好き?」

 母は嗚咽は止めた。

「な、なによ、急に……」

「あたしは好きだよ」

 遺影の横には、彼と幼い美海が砂浜の上、ジェットに相乗りしている写真がある。それを置くのを正子はイヤがったが、仕方なかった。家中をひっくり返したところで、この二人がジェット抜きで映っている写真など、一枚もないのだから。

「お父さんのこと、キライになりたくない。だから、行くんだ」

 中庭に風が吹き、デイゴの葉をさわさわと鳴らした。

 ぶみーっ! とタオルの向こうで鼻をかむ音。「うっ」と十センチも後ずさる美海に、正子は仏壇の棚から何かを取り出して渡した。

「これって……?」

 ゴーグルだった。強い水飛沫にさらされ続けるライダーにとって、必須の装備である。

 両目がつながったデザイン。ずいぶんと使い込まれたものらしく、バンドの部分は海水で変色していた。

「お父さんのよ。前の大会で使ってたの」

 美海の顔がパッと輝く。つまり、父の形見である。それを渡されたということは――

「こら、勘違いしない。認めてるんじゃないのよ。その逆」

「へ? 逆?」

「今度こそ約束しなさい。もし今日のトライアウトに落ちたら、それでおしまい。一生ライダーにはならないこと」

 美海は息を呑んだ。

「て、ていうことは、次の大会も……」

「当然、ダメ。これがマジで本気で、最後のラストチャンス」

「最後のラストチャンスって、意味がかぶってるような……」

 などとツッコんでいる場合ではない。母の目は、これ以上ないほどに真剣だった。

 美海は覚悟を決めた。どのみち四年後まで待てやしないのだ。ここが天王山だ。

「分かった。落ちたら、今度こそあきらめる」

「私じゃなくて、お父さんに誓いなさい。だったらもう破れないでしょう?」

 美海は神妙にうなずき、遺影に向かって手を合わせた。

「誓います、お父さん。あたし……………………」

 不意に振り上げた顔は、ヒマワリのような笑顔だ。

「絶! 対! ヴァーミリアン・カップに出てみせるから!」

 あぜんとする母を置き去りに、美海は部屋を飛び出した。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ