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サムライ・ドルフィンズ  作者: 古池ケロ太
リザーブの役割
27/50

(6)

 それでも、練習するしかないのだ。

 翌日――台風はいよいよ近づき、昼にも薄暗い砂浜には、一人の観光客も見えない。

 波は荒れ狂い、一体この一時間で何回転覆しただろう。海水に赤い髪が濡れて、クリスの頭はヒガンバナのようになっていた。

 今日は本来ならオフだ。沢村は小野田のいるホテルにミーティングに出かけ、ロキシィは美海と円を連れ町に出た。いやにコソコソと部屋を出てゆくので、何しに行くのか尋ねたところ、「か、勘違いしないでよ! 別に今夜の誕生日パーティーの準備をしにいくんじゃないんだからねっ!」と返ってきた。

(パーティー、か……)

 ――別にいいのに。

 もともとが、そういうイベントごとに興味のない性分である。ただ年齢を重ねるだけのことに、どうしてそうまで騒ぐのか、今一つ理解できない。

 それに祝ってもらう気になどなれない。昨日、美海にあんな態度をとってしまって。

(最低だナ、ワタシ……)

 イヤになる。あんな些細な冗談にムキになった自分。余裕のない自分。謝れない自分。

 昨日はご飯も喉を通らなかった。そのくせ胃の中に重い石が転がり込んだようで、普段のライドもできやしない。

 美海はちゃんと食べられただろうか。眠れただろうか。

 なんでもパーティーは美海の店でやるらしいが、どんな顔をして会えばいいのか。

「……行くの、やめようかナ……」

 せっかく準備してくれたのに申し訳ないけれど、今は、

「うわっ?」

 突然、背後からぶつかられた。前のめりに転覆し、頭から海に突っ込む。

 現金なもので、鼻を通るツンとした痛みと「またか」という想いは、胃の中の石をたやすく「怒り」に転化させた。クリスは海上に頭を突き出し、

「ミミ! アナタはまた」「ホホッ! 海外逃亡したという噂は本当でしたのね!」

 落ちてきたメゾソプラノに、クリスの怒りは凍えついた。

 フランス語だ。なつかしい母国語の響きが、しかし、全身の血を冷えさせたのは、それが忌まわしい記憶と結びついているからだ。

 金色のジェットが静止し、沈み込むのに従って、操縦者の顔が近づいてくる。

 艇と同じ金色の髪を、頭の横でロールに垂らしている。見下ろす瞳は冷酷な紫。血のように赤い唇が、じわじわと舐めるような声で、

「お久しぶり。わたくしのこと、覚えてらして?」

「ど……ど、してここに……」

 普通に発しようとした声は、ひとりでにヒビ割れた。

 手垢のついた表現で言えば、ヘビににらまれたカエルである。

 その手でぶたれた。その足で蹴られた。その顔で嘲笑された。忘れようとしても忘れられない、体の芯まで刻みこまれた、恐怖の記憶。

 金髪女は「決まってますわ」と陰湿に微笑んだ。

「貴方をいじめに来たのよ。泣き虫クリス」



「なんで買い物に行くのに、家のカギ忘れるんですか!」

「おめーが持ってるって思ってたんだよ! ってかおめーだって人のこと言えるか!」

「わたしはちゃんと持ってますよ! 沢村さんの部屋のだけど!」

「意味ねーじゃねーか! っていうかなんで持ってんだ!」

「もー、ケンカしないでってば! あ、ほらほら、クリスちゃんいたよぉ!」

 激しく言い合う二人を引き連れながら、美海はビーチを進んだ。パーティの買い出しに行ったはいいが、アパートの部屋にクリスがおらず、閉め出しをくらったのだ。

「まーったく、またやってやがる……おーい、クリス! もうやめとけ、体壊すぞ!」

「クリスさーん! 台風が近いですし、もうやめにしましょー!」

 波に消されて聞こえないのだろうか。クリスはジェットを止める様子がない。

「あいっ? でもなんかおかしいよぉ。他の人といるみたい」

 美海は首をひねった。遠目でよく分からないが、クリスの他にもう一艇、いや、二艇走っている。しかも両方ともかなりの腕前だ。通りすがりのレジャー客とは思えない。

 はて、と三人は顔を見合わせ、歩を進めた。



「ホラホラどうしましたのォ? はやく日本代表ライダー様の実力をお見せになって?」

 金髪ロール女は高笑いを上げながら、クリスを引きずり回した。

 金色ジェットの船尾からはロープが伸びており、クリス艇の船首にくくりつけられている。練習で疲れ切ったクリスは、相手の動きについていけない。

 いや、万全の体調でも果たしてどうか。もう十五分以上も走っているのに、金髪のスピードはまったく衰えない。驚異的なスタミナである。

「そらっ!」

 金色のジェットが恐ろしい速度でターンした。とっさにハンドルを切るクリスだが、間に合わなかった。振り回されて転覆し、海面に叩きつけられる。

「ぷあっ!」

 海の中から、突如、クリスの体が引きずり出された。

 首に結ばれた、もう一本のロープ――その端は、もう一艇のジェットに。

「シャルロット! 遊んでおあげなさい!」

「はい、お姉様!」

 銀色のジェットに、銀色の髪。一回り小さい少女は、その幼い顔にそぐわぬ高慢な笑みで、艇を加速させた。

 首にロープがかかっているのだ。一歩間違えば死ぬ。それでも銀髪はまるで躊躇することなく、姉そっくりの高笑いで艇を走らせる。

 呼吸を奪われ、波に顔を打たれ、クリスは悲鳴を上げることすらできない。そして金髪は、それすらおかしくてしかたないという風に笑うのだ。

「がはっ! げふっ……!」

 ようやっと波打ち際に戻された。いや、叩きつけられた。砂地に顔を打ちつけ、ぐったりと横たわるクリス。顔はおぞましい紫色で、目にはひとかけらの生気もない。

「ん、もう。これくらいで潰れるなんて、それでもメイドインジャポンですの?」

 金髪は頬を膨らませ、クリスの顔に砂を蹴り浴びせた。

「うふふっ、ですけど少しはスッキリしましたわ。なにせ大会が近づいてコーチが口うるさくって。貴方も代表ライダーなら、このストレス、お分かりになりますでしょう?」

 クリスは答える気力もない。金髪のほうも、答えなど待っていない。砂まみれの彼女の髪を引き上げ、薄く唇を引き上げて笑い、

「うふふふふっ。さ、十分休んだでしょう? 続きをやりましょうか、クリ」

「ファイヤ――――――――!」

 ドロップキック。それも、きりもみ式。

 ものすごい打撃音とともに金髪はブッ飛び、水柱を上げて海へ沈んだ。

「大丈夫、クリスちゃんっ?」

「ミ……ミ……?」

 ボロボロのクリスを、美海は抱きかかえた。

「なにすんじゃゴラアアアアアアアアアアアアア!」

 怒号とともに立ちあがったのは、海坊主……いや、金髪女である。

「オドレか! オドレがやったんか! この黄色ザルがぁ!」

 余裕ぶった態度は吹き飛んで、その形相は般若そのもの。ヤクザのごとき剣幕で襟を絞り上げてくる。あまりの変わりように美海は一瞬面食らったものの、

「離してよ! クリスちゃんをこんな目にあわせて、タダですむと思ってんのぉ!」

「なんじゃコラやるんかコラ! ワシの電撃パチキくらいたいちゅーんじゃな!」

 日本語とフランス語、言葉は分からないまま、罵声とツバを浴びせ合う二人。

「大体なんなの、ワインの栓抜きみたいな髪して! あーも目ぇ回りそう!」

「おどりゃっ、コラァ! 今ワシの悪口言うたじゃろ! 分かるわおお分かるわい! どうせワシの髪が、腐ったクロワッサンみたいじゃっちゅーんじゃろがい!」

「落ち着け、ドリル女。墓穴掘ってんぞ」

「誰がドリル女じゃあ! ……はう! ロキシィ!」

 ぎょっと振り向く金髪の目の先、ロキシィは意外なほど冷静に見えた。

 が、その笑顔は獣のように獰猛。握った拳からは湯気が出そうである。

「よーう、ジュリエット。その様子じゃ、オレとクリスがこの島にいるこたぁ知ってたみてーだな。何しに来た? まさかバカンスじゃねーだろ」

 ロキシィとは五分五分らしい。金髪ロールは、気迫に押されるようにツバを飲み、それでもぐぐっと盛り返すように背筋を伸ばした。

「……バカンスですわ。東の果てにお逃げになった、おマヌケさんの顔を見に、ね」

「相変わらずヒマなヤローだ。あと二か月もすりゃヴァーミリア島で会えるってのによ」

 と、美海が横あいから、

「知り合いなの、ロロちゃん?」

「知り合いっちゃあ、知り合いだな。前に話したろ、ガキの頃のイジメの話」

「うん」

「そいつらン中でリーダー格だった二人だ。その金髪が、ジュリエット=ギャバン。後ろの銀色が、シャルロット=ギャバン。あんまり似てねーが、これでも一応姉妹だ」

 美海はまじまじとジュリエットを見た。

 金髪ロールに紫色の瞳。ハエトリグサのごとき長い睫毛。一昔前の少女マンガの敵役のようだ。外国人は年がよく分からないが、自分と同じぐらいだろうか。

 一方のシャルロットは、顔の幼さからして、おそらく年下。銀色の髪を肩にかかるくらいに切りそろえ、一回り小柄な体を、姉同様にふんぞり返らせている。

「それよりロキシィ! 誰ですの、その失礼ぶっこき猿は! 貴方の何なんですの!」

「あ? モーコのことか? チームメイトだよ、一応な」 

 シャルロットの派手な顔立ちが、ひょっとこのように変化した。

「チームメイト……チ・イ・ム・メ・イ・ト・ですって? それじゃ、この方が、日本代表のライダー? ホ……ホホ……オーホホホ!」 

 片手を腰に、片手をアゴの下にガッチリ固定。マンガのような高笑いで、

「喜劇ですわ笑劇ですわ! この国じゃ猿がジェットに乗るんですのね! オーッホッホッホああおかしい! シャルロット、貴方も笑いなさい!」

「はい、お姉様! オーホッホッ!」

「オーホッホッホッホッホッホッホッホッ!」「オーッホッホッホッホッ!」「ホキョーッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッ!」

 無限にこだまする笑い声。何なんだお前らは、と美海たちが白い目になったところで、

「あがっ?」

 胸元に何かが当たった。グローブを投げつけられたのだ。

 ジュリエットはビシリと美海を指差した。

「決闘の証ですわ。このわたくしに蹴りを入れるとは無礼千万。本来なら国家憲兵隊ジャンダルマリにタコ殴りにさせるところですけれども……」

 くい、とアゴをやった先、そこには海とジェットがある。

「準備なさい。ライダーならライダーらしく! レースで白黒つけましょう!」

 ケンカを売る、という態度は世界共通であるらしい。言葉も分からないくせに、美海は憤然と胸と声を張ってみせた。

「ジョートー! 受けてやろーじゃない!」

 と、そこへロキシィが、眉をひそめつつ、

「おい、分かってんのか、モーコ?」

「分かるよ、それくらい。決闘しようって言ってんでしょ?」

「いや、そうじゃなくてだな……」

 コイツ分かってねぇ、という顔で、

「アイツら二人な、フランス代表なんだぜ?」

 美海はキョトンと目を開いた。

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