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サムライ・ドルフィンズ  作者: 古池ケロ太
リザーブの役割
25/50

(4)

 一目瞭然とはこのことだった。

 沢村はディスプレイに映し出されたグラフをながめ、重く唸った。

 表計算ソフトが作成した折れ線グラフは、ここ数カ月の選手たちの記録だ。百メートル、四百メートル、千五百メートル、スラロームなど、距離と障害別に作られた複数のシート。縦軸はタイムで、横軸は記録した日時を表している。

 沢村が唸ったのは記録の伸びが悪いから、ではない。むしろその逆で、こうして時系列に見れば、文字通り右肩上がりの成長なのがよく分かる。

 特に、短距離のロキシィと長距離の円。この二人の伸び方はめざましい。

 ロキシィの才能は、原石から取り出されたダイヤモンドのようなものだ。生まれたその瞬間から、すでにして輝いている。ややクセはあったが、丹念に磨きあげた甲斐あって、ようやく世界に誇れるブリリアントカットに近づいた。

 円は粘土だ。心も体も粘り強い。彼女は己を凡人だと卑下する傾向があるが、あれだけハードな練習に耐えられるのは、立派な才能の一つだ。叩かれ揉まれ、練り込まれて、その器はようやく形を整えつつある。

「問題は……」

 二百メートルスラローム。テクニックの優劣が左右する種目である。

 マウスを操作し、ある二人のタイムだけを表示させてみる。

 なだらかな坂道のように右上へ伸びる曲線は、クリス。

 彼女は、鉄だ。頑固そうに見えるが、熱を加えて叩けばその分だけ確実に強くなる。これからも堅実な伸びが期待できるだろう。

 だが、その下。はじめはクリスと天地の差があったのに、ここ数週間で天を衝くようにせり上がってきた一本の線――美海だ。

 昨日のクリスとの併せ練習も、遠くで見ていた。結果的に転覆はしたが、あのスピードで切り返しができるライダーが、世界に一体どれだけいるだろう。体重移動のタイミング、波との呼吸合わせ、バランス感覚、全てが揃わないとできない芸当だ。

 天性――いや、そんな陳腐な言葉で片付けるのはよそう。

(習性、だな)

 小さいころから海と遊び、そばの出前をやってきた彼女には、前述の能力が自然と身についている。出前では急旋回することなどないから、ターンにはかなりの戸惑いがあったのだろうが、ここ数週間で一気にコツをつかんだようだ。

 先ほどの例えを使えば彼女は――水だ。はじめ一滴の雨水にすぎなかったそれは、いつしか小川となり、目を離したスキに大河に成長している。この激流がどこまで続いていくのか、見てみたい気分に彼女はさせる。

 クリスと美海、二本の曲線は交錯しかけている。大会までにはおそらく、もう――

「どうしたものかな……」

 ルール上、登録さえしていれば、レース直前までメンバー交代は許される。調子が上がらない選手をリザーブと入れ替える話は、決して少なくない。

 沢村はディスプレイに視線を戻した。小さな人影が、そこに映っていた。

「カギ、開いてたぜ」

 息を呑んで振り返る。

「カン違いすんなよ。メシ呼びに来て、たまたまだ」

 ロキシィは抑揚のない声でそう言うと、じっと画面を見た。一目でグラフの意味するところは分かったのだろう、褐色の童顔が暗く曇る。

 沢村はため息をついた。見られたのは誤算だったが、早晩分かることである。

「キャンデ……」

「替えないよなっ」

 あせったような声と、らしくもない作り笑顔。

「た、大会まであと一か月とちょっとだぜ? ここまで来て、まさか、メンバーの交代なんかありえねーよなっ? なぁっ?」

「……キャンデル」

「さ、最近クリスのヤツ調子悪りーんだよなぁっ、ハハッ! 練習のしすぎで疲れが溜まっててよ……で、でもさ、大丈夫だって! 本番までにはちゃんと仕上げて」

「キャンデル」

 ロキシィは停止ボタンを押された。

「替えるか、替えないか。もう私の結論は出ている。悩んでいるのは、いつどうやって切り出すか、それだけだ。……なるべく早く言ってやったほうがいいからな」

 ロキシィはぐっと喉を鳴らし、唇を噛んだ。

「……ホントに、さ。アイツ最近オーバーワーク気味なんだ。自分でも分かってんだよ。替えられそうなこと」

 だろうな、と沢村は思う。

 最近、美海にターニングのレッスンをする時間が増えた。円とのバトンタッチの練習をさせることも多い。アンカーとしての準備をさせているのは誰の目にも明らかだ。

 加えて、どう伝えるべきかと迷う自分の態度。隠そうとはしても、そういう空気はすぐ伝わってしまうものだ。気づいてないのは、当のお気楽娘・美海くらいである。

 ロキシィはなおも食らいついた。

「そりゃさ、モーコのほうが記録の伸びはいいかもしんねーよ? けどあのバカ、レースに出たこともねーんだぜ? クリスとは格の差ってもんがあるだろーよっ」

「格?」

 沢村は眉をひそめ、ぽつりと、

「ライダーというのは速ければそれでいい。そうじゃなかったのか?」

 ロキシィはぎくりと震えた。その過剰とも言える反応の理由を、沢村は知っている。

「悪く思うなよ。これでも管理責任というものがあるからな、多少調べさせてもらった」

 何を――とは、もはや言うまい。

 もちろん、ロキシィがフランス代表から漏れた理由である。

 フランス代表選考会が開かれたのは、去年十一月のこと。複数の委員の推薦による形式で、本命には同年のジュニア世界選手権を制したロキシィが挙がっていた。スタミナの少なさを指摘する向きもあったが、それはスターターに据えれば解決する問題だ。

 だがフタを開けてみれば、彼女は落選。

 その理由を、選考委員会は「経験不足」と説明した。四年に一度の大舞台、ジュニアを出たての十四歳にデッキをまかせるのはリスクが大きすぎる、と。

 が、それがこじつけであることは、誰の目にも明らかだった。

 なぜなら、ロキシィの代わりに選ばれた選手は、彼女と同い年。しかも前述の選手権では、彼女に圧倒的大差をつけられての二位だったからだ。

 『決め手は肌の色』――マスコミはそう騒いだ。実際、フランスのジェット界は保守的な面があり、移民系の選手が代表に選ばれた歴史はない。その意味でもロキシィには注目が集まっていた。

 詰めかけた報道陣に、ロキシィはただ一言、こう言った。

「『ライダーってなァ、速けりゃそれでいいんだ』――それだけ言い残して母国を出たお前を、私は尊敬している。だから格などという言葉は……たとえその場逃れだとしても、どうか口にしないでくれ」

 窓からの斜陽が、二人の肌をそれぞれの色に染めた。ロキシィは拳を握りしめた。

「……白状するけどさ。ンな強がっても、いざ行くとなったら、怖くて怖くてしょうがなかったんだ。日本にはオフクロの里帰りで二三回寄ったことがあるだけだし、なんせたった一人だから。……そんときだよ。クリスが『自分も行く』っつってくれたのは」

「……」

「当然アイツの家族は反対したろうし、陰じゃ相当苦労があったと思う。だってのに、アイツはそんなこと、ひとっつも顔に出さねーんだ。そのクリスを置いて……オレだけ一人走るなんて……できるわけねーじゃねーか」

 ディスプレイが、真っ黒なスクリーンセイバーに切り替わった。

 沢村はできるだけ冷淡に言った。

「私の役目は、チームを勝たせることだ」

 ロキシィはいきなりその場にうずくまった。

 四つん這いで頭を抱えるような、奇妙な格好。土下座のつもりらしい。

「頼む! クリスを走らせてやってくれ!」

 泣き叫ぶような声で。

「自分でもらしくねぇってのは分かってる、無茶苦茶言ってんのも分かってる! でも……でもよ! 今のオレがあんのは、アイツのおかげなんだ! アイツと一緒でなきゃ、走る意味がねーんだよ! どうか頼む! 頼む!」

 いつの間にか、ロキシィの両手は、頭の上で組まれていた。まるで祈るように。

「アイツの海を……取らねぇでやってくれよ……」

 沢村はパソコンの電源を切り、彼女の背に手を置いた。

「……夕飯だ。行こう」


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