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サムライ・ドルフィンズ  作者: 古池ケロ太
リザーブの役割
22/50

(1)

 日中最高気温、三十四度。

 もう今年何十度目だか数える気にもならないが、とにかくひどい真夏日だ。

 この時期、島の色彩にうすぼんやりしたものはない。あきれるほど真っ青な空に真っ白な入道雲が立ち、真緑の垣根に真っ赤なハイビスカスが躍り咲く。総天然色の夏だ。

 宮古島は七月に入った。

 生まれたての太陽が水面を照らす舞浜ビーチ、朝の六時。波の形が直下の白い砂地に映り込み、まるで黄金の石畳を敷き詰めたような海を、一艇のジェットが走っている。

「うおらぁ――――――――っ! 世・界・最・速!」

 雄叫びとともに疾走するのは、褐色のチビッ娘・ロキシィだ。時速百キロをゆうに超える速度で海原を引き裂く姿は、まさに弾丸。これだけで十分客が呼べるレベルである。

 ……頭に、タライさえ乗っていなければ。

 いや、往年のコントのオチではない。小さな金ダライを頭に乗せて走る彼女の顔は、あくまで真剣である。そこがまたシュールであるのだが、とにかくなぜこんなみっともないマネをしているのかというと。

「うおあっ?」

 ジェットが波に乗り上げ、船首が上を向いた。必然、タライが傾き、

「あっぢゃあーっ!」

 中身のお湯が、全身にぶちまけられた。ヤケドするほどの温度ではないにしろ、お子様ゆえに熱いのがキライなロキシィは、猫のごとく踊りあがって海に落ちた。

「くそたわけ、ヒザが固い! 今度落としたら中身を煮立った油に変えてやるからな!」

 沢村は、浜辺から怒声を投げつけた。

 いかに儀力が強かろうと、波にぶつかるたびポーポイズ(船首が上下に揺れること)したのでは、速度は削がれてしまう。モデルが本を頭に乗せて歩くのと同じ、バランスを養うトレーニングというわけだ。

「さ、沢村さん……終わりましたぁ……」

 汗だくの円が、ジェットに乗って帰ってきた。声がくぐもっているのは、防塵マスクを装着しているからだ。入ってくる酸素が少ない分、肺が効率的に働こうとする。見た目は若干あやしいが、心肺機能を高める効果は計り知れない。

 沢村は手元の時計に目を落とした。

「ギリギリ一時間以内か。まぁいいだろう。少し休んでいろ」

「ふぁい……。ありがとう、ござい、ました……」

 ジェットをスタンドに載せて、よろぼい去ってゆく円。

 と、そこへロキシィがダッシュで駆け寄り、

「おいトシマ! なんだよなんだよずっけーぞ! 何でアイツだけチョローンッと走って休憩なんだよ! オレなんかあんな格好で毎日三十本もダッシュさせられてんのに!」

「なら交代するか? 速水は来間島を三周してきたんだぞ」

 え、と硬直する。来間島は周囲約六・五キロ。これをジェットで三周というのは、陸で十キロのランニングをするのに相当する。もちろんマスク着用で、だ。

「そうだな、それも悪くない。チョローンッと島五周ぐらい行ってくるか、ん?」

「うっ……ち、ちきしょ――っ!」

 遠吠えをあげて走り去るロキシィ。

「おう、やってるなぁ」

 砂地に巨大な足跡をつけながらのし歩いてきた男――協会の理事、小野田だった。

「小野田さん……。視察にしては、随分楽しそうですね……?」

 沢村のジト目が小野田の服を直撃した。見ているこっちが恥ずかしくなるぐらい派手なパイナップル柄のアロハシャツ。ご丁寧に、胸には花の首飾りまでぶら下げている。

「いやー、ツアー客ばっかりなもんだから、ついつられてな。沖縄はやっぱ夏だな夏」

 沢村は呆れた。こちらは暑さと観光客を避けるため、練習を朝にずらしたというのに。

 小野田は、半泣きでジェットを走らせるロキシィを見やり、満足そうに目を細めた。

「速い。しかもスタンスが以前とは比べ物にならないくらい安定している。この短期間でよくここまで成長したな」

「三か月、ひたすら基礎練習を繰り返しましたからね。下地ができているんですよ」

「ランニングにスクワット、遠泳か。地味な練習ほど効果的とは、よく言ったもんだ」

 砂浜でのランニングは、足をとられるため大きな負荷がかかる。その一方で踏みこみの衝撃が吸収され、ヒザへの負担は少ない。波打ち際のスクワットやハードルジャンプは、水と砂の抵抗を受けながらヒザを屈伸することで格段に効果が上がる。ライドの最中、前後左右に揺れるジェットを制御するには、体重移動で船体を平行に保つことが大事だ。そのためには柔らかく、かつ強靭なヒザが不可欠である。

「そういやあの子ら、いい尻になったなぁ」

 ここだけ切り取れば、セクハラ以外の何でもない発言だが、小野田に他意はない。前述のような練習を続けていれば大臀筋が鍛えられ、必然、尻は引き締まる。尻を見ればライダーが分かる、と格言にある通りだ。

「若さ、でしょうね。正直この短期間でここまで成長するとは、私も思いませんでした」

 あるいは、機器を導入した最新トレーニングなら儀力はもっと伸びるかもしれない。

 だが、それでは足りないのだ。同じ練習では、地力で勝る外国勢に届かない。

 アメリカのライダーは圧倒的なスピードを誇り、オーストラリアやニュージーランドはスタミナにものを言わせてガンガン前に出る。そして欧州勢の華麗なターン技術――。

 日本はジェットのプロ化が遅く、競技人口も世界にはるか及ばない。スピード・スタミナ・技術。どれをとっても世界に劣る日本のライダーが武器とすべきもの、それは。

「海と一体になること、だな」

 小野田の言葉に沢村はうなずいた。

 ジェットレースは、海上で行う競技だ。突風、高波、変化する気温。状況は秒針とともに変わってゆく。海は不確定要素のかたまりと言っていい。

 それを乗り越える方法はただ一つ、予測だ。風を読み、波を読み、気温の変化を読む。しかも頭で考えるのではなく、体で覚える。室内トレーニングでは決して身につくことのない、直接海に身を浸すことでのみ得られる、野性のカンだ。

「波打ち際のスクワットにジャンプ、そして遠泳。この三か月、あの子たちはずっと海と触れ合ってきました。今、彼女らの身体には波の鼓動が染みついているはずです」

「四方を海に囲まれてんだ。考えてみりゃこの島ほど海と一つになれる環境はない、か」

「俺は宮古島に育ててもらった――平良さんの口癖でしたから」

 ふむ、と小野田は満足げにうなずいた。儀力の増強、ヒザのバネ強化、海との一体化。それを三本の柱とした練習方針は、小野田と沢村が二人三脚で作り上げたものだ。

「しかし、そういう狙いだっての、あのチビッ娘に言ってやりゃあよかったのに。そうすりゃ脱走なんてしなかったろ?」

「口で説明してもダメですよ。成果を実感できてこそ、人はついてくるものです」

「おーおー、さも自論のように言いやがって。それも平良の口癖だったろ?」

 茶々を入れる小野田に、沢村は「む」と口をへし曲げた。

「だっはっは、スネるなスネるな。ところで他の二人は?」

「向こうでスラロームの併せ練習を。見ていきますか?」

「いや、問題ないならそれでいい。そんじゃ、また後でな」

 ヘタクソな『島唄』を口ずさみながら去ってゆく小野田。その背を見送りながら、沢村はふぅ、と悩み深げなため息をついた。

「問題ない……か」


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