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「つるつるごっくん宮古そば ソーキにてびちに三枚肉 麺の下にかくれんぼ~」
手狭な店内に四人掛けのテーブル席、座敷席が各々五台ずつ。黄ばんだ壁には、手書きのメニュー表が、べたべたと貼り付けられている。
「そーばそばそば宮古そば ながーくあなたのおそばに BE WITH YOU!」
古めかしい店の雰囲気と裏腹の、むやみに明るい声。カウンター席の隣、身をかがめれば大人一人は入ろうかという、巨大なアルミ箱の後ろからそれは聞こえてくる。
座敷席でそばをすすっていた中年の客が、怪訝そうに声をかけた。
「ミィミィ。何だい、その歌ぁ?」
箱の陰から、ピョンと音がしそうな勢いで、少女は顔を突き出した。
「宮古そばの歌! あたしが作ったの!」
平良美海は白い歯を見せて、ニカーッ! と笑った。
子犬のようにぱっちりと丸い瞳。小さな顔とあいまって、十六という年齢よりもずいぶん幼く見える。短い黒髪は端々が元気に飛び跳ねて、まるでアロエの葉っぱのようだ。
箱の中身は、四段に仕切られている。セルフサービスの食堂でよく見る、食器返却棚のようなものと思えばいい。美海はそこへまだ熱いそば丼を次々と置き、フタを下ろした。反対側に回ってしゃがみ、ランドセル状の持ち手に両腕を通す。
背負って持ち上げようというのだ。
百五十センチ半ばの体をすっかりおおい隠すくらいの、巨大な箱である。加えて、中に入れた丼の数は二十を下らない。まず無理だ。……と思いきや。
「とひゃー!」
独特の気合とともに、美海はいとも簡単に立ちあがった。まばらな客席から「おおー」と拍手が上がった。にひひ、と歯を見せる美海、玄関を開けて、
「そんじゃ、行ってきまーす!」
「待ていっ!」
「あがっ!」
雷撃のようなラリアット。喉元にモロに喰らって尻もちをつく美海、その頭上にドスのききまくった声が落ちてきた。
「美海ィ~~。アンタ、どこ行くつもりぃぃぃ?」
平良正子、三十九歳。そば店『ふぁいみーる』の店主にして、美海の母親である。
毎日そば茹での湯気を浴びているせいか、年の割に肌は潤っている。が、その微妙肌もいまや怒りジワで台無しで、天然パーマは天に向かって逆立っていた。
――ヤバい。見つかった。
ヘビににらまれたカエルのごとく、美海は細い声を絞り出した。
「ど、どこって……で、で、出前」
「ウソつきなさい! 注文なんか受けてないわよ、しかもそんなにたくさん!」
「い、いや、ついさっき伊良部のおばぁから、電話が……ね?」
「ふぅん。ところで、コレなぁに?」
正子は一枚の紙片をぴらりと出してみせた。途端、美海は血相を変えて「あれ?あれれ?」とジーンズのポケットをまさぐった。
紙片にはこう書いてあった。
『第十四回ヴァーミリアン・カップ 女子日本代表選抜トライアウト 受験票』
言い訳無用だ。青ざめる美海の、その鼻の穴に正子の指が突っ込まれ、
「我那覇さん、下里さん! 悪いけど店番お願いね!」
常連客にそう言い残して、店の奥に強制連行。美海の豚のような悲鳴がカウンターの向こうに消えてゆく。
こういうことはしょっちゅうであるらしい。常連二人は落ち着いた様子で、
「なんだ、今の? トライアウトとか何とか書いてあったけど」
「あれだ、選抜試験みたいなもんだ。なんつったっけ、ジェットレースのでかい大会」
「ああ。えーと……ヴァーミリアン・カップな。え? ミィミィのヤツ、アレに出ようってのかよ?」
「だろうよ。で、その試験が今日、島であるんだと」
「正子さん、反対しないのか?」
「してるから怒ってたんだろ。あの様子じゃ、ミィが勝手に応募してたみたいだな」
はーん、と息をつき、客は感慨深そうに壁のポスターカレンダーに目をやった。
「もう三年半か……。克敏さんが亡くなってから」