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サムライ・ドルフィンズ  作者: 古池ケロ太
ライダーの資格
19/50

(6)

「ロロさぁん、よくないですよ、こういうの」

「うっせーなー。敵の動きを見んのは戦いの基本だろーがよ」

 ロキシィは袖をひっぱる円の手をはねのけた。電気を消した畳の間から、ふすまを薄く開き、隣室の様子をうかがう。同じく畳が敷かれたその部屋――仏間には、正子と、スーツ姿の来客が一人。

「モーコは?」

「お昼の出前に行かれたみたいです。ねぇ、よしましょうよ、のぞき見なんて」

「だったら、おめーだけ先に逃げりゃいいだろ」

「わたしは別に逃げるなんて……もともと好きでここにいるわけじゃないですし」

「じゃ、大人しく投降すっか? 合わせる顔があればだけど。なんせ虜☆ロールだもんなァ、テャハハハ!」

「じょ、冗談じゃないですよ! あれはロロさんが勝手にわたしの名前でコメントを」

「バカ、声がでけー!」

 ロキシィは円の口をふさいだ。気の収まらない円はなおも「むーむー」と唸る。

「……にしても、トシマがオレらを連れ戻しにきたのかと思ったけど、違うみてーだな」

 隙間に顔を近づけ、さらに詳しく様子を見る。仏壇の前に正座しているのは、恰幅のいい男だった。幅広の肩をスーツの中にパンパンに押し込め、後ろ髪はパーマのようにもじゃもじゃ。正子に向き直ると、ぎょっとするくらいデカい顔があらわになった。年の頃は四十くらい。全体に膨れた輪郭の中心に顔のパーツが寄っていて、糸目とかぎ鼻、ぶ厚い唇。ゾウアザラシのような印象の人物である。

「あれは……小野田さん?」

「知ってんのか、マユゲ?」

「ジェット協会の理事さんですよ。わたしたちがメンバーに決まったとき、挨拶に来てくださったじゃないですか」

「あー、思いだした。あんときの馴れ馴れしいオッサンか。『またちっこいのが選ばれたなぁ』とか言ってバッシバシ背中叩きやがって。今思い出してもハラたつわー」

 仏壇からは白い煙が一本昇っている。

「お線香をあげていたみたいですね」

「墓参りみてーなモンか?」

「ちょっと違いますけど……亡くなった方にご挨拶にうかがう、という感じですね」

「トシマがモーコん家に? なんでよ?」

「わ、わたしに聞かれても……」

「ミミのお父サンの友達だったからデス」

 あやうく声と心臓が出かかった。

 いったいどんな忍術を使ったのか。まったく気配を感じさせないまま、息のかかるような距離にクリスが座っていた。ロキシィは小声で、

「ビ、ビックリさせんなよ、クリス。何しに来たんだよ」

「ロロたちを連れ戻しニ」

「フン、トシマの差し金か?」

「違うヨ、自主的ニ。ホントに何してるノ、ロロ。練習サボって人ん家に転がり込んで、しかもメイド服なんか着て」

「いいじゃねーかよ。言っとくけど、オレぁぜってー戻んねーからな」

「しかもメイド服なんか着て」

「……なんで二回言う?」

「別ニ」

 気のせいか、クリスの鉄面皮はちょっと不機嫌に歪んでいた。

「クリスさん、それよりさっきの話……小野田さんがミィさんのお父様と友達、って?」

 クリスは「ワタシも最近調べて知ったんデスけど」と前置きし、

「ミミのお父サンとオノダさんは、プロのライダーだったんデス。同じ年の親友でライバルで、日本のプロ一期生だったとカ」

 それを聞いて、円の薄茶色の瞳が、みるみる見開かれてゆく。

「そ、それじゃミィさんのお父様って、まさか……平良克敏さんっ?」

「声がでけぇって!」

 平良克敏――日本ジェットレース界の第一人者である。

 アマチュア時代を含め、日本選手権での優勝は通算八回。国際大会では優勝こそないが、たびたび入賞を果たし、欧米選手中心のジェット界にアジア人として挑み続けた。

 日本ではレジャーとしか考えられていなかったジェットがプロスポーツ化できたのも彼の力によるところが大きい。

「沢村さんがジェットをはじめたのは、その平良さんに憧れたからだそうです。実際、すごく可愛がられて、プロのイロハを教わったのだとか」

「ふーん。モーコのヤツ、結構いい血筋だったってワケかよ。しかし、あのオッサンと同じ年だってこたー、四十かそこらか? えらく早死にじゃねーか」

「それが……」

「シッ。何か話しはじめマシたよ」

 数センチの隙間から、仏間の声が漏れてきた。



「あれから三年半、か。なんだか信じられんなぁ。昨日のことみたいで」

 小野田は糸目をなお細めて、仏壇を見上げた。

「お互い年をとるわけよね。小野田さんすっかり貫禄がついちゃって。特にお腹に」

「正ちゃんこそ、景気がよさそうじゃないか。小ジワが二十パーセント増量してるぞ」

 憎まれ口を叩き合いながらも、二人の顔には気安い笑顔がある。

「店のほうは?」

「おかげさまで、どうにか。結構人気あるのよ。いい味出してるって」

「そりゃあまぁ、十何年もやってりゃ、いくら素人だってなぁ」

「あのねぇ~、自分で言うのもなんだけど、ものっすごい苦労したのよ。本当だったら店を継ぐはずの人を、誰かさんが連れてっちゃったもんだから」

「ははっ、なつかしいなぁ、そういうふうに言われるのも。平良の親父さん、俺が挨拶に行くたんびに、『ウチの息子をさらいやがって』って、ハゲ頭真っ赤にしてさ」

「跡取りを取られたんだもの、そりゃ怒るわよ。おかげであたしがお義父さんのスパルタ教育の犠牲になったんですからね」

 口をとがらせる正子に、小野田は「ハッハッ」と笑い、ふと、

「……まぁ、な。さらってった、てのは間違いじゃないしな」

 正子は沈黙を置いて、宮古焼の湯呑みを手に取った。

「でも、きっとどう転がっても、同じだったはずよ。あの人を一つところに縛りつけるなんて、無理な話なんだし」

「……そう、かもな」

「小野田さんだって辛かったでしょう。あの人と、真希ちゃんと……長い付き合いの人の事故を、目の前で見たわけだから」

 前回のヴァーミリアン・カップのとき、小野田はとっくに引退していたが、強化委員としてチームに帯同していた。

「俺の辛さなんぞものの数に入るかよ。正ちゃんと、美海ちゃんのに比べりゃな」

 小野田は大きな頭をコツコツと拳で叩いた。

「忘れられないよ。平良の葬式ン時に、美海ちゃんがひょこっとそばにやって来てな。俺に言ったんだ。『四年後は、誰のお葬式に出るの?』って……あれは、こたえたな」

「あの子、昔から小野田さんにはなついてたから、感情をぶつけやすかったんだと思うの。何も個人的に恨んでるわけじゃ……」

「分かってる。……けどまぁ、なんだな。そんな子が、三年たったら自分がヴァーミリアン・カップに出ようってんだから、人生分からん」

 正子は仕方なさそうな笑みを浮かべた。

「ありがとう、小野田さん。無理を聞いてもらって」

 小野田の眉が渋く曇った。

「私も最初は、大丈夫だろうと思ったのよ。あの子、レースに出たこともないんだから。プロじゃないって言っても、日本中からそれなりのライダーが集まってくるわけだし、普通に考えたら、合格できるはずないものね」

「……」

「でも、万が一に備えて、お願いしてよかった。まさか最後の試験まで行くなんてね。あの子には悪いけど、やっぱり命あっての、だものね」

 彼女の顔は、娘の無事を喜ぶ母親の顔以外の何者でもない。小野田は咳払いをした。

「正ちゃん。その件なんだが……」

 そのとき、廊下側の障子が開いた。二人はそちらを見て、同時に顔を強張らせた。

 エプロン姿の美海は、呆然と突っ立っていた。聞かれていたのは明らかである。

 それでも、正子はあがいた。

「お、おかえりっ。ずいぶん早いわね、もう出前終わったの?」

「今の話、どういうこと?」

 正子も小野田も、目をうつぶせた。美海はなおもすがるように、

「まさか、お母さん……小野田さんにお願いしてたの? あたしを落とすようにって……ねぇ、そうなの?」

 正子はやはり答えない。

「そうなんだ……あたしのこと、だましてたんだ……ラストチャンスなんて言っといて」

「美海ちゃん、聞いてくれ。これは」

「小野田さんも?」 

 小野田は言葉に詰まった。美海の丸い瞳が、愕然と歪んだ。

「ひどいよ……。何これ。何なの? ひどいよ、みんなして。こんなのあんまりだよ。あたし、これでも覚悟してたのに。一生懸命やって、もしダメならあきらめようって、本当の本当に覚悟決めていったのに……。これじゃ……あたし、まるで」

「生意気いうんじゃないの!」

 正子はついに立ち上がった。

「あんたはまだ子供なの。一人で決められることなんてたかが知れてるのよ。今は、」

「開き直らないでよ!」

 正子はびくんと震えた。娘が本気で怒ったのは、これが生まれて初めてだった。

 重苦しい時間が過ぎる。ジィ、ジィ、と小さな鳴き声。クサゼミの初鳴きだった。

「もう……いい! もう知らない!」

 裂くような声を上げて、美海は廊下へと駆け去った。

「ミィさん!」

 横のふすまが勢いよく開く。円は、一瞬目が合った正子に頭を下げ、一目散に廊下へ飛び出していった。

 残されたのは、正子と小野田。そして開いたふすまの向こうの、少女二人。

「………………」

 いわく言い難い雰囲気の中、最初に口を開いたのはクリスだった。

「盗み聞きして、申し訳ありマセんデシた。帰りマス」

 それはもちろん、ロキシィを連れて帰るという意味を含んでいる。

「ホラ、ロロ」

 クリスがせっつくのに、しかし、ロキシィは腕組み・あぐら・そっぽ向きの三点セットで答えない。誰が帰るかという顔である。

 クリスは親友の腕を解かせ、その手を包み込みながら、諭すように語りかけた。

「ロロ。練習できるだけデモ、幸せなんだヨ」

 さすがにこれは効いたらしい。ロキシィはしぶしぶといった感じで腰を上げた。

「オフクロさん。悪ィ、バイト……」

 正子はスイッチを入れ直すように大きく伸びをした。

「あーあ、残念。うちの店始まって以来の大盛況だったのに」

 二人に向けた笑顔には、一点のイヤミもなかった。

「また来てちょうだい。ごちそうするから」


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