(4)
「お母さんの命令だから仕方なく聞くけど。ヘンな真似したらすぐ叩き出すからね」
「へいへい、分かってますよォ」
ロキシィは、美海とおそろいの割烹着姿で店に出た。外はすっかり暗く、夕飯どきの店内は埋まり始めている。
「案外繁盛してんじゃねーか」
「ほとんど観光の人だよ。歩き回って疲れてるから、接客のときはいたわりの笑顔を忘れずに。とりあえず今日は注文聞くだけでいいから、間違えないように頼むよぉ」
「まかせとけって。いたわり、いたわりね」
ロキシィは指先でお盆を回しながら、意気揚揚とテーブルに向かった。
中年の夫婦に、小さな子供が二人。いかにも善良そうな家族連れの観光客である。
「おあたせっしたー。ゴチューモンおきありっスかー」
「ええと、宮古そばの小を四つ」
「宮古そばの……小?」
不服そうに片眉を引き上げるロキシィ。
「? そうですけど、何か?」
「おめーよ、それいっちゃん安いヤツじゃねーか。バカンスに来といてケチってんじゃねーよこの不景気ヅラが」
「は、」
「どーせ帰ったら三割引きのしょっぱいサンマにしゃぶりつく生活だろ? 悪いこた言わねーから、ここで人生最後のゼイタクしとけ、な?」
ポン、と客の肩を叩くその顔は、天使の微笑み。父親は混乱の呪文を喰らった顔。
「あ、え、その、」
「そんなワケで、オレのオススメといえばコレだ。『超絶ハイパーゴージャス宮古そばロキシィスペシャル一万五千円』。オレが作った今作った。おっと、質問疑問要望反論はいっさい受け付けねー。おめーはヘラヘラ笑ってうなずいてりゃいいんだよ、いつも会社で年下の上司にそうしてるみてーになァ、テャハハハハ! てわけで注文確定な!おふくろさーん、カップラーメンよっつー!」
ごん! とツインテールの頭にエルボーが落ちた。
「すみませんすみませんすみませんすみませんすみませんすみませんすみません! 宮古そばの小を四つですね今すぐ作ります光の速さで作ります!」
美海はキツツキのごとき勢いで頭を下げると、ロキシィをレジの奥に引きずりこみ、
「つまみ出す」
丸い目はボンドで固めたように据わっていた。
「な、なんだよ? この仕事って浮かれきった客からゼニをこそげ取んのが目的だろ?何か間違ったことしたか、オレ?」
「この世に生まれてきたこと自体が間違いだよ……」
喉元にミチチッ……と食い込む美海の指。ロキシィは軽くチビった。
「いい? 接客は心こめて。最近のお客さんはネットでお店探すから、ちょっと印象悪いとグルメサイトで星一つとか付けられた上に、クチコミで『うはwDQN店員乙www』とか書かれるの。そうなったらもう、だぁれも来てくんないんだから!」
「リ、リアルだな、話が……」
「分かったら、今度こそちゃんとやる。はい、あっちのお客さんにコレ持ってって!」
ずい、と突き出されたお盆を、ロキシィはしぶしぶ受け取り、窓際のテーブルに向かった。うらみがましく後ろを振り向けば、美海は他の客に応対しながらも、鋭く目を向けてきていた。アホのくせに仕事にはシビアなのが、はなはだ意外だ。
(くっしょー、なんでこのオレがぁ~)
そもそもここに転がりこんだのは、練習をサボりたいがためなのだ。クーラーのきいた部屋でゴロゴロ寝転がってマンガ読んでジュース飲んでまったり本番まで過ごそうと考えていたのに、何の因果でこんな召使いみたいな真似をせねばならないのか。
しかもテーブルを見れば、客の二人はロキシィ的に「お待たせしました、ブタのエサ二匹分!」と言いたくなるような脂汗デブ。四角メガネにリュックを背負い、せっかく観光に来ているのに、テーブルにアニメ雑誌を広げて、謎の言語で相互交信だ。
「今期最萌アニメは、『魔法少女みらくるカカオ』で決まりですなぁ~。鈴木ドノ」
「然り然り。特にココアちゃんのけなげさは、革命的ですらありますよ。佐藤ドノ」
うっくっくっく、と肩を丸めてほくそ笑む二人。
(ち、近づきたくねぇ~……)
だが、後ろの視線を思えば、そうもいかない。イヤイヤながらテーブルにつき、精一杯の営業スマイルを作ってみせる。
「み、宮古そば二人前、おまたせしましたぁー」
二人は雑誌から顔を上げ、全く同時に動きを止めた。UFOでも見たような顔である。
思わずのけぞるロキシィに向かい、二人はやはり全く同時に、
「「ココアちゃん……」」
「は?」
デブの目線は、ロキシィの顔と、手元の雑誌を往復している。
ページを目で追い、ロキシィはピシリと凍りついた。
ココア色の肌にツインテール、ネコのようにつり上がった目。つまりは彼女そっくりのキャラが、フリフリメイド服姿で、こう言っていたのだ。
『お兄ちゃん。お兄ちゃんのためにお料理……食べてくれる?』
(じょっ……冗談じゃねー!)
察するに、そのキャラは主人公に著しい好意を持っている、という設定なのだろう。しかも上目づかいに差し出す料理は、よりにもよって、そば。二人が錯覚するには、十分すぎる状況である。
「鈴木ドノ、これは夢でしょうか……?」「ココアちゃんが我々のためにおそばを……」
怖気が立った。営業スマイルをかなぐり捨て、プライドを守るべくロキシィは叫んだ。
「かっ……カン違いすんなよ! 仕事だからな! このそばは、別にてめーらのために作ったんじゃねーんだからな!」
事実を述べただけのその一言が、事態を悪化させたことに、ロキシィは気がつかない。
「ツ、ツンデレ……?」「佐藤ドノ、ツンデレですぞ、リアルツンデレ」
二人は色めき立ち、互いの顔を接近させた。
「しかし面妖ですな。ココアちゃんにツンデレ要素はなかったはず」
「いや、これはこれで彼女の新たな一面を発掘ということで」
うんぬんかんぬん、と話し合う二人、やがてそろって顔を振り向け、
「グッジョブ!」
「ち、ちっともうれしくなんかねーよっ。ンなこと言われたってっ」
火に油だった。
「むおおっ! なんというお約束なツン台詞!」
「使い古されてはいるが、リアルに聞くとなんともいえぬ感動が!」
いい加減にしろよこいつら、とロキシィは拳を振り上げ、しかし、次いで首筋に針を突きたてられた気になった。
見なくても分かる。後ろで美海が見ている。すごい目で見ている。
――いいから早く、そばを渡せ。
ロキシィの手は震えた。
(ううっ……け、けどこんなヤツらに愛想ぶちまいたら、オレのプライドが……!)
前門のデブ、後門の美海。プライドと恐怖の板挟み。
悩みに悩んだ末、絞り出したのは、次の言葉だった。
「ど、どうしても食いたいってんなら……食わせてやってもいいけど」
「デレた――!」
トドメであった。
「こうしてはいられませんぞ、鈴木ドノ! 帰って同志に報告せねば!」
「うむ、善は急げですな、佐藤氏!」
言うが早いか、二人組はそばに手もつけず、風を巻いて店を出て行った。
一体全体この場合、食い逃げになるのかどうか。追うことも忘れてポカーンと見送るロキシィ、ぼんやりと一言。
「ツンデレって……何だ?」