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サムライ・ドルフィンズ  作者: 古池ケロ太
ライダーの資格
15/50

(2)

 宮古島の桜は一月に咲き、二月に散る。

 すっかり禿げ上がったカンヒザクラの枝の下を、美海は駆け抜けた。制服のスカートをひるがえらせてくぐる校門には、誰の姿も見えない。が、決して休みではない。

「つるつるごっくん宮古そば、もぐもぐごっくん宮古そば~」

 自作の歌『ながーくあなたのおそばに』を口ずさみながら、校舎の裏に回る。

「ソーキにてびちに三枚肉、麺の下にかくれんぼ~……っと」

 声をひそめ、ドロボウ顔負けの手つきでそっ~と窓を開放。のぞき見る教室では、すでに朝のホームルームが始まっていた。

 窓際の男子生徒が「おう、ミィ」と小さく声をかけてきた。

「始業式にまで遅刻かぁ? またマンガの読みすぎだろ」

「しつれーな。イルカの練習だよ。疲れて寝過ごしたの」

「てーげぇ(ほどほどに)になぁ。うり」

 イスを前に引いてくれたところに、美海は「さんきゅ」とイモムシのごとく体をもぐらせた。ほふく前進でゆっくりと教室を侵攻する。教卓の前では、若い男子教師が新学年における心構えを滔々と説いている。美海は口元に手を当て、ほくそ笑んだ。

「うっくっく、相変わらず、うふそーじらー(マヌケ面)ひっさげて……」

「誰がうふそーじらーか!」

「あがっ!」

 チョークで爆撃された。教室が「やっぱり」と爆笑する中、涙目で額を押さえ、

「もー、砂川センセ、気づいてたらそう言ってよぉ」

「始業式に遅刻するようなヤツは、まず力で分からせんといかん。どうせマンガ読んでて寝坊したんだろうが。高二にもなって」

「まーぬひゃー(まさか)。勉強のしすぎだよ。もう高二だもん」

「分かった分かった。それより転校生にアイサツしちょけ」

「転校生?」

 美海は教師の指差す先、左隣の席を見た。

 同じ型のセーラー服を着て、くすくすと笑う少女がそこにいた。

 ふわりと結ったポニーテール、特徴的な太い眉毛の、とびきりの美少女。

 ぽかんと口を開け放つ美海に、少女はちょっと垂れ気味の目を細めて笑いかけた。

「速水円。速い水に、円周率の円と書いて、マドカです。よろしく、ミィさん」



「ふぇーっ! 転校とか、また思いきったことするねぇ」

 感心する美海に、円は照れたように両手の指を合わせた。

 学校の帰り、陽ざかりの道。信号も横断歩道もなく、延々と続くアスファルトに、人の背丈ほどもあるさとうきびがせり出している。空は天井知らずに高く青い。

 トライアウトの後、いったん東京の実家に帰った円は、すぐさま転校と引越しの手続きをとった。大会のある八月まで、宮古島で合宿をするためだ。

 なにしろ彼女は国際大会の経験ゼロ、地方のレースにすら数える程度の参加回数しかない。根本からみっちり鍛えようという沢村の提案は、当然と言えば当然だった。

 トライアウトに続いて宮古島が選ばれたのは、開催地であるヴァーミリア島の気温が二十五度前後と、春から夏にかけてのこの地と近いからだ。

「でも、おうちの人、よく許してくれたねぇ。高校生で沖縄に一人暮らしなんて」

「いえいえ。それはもう大反対されましたよ。そもそもトライアウトを受けるのも……というかジェットをやるのも嫌がってましたし」

「へぇー。それじゃ、どうやって説得したの?」

「やらせてくれなかったら死んでやるって」

「きょ、脅迫っ?」

 ふふっ、と含み笑いをする円に、美海は戦慄した。やはりタダモノではない。

「あ、それと、一人暮らしじゃないですよ。ロキシィさんやクリスさんも一緒です」

「えっ、ウソ!」

「島のアパートの三人部屋を借りてるんです、協会の経費で。あの二人、フランスのライダー養成学校に通ってたんですって。詳しくはよく知らないんですけど、こちらの中学には転校ではなくて、留学の形になるんだとか」

「そっかぁ、みんなこっちで暮らすんだぁ。……ん、ってことは沢村さんも?」

「ええ、コーチですから。わたしたちと同じアパートの、別の部屋に住むことに。今ちょうど、お引っ越しのお手伝いをしているところです」

「えー、自分の分もあるのに? 大変でしょ?」

「ええ、それはもう。ダンボールを開けたら、全部が全部、沢村さんの私物ですもの。あんな下着やこんな下着、普段使ってるお箸にフォーク……ああもう、大! 変!」

「いや、大変ってそういう意味じゃ……」

 身悶えする円を、美海は冷や汗まじりに見つめた。大会まで無事に済めばいいのだが。

 やがて二人は海に近い駐車場に出た。砂をかぶったアスファルトを踏み抜け、茂みの間の小道を通る。目の前に白いキャンバスがあらわれる。

 最終試験を行った舞浜ビーチ。レースの出発地となったホテル前よりも、少し南にあたるところだ。波打ち際では、体育の授業で使うようなハードルが一メートルほどの間隔で並べられており、二人の少女がそれらを両足ジャンプで飛び越えていた。

 褐色のチビっ娘・ロキシィと、鉄面皮メガネっ娘・クリスである。

 その脇では、ジャージ姿の沢村が竹刀を片手に怒鳴り声を上げている。

「キャンデル! もっと腰を落とせ! 尻が地面につくぐらいのところから跳ねあがるんだ! キタガワ、貴様は遅い! もっと連続して跳べんのか!」

「うわ、キツそー……」

 二人はすっかり息があがっている。ハードルの置かれた場所はヒザの高さまで波が来ているから、水の抵抗で普通よりもパワーがいるのだ。

「来たか、速水。すぐに着替えろ。体をほぐしたら、まず水中スクワット二百回だ」

「はい」「はーい」

 と、駐車場脇の脱衣所に向かう円、そして美海。

 その喉元に、ぴたりと竹刀がつきつけられた。

「……何をしている、貴様」

 静かな中に、怒気をはらんだ声。美海の額を、冷たい汗が伝った。

「いや、着替えろっていうから……」

「貴様は部外者だろうが。平気な顔をしてまぎれ込むんじゃない」

「それです! 沢村さん!」

 と、突然美海は振り返って沢村を指差した。どれだ、とツッコむヒマもあらばこそ、

「今日、あたしがここに来たのには理由があります!」

「どさくさまぎれに潜り込むためだろう」

「ち、違います! ……沢村さん、ハッキリ言ってあたし怒ってますから!」

 美海は丸い目を真剣に変えて、沢村に詰め寄った。沢村の眉がぴくりと動いた。

「どうしてあたしが落とされなきゃいけなかったんですか? あのとき、ゴールはほとんど同時だったじゃないですか! なのに証拠は壊すし、理由は教えてくれないし……おんなじ落とされるにしたって、これじゃ納得できないです! 説明してください!」

 思いがけず強い声に、場の空気が引き締まった。

 美海には断固たる決意があった。なんせこちとら一生モノの夢がかかっているのだ。あのときは「帰れ」の一点張りで押し切られてしまったが、宮古島で合宿するというのならこれほど都合のいいことはない。何が何でも理由を問い正してやる。

「だから、言ったとおりだ。お前にライダーの資格はない。それだけの理由だ」

「だから、その資格っていうのが分からないんですってば」

「平良……仮に理由が分かったとして、どうしようと言うんだ? 枠は三人しかないんだ。誰かを代わりに落とせとでも?」

「そ、そこまでは言いませんけど。ホラ、学校のテストだって、赤点とったら追試ってものがあるじゃないですか。もっかいやりましょうよレース」

 その提案に、喰いついたのは、練習から戻ってきたロキシィだった。

「いーじゃねーか。やろーぜ、トシマ。この蒙古斑、もっかい思い知らせてやんねーと」

「だから蒙古斑っていうなぁ! このチビ助!」

「だからチビ助ってゆーなっつってんだろが、この蒙古斑!」

「やめんか、貴様ら!」

 つかみ合いになりそうなところへ、沢村の一喝が割り込んだ。ふぅ、と息をつき、

「権利だ」

「権利?」

「どんなヘタクソでも、ライダーにはただ一つ、平等に与えられた権利がある。お前はそれを放棄した。それはライダーとしての資格を失ったということだ」

 美海は眉を見事なハの字にした。

「……余計に分からないですよぉ、それじゃ。権利って一体何のことですか?」

「それくらい自分で考えろ。言っておくが、バカにはライダーはつとまらんぞ」

 恨みがちに見上げる美海の頭に、沢村はぱしん、と竹刀を落した。

「その頭で、せいぜい悩め。もし分かったなら、やり直しの話、考えてやる」

 

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