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スティーヴン=ガットは遅すぎた天才だった。
ある種の人間が紫銀石に触れたとき、火花が散ることは、古来からよく知られていた。古代ギリシャのとある詩集には『マギナの火』と記されてある。だが、だから何だと言われるとソクラテスもアリストテレスも答えに窮したらしい。中世ヨーロッパで魔女狩りの口実として使われたこと以外、それは長らく何の意味も持たなかった。人類は、自らの持つ可能性に、あまりにも無自覚だった。
十九世紀。イギリスの名もなき地質学者だったガットは、紫銀石から『マギニウム』と後に自ら命名する物質を発見した。これに人間が生来持つ不可視の力『儀力(英名:MAGINATIC POWER)』を通すと、磁場が発生する。火花はこの際の放電によるものだ!と発表したとき、しかし、学会は「ふ~ん」以上の反応を示さなかった。
大切なのは、何を発見したかではない。それが人類にとってどう役に立つか、だ。
磁場を発生させられれば、モーターを動かせる。すなわちそれは動力となる。時代の歯車がもう少しズレていれば、ガットは産業の歴史に名を刻めたかもしれない。
が、そのとき動力の主役は蒸気機関であり、その燃料である石炭だった。莫大なエネルギーを生み出すこの黒い宝石の前に、儀力など石コロも同然だった。
儀力を持たない人間(注:というよくある言い方は実は語弊がある。儀力を持たない人間はいない。弱すぎて磁場を作れないだけ)がよく誤解することだが、儀力は魔法や超能力の類ではない。れっきとした身体能力の一つである。個人差はあるが、体を鍛えれば儀力の強さに反映できるし、使い過ぎはスタミナ切れや筋肉痛を引き起こす。
そういう意味で儀力とは広義の人力であり、効率性・持続性において化石燃料に及ばない。蒸気船が七つの海を駆け巡る時代、誰も手漕ぎ舟の時代に戻りたくはなかったのだ。結局ガットは学者として一つの名声も得ることなく、六十年の生涯を終えた。
二十世紀。儀力はその居場所を、スポーツという分野に見出した。
世界最高峰のジェットレース、ヴァーミリアン・カップは今年で十四回目を迎える。
各国三名のトップライダーたちが、大西洋に浮かぶリゾート地・ヴァーミリア島に会し、一本のバトンをつなぐ海上レース。イギリスの貴族・ベンゲル卿が提唱した小さな大会は、いまや全世界で八百万人ものファンが熱狂する大イベントとなった。ありし日のガットが見たマギナの火は、今、情熱の炎として我々の中で燃え盛っている。
八月二十五日、女子。八月二十六日、男子。
世界一熱い二日間で、あなたの心に灯る炎は、はたしてどんな色だろうか。
――ヴァーミリアン・カップ オフィシャルサイト 日本語版
沢村は、イスの背もたれに身をあずけ、左の手首をぐるりと回した。
新しいパソコンが届いたはいいが、左利き用のマウスを頼むのをすっかり失念していた。取り寄せるまでの辛抱とはいえ、普通のヤツは使いづらくて仕方ない。
引っ越したばかりの2DKの部屋には、まだ開けてないダンボールが山積みだ。早く出してやらないといけないが、片腕なのと、何よりこの暑さのせいで、どうにも進まない。やはり、手伝ってくれるという円の言葉に甘えることにする。
携帯を見る。着信履歴はなし。凝り固まった眼球を揉んで、再びサイトに目を移す。
今大会もコース取りは一切変わっていない。あれだけの事故が起こったのに、自分と平良が死傷した個所もまったくそのままである。批判がないことはないだろうが、この大会には命の危険すら一種の『辛味』として消化してしまう、混沌とした深さがある。
出場チームのプロフィールをクリックする。
全九チーム――イギリス、イタリア、ドイツ、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、ブラジル、日本、そして前回優勝国のフランス。
各国、続々と代表メンバーは内定している。
沢村はフランスチームのロゴの下、メンバーの名前を目で追った。
ジュリエット=ギャバン。シャルロット=ギャバン。……ジーゼ=シベリウス。
最後の名を目にした瞬間だ。もう無いはずの左腕が、焼けるように痛んだ。
幻肢痛だ。
沢村は顔をしかめ、よろめくようにテーブルへ移動した。ダンボールの箱の中に、立てた鏡。側面の穴から左腕を突っ込むと、失くした右腕が鏡ごしによみがえった。
じんわりと熱が冷めるように、激痛が引いてゆく。両腕が存在するかのように脳に教え、痛みを取り払う、ミラーセラピーと呼ばれる治療法である。
事故から二年ほどで幻肢痛に襲われることはほとんどなくなったが、事故や氷后のことを思い出すそのときだけは、必ずこうだ。原因は、自分でも分からない。
少なくとも恨みではない。あれは事故だ。自分の未熟さが引き起こした結果だ。シベリウスに含むところは微塵もない。
だとすれば、未練か。優勝をあと一歩で逃した口惜しさが、見えない痛みとなって自分を苛んでいるのだろうか。
いや、それこそ未練がましいというものだ。あと一歩だろうと万歩だろうと、負けは負け。常日頃そう言っていたのは、他ならぬ自分ではなかったか。
痛みは、黒い霧のような悩みとともに、体の内にある。いつも。
窓の外はカンカン照りの太陽、庭先にはパパイヤの実。ここはまるで異国だ。
「遠くまで、来たな……」
そもそも、日本チームのコーチは自分ではなかった。それどころか、代表メンバーは三枠とも他の選手に内定していた。
しかし今年の始め、そのうちの一人が練習中に他のジェットとぶつかり腕を骨折。
さらに一人が、自宅の階段から落ちて足を骨折。
そして最後の一人は、コーチ(男)と駆け落ちして失踪……。
思い返して、今度は頭が痛くなった。骨折した者を含め、代表としての自覚と自己管理があまりに足りない。全員知らない仲ではないだけに、みっともなくて涙が出てくる。
もちろんJARA(日本アクアランブル協会)は至急代替のメンバーを探した。だが、日本において、ジェットレースはまだまだマイナー競技だ。プロリーグは十五年前に発足したばかりで、世界に対抗できる人材はまずいない。その上、前回の事故が一種のトラウマとなっており、めぼしい選手に声をかけても尻ごみするばかり。体が資本のプロ選手にしてみれば、命がけのレースに出場するメリットが名誉といくばくかの賞金では……というワケだ。
もはや辞退もやむなしか、と思われたそのとき、協会はウルトラCを打ち出した。
応募資格は一切不問。誰でもいいからこの指とまれ、のトライアウトだ。
それ自体が前代未聞なら、選出されたメンバーも十六歳、十四歳、十四歳という前代未聞の若さ。そのうち二人はフランスからの『亡命者』とくれば、もう笑うしかない。
だが何より笑えるのは、そんなチームのコーチを引き受けてしまった自分だ。
――よくも、まぁ。
実際、世界との差はとてつもなく大きい。だが、参加しただけ、経験を積ませるだけ、というつもりは毛頭ない。
やるからには、勝つ。現役のころから、いつだって自分はそうしてきた。そしてそのために必要な手段は、すべてとるつもりでいる。
再び携帯を見る。着信履歴は、やはりなしだった。