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サムライ・ドルフィンズ  作者: 古池ケロ太
トライアウト
13/50

(12)

 沢村は、見る間に加速する四本目の航跡を、呆然と見つめた。

 そう――美海だ。円とは三艇身差、いや、二艇身、一艇身……差が削られてゆく。

「バカな……」 

 円の上昇は、予想の範囲内だ。

 陸上走者に短距離型と長距離型がいるように、ライダーにも瞬発系と持久系がある。

 一次試験で尻を見ただけですぐに分かった。ロキシィは前者、円は後者だ。マギコン勝負では瞬発力でロキシィが圧倒したが、三キロの中距離走では互角なのだ。

 つまり、円が加速したのではない。ロキシィがスタミナ切れで失速したのである。

 だが、美海は違う。本当にスピードが増した。それもいきなりだ。

 驚くべきは、ジェットのスタンスだ。あれほどひどかった前後の揺れが、ウソのように消え去っている。でこぼこの荒地から高速道路に出たようなもので、ジェットそのものの馬力が増したのではなく、スピードのロスがなくなった結果、加速したのだ。

(だが、なぜだ……なぜ急に?)

 沢村は双眼鏡を構え、美海艇のデッキを観察した。

 うんこ座りだった。

 両足を思い切り広げ、まるで空気イスにでも座るかのような格好。すなわち、ランナバウトと同じスタンスである。

 が、沢村の目を引いたのは、そこではない。

(ヒザが――)

 座りこんでいるだけに見えるが、その実、波に合わせてヒザが伸び縮みしている。それがバネ代わりになって波の衝撃を殺し、ジェットを平行に保っているのだ。頭の位置が動いていないのが、その証拠だ。

(なぜだ? どうしてあんなマネができる?)

 口で言うほど簡単ではない。なにしろ、高さもタイミングもバラバラに襲い来る波に合わせ、瞬間的に体を動かすのだ。しかもあれだけ高いレベルとなると、何か月、いや何年もレースで揉まれてやっとできるかどうか。それを、養成学校に通ってもいない、ただのそば屋の娘が、一体どうして――

 沢村の脳裏に電流が走った。

「そば……だと?」

 ――子供のころから出前で。

 ――何軒かの分をいっぺんにジェットで持って行けるように。

(揺れる波の上を……こぼさずに持って行くというのか? あれだけ大量のそばを?)

 そんなことが、人間にできるのか。

「平良……美海……。たいら……」

 まさかと思っていた。その名字は、宮古島ではポピュラーだと聞いていたから。

 だが、もう否定しようがなかった。双眼鏡の中、彼女の顔に、決定的な証拠がある。

 そのゴーグルは、恩師が最後のレースで着けていたものだ。

「そうか……。平良さんの……」

 四艇のジェットが眼下に迫り来た。ゴールまで、残り二百メートル。



 大橋の巨大な脚が、目の前に迫ってくる。一艇身前には横並びになった三艇がある。

 美海はなおも爆進した。前へ。ひたすらに前へ、前へ。

 ランナバウトだとかスタンディングだとか、ゴチャゴチャ考えるのはやめた。

 ジェットが変わっても海は変わらない。そして自分も変わらない。だったら十六年間この海で生きてきた自分の、その全部をぶつければいい。どうせそれしかできないのだ。

 クリスと円の間に割って入る。両横からものすごいモーター音、前からは髪がひっこ抜かれそうな強風。全力疾走に息は切れ、両ヒザはガクガクと笑い続ける――なのに。

(すごい、すごいよ!)

 波の動きが、足の裏に直接伝わる。ほんのわずかな体の動きが、走りを左右する。ランナバウトでは絶対に味わえない感触。これが、ジェットだ。

『美海へ――』

 そのとき、父の遺書が頭によみがえったのは一体なぜだろう。

『これをお前が読んでいるということは、俺はもうこの世にいないわけだな。

 いや、わるいわるい。

 死ぬつもりはなかったんだけどな。ま、起こったことは仕方ない。母さんはあれで結構涙もろいから、お前が支えてやってくれ。お前は一人でも大丈夫だろ。

 美海。俺のことをバカだと思うか。

 たかがレースになんで命をかけるのか、バカじゃないかと誰もが言った。母さんも。

 俺もそう思う。勝手にレースに出て、勝手に死んで。家族を悲しませて。およそ考えつく限り、最低の父親だろう。

 だけど、美海。これだけは分かってほしい。

 俺は海人うみんちゅだ。海で生きる人間だ。

 アクアジェットは、風の力を借りない。エンジンで動くのでもない。

 ただ儀力だけ、人の力だけでもって海を渡る。風を裂き、波を越え、どこまでも遠く、何よりも速く走る。

 ジェットライダーであることは、海人うみんちゅとして最高の誇りなんだ。

 そして、世界中の海人が集うところ、それがヴァーミリアン・カップなんだ。

 俺はそいつらを見てみたい。連中と並んで走る海が、どんなものなのかを見てみたい。

 きっとこう言っても、分からない人には分からないと思う。

 でも、もしお前だけでも。海人うみんちゅの血を引くお前だけでも、分かってくれるのなら。

 俺は海の向こうで、ずっと笑っていられると思う――』

 三年前、遺書を開いたときは、何一つ理解できなかった。勝手な言葉を連ねて、何を言ってるんだと思った。だけど、今。

 ――分かるよ、お父さん。

 言葉で理解できなかったことが感覚で分かる。頭が拒んだことを心が受け入れている。

 顔の筋肉が勝手に笑う。アドレナリンが出まくり、楽しさの粒子が体中をかけめぐって抑えられない。

 目の前に広がる波と風のダンス。父はこの景色の向こうを見たかったのだ。

 橋脚が迫ってくる。四艇はまったくの横一線。

 父は死んだ。でも、まだ一緒にいてくれる。父がこのゴーグルで見た景色に、自分もたどりついてみせる。夢はもう目の前にある。

 ――届け。

 夢へ。世界へ。

「とどけぇ――――――――――――――ッ!」

 雄叫びとともに、美海は一つ抜け出した。ゴールが迫った。

 ――それは、ほんの少しの積み重ねだった。

 ほんの少しの波が美海艇の船底を打った。ほんの少しだけ美海艇の軌道が右にズレた。通常ならば問題にならなかったはずのそのズレは、ギリギリの距離で並んでいた右隣、円のジェットにほんの少し、サイドバンパーを当てる結果となり、

「あっ……!」

 上がった声は美海か、円か。すさまじいスピードの中、それだけの衝撃で円艇は斜めに傾いだ。制御を失い成すすべなく突っ込んだその先に、巨人の脚のごとき橋脚が、

「エンちゃん!」

 美海は右腕を伸ばした。円の左手を取る。ジェットが元に戻る。わずかに失速したところへ、クリスが、ロキシィが追い上げる。四艇がゴールラインに飛び込んでゆく――。



 文字通りの水かけ論だ。

「おめーだ!」「そっちだよ!」「おめーだっつーの!」「そっちだってばー!」

 美海とロキシィ、二人の声は半分枯れかけていた。なにしろゴール直後から、橋のふともの砂浜に戻るまで、ずっとこの調子である。

 あの後美海は、ゴールラインを割った途端、円もろとも落水した。幸い両者にケガはなかったが、問題はそこからだ。

 浮かびあがった美海に向かって、ロキシィは勝った勝ったと喜びいさみ、あまつさえ「オレは見た。おめーがギリチョンで最後尾だった」とのたまった。実際のところ美海は円に気をとられてゴールラインなど見ていなかったし、反論する材料もなかったのだが、「バーカバーカ、ノロマのドン亀!」とまで言われては黙っていられず、

「見たもん! これでもかってくらいに見たもん! 絶対そっちが遅れてたもん!」

「いーや、オレの目に間違いはねぇ! 絶対の絶対におめーがドンケツだった!」

「ちがう! 絶対の絶対の絶対に、そっちが最下位!」

 ……という次第だ。

「そこまでだ」

 沢村が橋から下りてきた。たちまち二人は飛びかかるように、

「沢村さん、見てましたよね! この子が脱落ですよね!」

「見てたよな、こいつが失格だったよな、トシマ!」

 と、そこで円がクワッと覚醒、

「ちょっと! そのトシマって誰のことですか! 沢村さんだったら許しませんよ!」

「だまりゃ、このマユゲ! 誰に口をきいてるでおじゃるか!」

 興奮しすぎのロキシィ、しゃべり方が変。もう何もかもがカオスなそこへ、

「いい加減にしろ! どうせ全員、本当は分かっとらんのだろうが!」

 海面を揺らすような大喝。少女たちは一気に静まった。図星である。

 沢村は肺まるごと出しつくすようなため息をつくと、手にした何かを持ち上げた。

「物的証拠がある。橋のふもとに設置していたものだ」

 ハンディカメラだ。おおー! と一同から感嘆の声が上がった。

「は、はやく! 早く見せてください!」

 はやる美海たちを前に、しかし、沢村はゆっくりと刀を抜くような声で言った。

「いや、その必要はない。もう失格者は決まっている」

「え?」

 沢村はビデオの中から、メモリースティックを取り出し、そして――折った。

「あああっ!」「なにすんだこのバカ! トシマ!」「だからトシマっていうなぁ!」

 少女たちの絶叫は、どれも沢村に届かない。やおら隻腕を振り上げたかと思うと、

「あがっ?」

 破片を叩きつけられた少女は、何が起こったのか分からず、ただあぜんと沢村を見た。

 その丸くて黒い瞳に向かい、沢村は、本土まで届くかと思うような怒声を上げた。

「貴様にライダーの資格はない! 消え失せろ!」

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