(10)
舞浜ビーチは、東洋一と称される美しい砂浜だ。
左右に果てなく敷き詰められた砂は、白すぎてそれ自体光っているように見える。踏めば返る柔らかさは、粉雪のようなきめ細やかさのせいだ。
四人の受験者と一人の試験官は、光あふれるビーチに出た。
昼食どきを過ぎて、砂浜にはぱらぱらと人が見えはじめている。サンダル履きのカップルに家族連れ、そぞろ歩く彼らの注目は、砂浜でも海原でもなく、波打ち際に並べられた『それ』に集まっている。
ホテルの者が用意してくれたらしい。アルミのスタンドの上に乗って横一列に海をのぞむ、四艇のジェット。沢村は少女たちをその前に並べさせ、きっぱりと宣言した。
「最終試験は小細工なし。この四人でレースをしてもらう」
褐色のチビっ子・ロキシィが色めき立った。
「おっしゃあ、待ってたぜ! やっぱライダーはジェットに乗ってナンボだからな!」
「ま、基本デスね」
メガネっ子クリスも、淡々としていながら自信を込めた声色だ。
ちなみにこの四人、ホテルで借りた袖なし半ズボンのウェットスーツに着替えている。その上には浮きの入ったライフジャケットを着込み、さらにゴーグル、および滑り止めのグローブとブーツ。
これらを総して、ライディングギアという。すなわち、ライダーの戦闘服である。
「コースは、ここからスタートして、南の……あの大きな橋が見えるか?」
沢村の指差す先、はるか海上に、薄皮を張ったような低い緑の島――来間島が見える。
彼女の言う大きな橋とは、その左側から宮古島へとかかる、来間大橋のことだ。全長一・七キロ。T字型の野太い橋脚の上に灰色の橋げたが乗った、シンプルな外見だ。
「橋の真ん中が盛りあがっているだろう。あそこの最も高い二本の橋脚の間をゴールとする。コースはほぼ直線、おおよそ三キロ。三分ほどの行程だな」
「そんなにいらねーよ。二分で行ってみせらー」
「たのもしいことだな。が、ここでは特にタイムは問わない。あくまで先着した三名を日本代表メンバーとする。いいな?」
円は、震えるヒザを隠せなかった。
ターンのない直線コースだから、勝負を決めるのはスピードだ。
となれば、三つの枠のうち、マギコンで儀力を見せつけたロキシィはほぼ確定。クリスのほうもジュニアで世界三位というから、相当な地力があると考えていい。少なくとも、ジェット経験三年ちょっと、レースとなると地方の遊び半分のようなのに四、五回出ただけ(しかも優勝経験なし)の自分より、よほど上だろう。
(もう……なんだってフランスじゃなくて日本から出ようとするんですかぁ……)
代表の座を蹴ったなどとうそぶいていたが、実際は母国のレベルが高すぎてチームに選ばれず、出場機会を求めて日本に来たというのが真相だろう。それは勝手だが、貴重な枠を奪われるこちらの身にもなってほしい。
しかし、泣き言ばかりも言っていられない。こうなったら残り一つのイスを何がなんでも獲るしかない。
円はおずおずと横目を流した。考えることは向こうも同じ、美海は深刻な顔で――
「あの、しつもーん。沢村さん」
……と思いきや、能天気に手を挙げていた。
「あれ、何ですか?」
そう言って指差したのは、波打ち際に居並ぶ、四艇のジェットだ。
沢村は何を言い出すんだという顔をした。
「さっきから言っているだろう。お前たちの乗るジェットだ」
「アレが? まっさかぁ。ジェットっていうのは、ああいうのを言うんですよぉ」
言って、美海は桟橋に係留してある、自分のイルカを指差した。
ずんぐりした体型に座席シートが乗った、まさに水上を走るバイクという形。
一方、沢村の言うジェットは、流線形であることは同じだが、一回り小さくシャープ。そして何より、シートがない。平らな足場をサイドバンパーが挟んでいるだけで、どちらかというとソリに近い形状だ。
「座るところがないのに、どうやって乗れっていうんですか? 冗談が上手いんだから、沢村さんってば、もー。あっはっは! ……は?」
美海のバカ笑いが停止した。沢村も他のメンバーたちも、ただ無言だった。
「ミィさん……あのですね。ジェットには、二つの種類があるんですよ」
「二つの種類?」
「ミィさんの乗ってきたのは、ランナバウトといって、二人乗り以上用のものなんです。レースではスタンディングという、一人乗りを使うんですよ。……わかりますか?」
ぽぇ~っ、と聞き入っていた美海の顔が、加熱したトマトのように崩れてゆく。
「な、な、ナニそれ! なんでぇっ? なんでそんなややこしいコトすんの?」
「なんでと言われましても……昔からそういうものだとしか」
「運動性能だ」
沢村が見るに見かねて、という感じで口をはさんだ。
「スタンディングは軽くて小さい分小回りが利き、ライダーの技量によっていくらでも動きが変わる。レースの本質はライダーの儀力と技量を競うことだからな」
それにしても、と続けて、ため息一つ。
「仮にもヴァーミリアン・カップを目指す者が、ジェットの種類も知らんとは……あきれてモノも言えん。グローブやバットを知らずに甲子園に出ようというのと同じだぞ」
「だ、だってあたし、レースに出たことないし見たこともないし、ジェットって言ったら昔からアレだと思ってたから……」
「雑誌やネットを少し調べれば済む話だろう」
「学校の先生が、思い込んだら一直線なのが、お前の長所だって……」
「同時に短所だとも言われなかったか?」
「えっ! すごい! なんで分かるんですかっ?」
沢村は再びどデカいため息をついた。
「と、とにかく練習しましょう! 時間いただけますよね、沢村さん!」
「おーおー、待てコラァ! ンな勝手が許されると思ってんのか? おめー一人のためにやってんじゃねーんだぞ!」
ロキシィがチンピラのごとき態度で文句をつけてくる。だが、正論には違いない。
沢村はトランシーバーを砂の上に置いた。
「私はこれから車で橋まで行ってくる。着いたらこのトランシーバーでスタートを伝えるから、それまでは好きにするがいい。以上だ」
そう言い残して、去ってゆく。『好きにしろ』というのはまさか慈悲ではない。橋までの時間はせいぜい十数分。要するに『あきらめろ』の意味である。
熱砂の舞浜ビーチに、冷たい風が吹き抜けた。
「それでも練習ですよ、ミィさん! わたし協力しますからっ」
「う、うん。ごめん、エンちゃん……」
美海はほとんど放心状態で、無愛想な灰色のジェットに近づいた。
「でもさ、大丈夫だよね。二人乗りが一人乗りになっただけなんだし、そんなにでっかい違いがあるわけは……」
ほとんど自己暗示のような独り言は、次の瞬間ぱたりと止むことになる。
「……エンちゃん」
「はい?」
「コレ……どうやって乗るの? 座るところがないんだけど」
繰り返しになるが、スタンディングには、シートがない。
「座るんじゃなくて、デッキの上に立って乗るんですよ。ほらここ」
船尾から中央部まで、一メートルほど平らな部分がある。両端は波の形をした膝丈のバンパーに挟まれている。
おそるおそる乗ってみると、驚くほど近く、腰の高さにハンドルバーが突き出ていた。
「こ、このハンドル、動くんだけど」
「ハ……ハンドルですから」
「違う違う、左右にじゃなくて上下に! 何このちょんまげみたいなの!」
ジェットの先端部分から腰のあたりまで、湾曲した板のようなものが伸びている。船首をイルカの頭とみなせば、まさしくちょんまげが生えたような有様だ。
先端のハンドルバーを持つと、ぐいぐいと上下に動く。板と船体との取り付け部分にバネが内蔵されているのだ。
「これはですね、ハンドルポールというんです。スタンディングは腰の曲げ伸ばしが多いので、それに対応できるよう可動式になっているんですよ……ミィさん?」
美海の顔から表情が消えていた。一目でそうと分かる、パンク状態だった。
「ねぇ……エンちゃん」
「はい?」
「あたしだけ、自分のイルカじゃダメかな?」
円は泣きっ面になった。