Tooth Fairy とサンタクロース
くまくるのさんとかなめんさんの『エッセイ村へようこそ』に寄稿させて頂いた作品です。
私にはリアムくんという友人がいる。
リアムくんは9歳。柔らかな亜麻色の髪、くるくると良く笑う蒼い瞳。将来有望な中々のイケメンだ。
リアムくんとは乗馬クラブで知り合った。リアムくんのお母さんは春先にポピーちゃんという名の若い雌馬を買った。そしてリアムくんが夏休みに入っても、お母さんは唯ひたすらポピーちゃんの世話と調教に明け暮れている。ポピーちゃんは馬としてはまだ青くて危ないので、リアムくんを乗せることはできない。お母さんが何時間も馬にかまけている間、リアムくんはぼけ〜っと日陰に座ってお菓子を食べている。本当は広い農場を歩き回りたいのだろうが、なんせ辺りは馬だらけで危ない。お母さんから一人歩きは禁じられているらしい。
せっかくの夏休み、毎日毎日ぼけ〜っとしているリアムくんが流石に気の毒で、私は時々リアムくんの話相手になる。リアムくんはマイブームのゲームの話や、レゴ(小さなブロックを組み合わせてロボットなどの形を作って遊ぶ玩具)の話をしてくれる。ふんふんと感心して聞いていると、翌日はわざわざレゴを家から持ってきて見せてくれた。最近のレゴって凄いですね。なんか小さな人間みたいなのまでついてるんですよ。手に握らせる剣や銃などもある。中々面白い。
「このレゴのセットはね、お誕生日におじいちゃんが買ってくれたんだ!」
ほうほう、いいですな。私はここ数年、お誕生日なるモノが来てくれるのは敬遠したいのだが、しかしお誕生日プレゼントをくれるおじいちゃんは欲しい。
「それでね、これはクリスマスにサンタさんがくれたレゴと組み合わせて遊べるんだよ!」
ほうほう、いいですな。私の枕元にサンタさんが来なくなって随分経つ。実に羨ましい。そう彼に言うと、リアムくんは非常に憐れんでくれた。
「じゃあ、僕、今度サンタさんに出す手紙に、イズミのところにも行ってあげてって書いてあげるよ!」
リアムくんはとても優しいのだ。
そんなある日の事。日本から遊びに来てくれた友人を乗馬クラブに連れて行った。私の愛馬に乗る彼女を眺めていると、私に気付いたリアムくんがいそいそとやって来た。
「あのヒトだあれ?」
「私の幼馴染だよ。日本から遊びに来たの」
「ふ〜ん。あのヒトって何歳?」
オイオイ、男がいきなり女の歳を聞くとか、ダメだろ。そんなことじゃモテないぞ。などと考えつつ、「○○歳だよー」 と何気無く答えると、リアム君は「ふ〜ん」と言って僅かに首を傾げた。そして数秒後、突如カミナリに打たれたかのように、ええっ?! と驚いた声を上げた。
「でもあのヒトってイズミの幼馴染なんじゃないの?!」
「そうだよ?」
「えっ?! ってことは、つまりイズミも○○歳なの?!」
「うん、そうだけど」
心底驚いたように、無言で彼女と私を見比べるリアムくん。
「なぁに? もっと若いと思ってた?」 にやにや笑いつつ尋ねると、リアムくんはその蒼い眼を見開いて、ひとつ大きく頷いた。
「ちょっと聞いて〜! 今日、美少年に若いっていわれちゃったー♡」
家に帰って早速、我が相方ジェイちゃんに嬉々として報告する私。
「それって単なるお世辞じゃないの?」
「平気で妙齢の女性に歳を尋ねるようなガキンチョがお世辞なんか言えるわけないでしょ。それにアレは心底驚いている顔だったもんね」
アレが演技なら、リアムくんは行く末恐ろしい少年だ。過去の自分を鑑みるに、私はあまり子供の純真さなるモノを信用していない。子供だって演技くらいするし、お世辞だって言う。でもリアムくんの純真さだけは信じているよ!
「ま、どちらにしろ若く見られて喜ぶって、年取った証拠だよね」 などと言うジェイちゃんに蹴りを入れる。うっせー、わかってるよ! 放っといてくれ!
純粋無垢なリアムくん。最近の彼の悩みは、今年のクリスマスにサンタさんに何をお願いするべきか。ふむふむと頷きつつ、彼の悩みに耳を傾ける私。まだ春なんだけどねぇ。
しかし先日、そんな彼の煌きに満ちた世界が少しだけ変わってしまった。
週末、愛馬との遠乗りから帰ってくると、リアムくんのお母さんが馬を調教していた。しかしリアムくんの姿はない。
「あれ? 今日はリアムくんは?」
何気無く尋ねると、リアムくんのお母さんが調教をストップして暗い顔で近づいてきた。
「実は今朝、親としての教育の転換期になる事件があってね……」
「は?」
リアムくんのお母さんは早朝のジョギングが趣味らしい。そしてジョギングに出る前、彼女は必ずリアムくんにこう言う。
「いい? 絶対に私のベッドルームに入ってiPadを探したりしないでよ?」
リアムくんはお母さんのiPadがお気に入り。しかしお母さんは彼が勝手にネットサーフィンをするのを良しとはしない。私は子供がいないからよく分からんが、まぁ教育上の妥当な配慮と言えよう。
「うんうん、わかってるよー」 自分を睨むお母さんから目を逸らし、朝食を食べつつあっさりと答えるリアムくん。しかし彼は前科4犯の過去を持つ。
お母さんが家を出ると、慌ててシリアルを飲み込んだリアムくんは、早速宝探しを始めた。
そして20分後。彼は目的のお宝とは違うモノを発見してしまう。
「リアムはね、自分がサンタクロースに書いた手紙を見つけちゃったの」
2ー3歳の頃は欲しいモノを描いた絵。字を覚えてからは、毎年サンタクロース宛に書いた数々の手紙。サンタさんが受け取った筈の手紙を、彼はお母さんのクローゼットの奥に見つけた。
「毎年クリスマスの前にリアムが手紙を書いて、それを私が出す振りをして。いつもリアムが寝てから夜中に私が返事を書いていたの。リアムが私だって分からないようにちゃんと字体も変えてね」
リアムくんの両親はリアムくんがオムツをしている頃に離婚してしまった。理由は知らないが、リアムくんがお父さんに会うことはない。そんな彼が寂しくないように、お母さんは一生懸命サンタ役を務めていたのだろうか。
「ジョギング中にリアムから携帯に電話がかかってきてね、『お願いだから、今すぐ帰ってきて!』って大泣きしているのよ。びっくりして慌てて家に戻ったら、手紙の入った箱の前に茫然として座ってたわ。人間のあんなに絶望した眼を見たのは初めてだった」
信じていた大切なモノを失ったリアムくんの気持ちを慮り、思わず涙ぐむ私。
あぁ、わかるよ、リアムくん。太古の昔、私にもそんな時があったのだよ。
そんな私にお母さんが一言。
「だから言ってやったのよ。『だからヒトが隠しているモノを探るような真似はしないでって言ったでしょ! そんな事すると、知りたくない事まで知って結局は自分を傷つける事になるのよ! 自業自得よ!』ってね」
えええっ?! コレってそーゆー問題なの?! いやまぁそうかも知れないけどさ、でも今それを言うか? ナンカちょっと納得出来ないんですけど。
「……えーっと、つまりリアムくんはサンタさんを失った傷心で今日は家から出れなかったと……」
「それがね、サンタクロースだけじゃなかったのよ」
「え?」
「箱に入っていたのはサンタクロースへの手紙だけじゃなかったの。リアムは他の色んなモノとペンパルだったのよ。まぁ全部私なんだけど」
「他のモノって……?」
「イースターバニーでしょ、ハロウィンのカボチャのお化けでしょ、あと Tooth Fairy」
Tooth Fairy とは歯の妖精だ。抜けた子供の歯を枕元に置いておくと、夜中にそっと歯を取りに来る。そしてお礼に25セント硬貨をひとつ枕元に置いていく。
「……歯の妖精とまで文通してたんですかい?」 そんなの聞いたことないぞ。
「リアムは長年に渡って彼等に手紙で色々な話や相談をしたりして、とてもディープな関係を築いていたのよ。その友人達を全て同時に失くしちゃったわけ」
うーむ。歯の妖精とディープな関係。流石にちょっと返答に困る私。
「でも自分が悪いのよっ! 良い教訓よ! これに懲りてヒトの隠しているモノを漁るような真似を二度としなくなればいいけどね!」
「……」 益々返答に困る私。
隠し事に恨みでもあるのだろうか。何やらぷりぷりと怒りながら馬の調教に戻りかけたお母さんがふと立ち止まり、でもね、と呟いた。
「あの絶望したリアムの顔を見た時に、私はもしかしたら間違っていたのかもしれない、って思ったの。こんなに悲しむなら、最初からサンタクロースやイースターバニーなんて信じていなければ良かったのかもしれない。良かれと思ってやっていたけど、もしかしたら私はリアムにずっと酷い事をしていたのかも、って」
……それは違うと思った。
私はリアムくんじゃないから、彼のほんとうの気持ちや悲しみなんてわからない。でも、子供の頃にサンタクロースの存在を信じていた、あのワクワク感は知っている。私はなんと小学6年までサンタクロースを信じていた。目に見えず、常識的に考えて『在り得ない』モノの存在を心の底から信じていたのだ。
大人になった今、私は目に見えないモノどころか、眼に映るモノすら完全には信じることが出来ない。見えると思っていても、何かを知っていると思っていても、それはもしかしたら、自分がそう思い込んでいるだけかもしれないから。
私は別に殊更疑り深いわけでも厭世的なわけでもない。ただ、子供の頃にサンタクロースを信じていたように、もうあんな風に心から何かを信じることは二度とないのだろう。
けれども私は信じるということを知っている。
それはリアムくんも同じはずだ。
信じるということを知る彼の世界はきっといつまでも深く、煌めきを失わない。