第一章-1
第一章 一人目
1
あれだけ熱く地面を照らしていた太陽が沈み、湿った空気と共に夜の帳が下りた夏。
最終下校時刻を過ぎ、人気が無くなった学校内に三人の少女たちの姿があった。
雲に隠れてしまった月明かり、代わりに地面を照らしてくれるのは薄ら白い照明の明かりだけだった。
「まったく、裕美が支度に手間取るから、もう、こんな時間になっちゃったじゃない」
肩にかかる辺りで切り揃えられた、焦げ茶色の髪を揺らしながら葉山七奈が文句を垂れていた。
「そんなこと言うけどさ、元はと言えば七奈があたしの着替えている時にちょっかい出すから、着替えるのが遅れたんだからね!」
男子と見間違えるほどに短い髪形をした堀裕美が、そんな文句に対して異議を唱えていた。
「ナナとユミは自業自得だからいいけれど、私なんて何にも関係なかったのにこんなに遅くなっちゃったんだからね」
ポニーテール気味に髪を結わえた平原絵里までもが二人の言い合いに加わり、言い合いが更に大きなものに変わり始める。
三人は今、バドミントン部の活動が終わり、ようやく学校を後にしようとしていた所だった。
「そんなこと言うけどさ、絵里だって今日は鍵の当番だったんだから、遅くなるのは確定していたようなものじゃん。だったらさ、より遅く帰ってみようよ」
七奈の身も蓋もない言葉に、絵里は肩を落として溜息をつくことしかできないでいた。
「そうそう、偶にはこういうのもいいよね。夜の学校ってなんか色々と出そうな雰囲気とかあるし、なんかわくわくするよね」
「わかる!」
裕美と七奈のそんなやり取りに、絵里は更に大きな溜息をつくのだった。
部室の鍵を職員室に返す事は、日替わりで当番制になっており、その当番が自分だった事には何も異議を唱えるつもりのない絵里だったが、部活動の疲れが残っているのでできるだけ早く帰りたく、こんな遅い時間まで残っている事は本意ではなかった。
「ようやく鍵も返したんだから、早く帰るよ」
おまけに、鍵を返す時間が遅く、顧問に注意を受け、機嫌も多少悪くなっていた。
そんな感情を表すかのように、何かを言い合っている二人の事を追い抜いて、絵里は歩き始めた。
「待てって、絵里」
「そんな急ぐ事もないでしょ、えりっち」
七奈と裕美の制する声にもそっけなく答える。
「だって、疲れたしお腹空いたんだもん」
「……おいおい、なんだか女子高生らしくない理由だな。裕美もそう思うだろ?」
女子高生ぽくないって言われても、本当の事なんだから仕方がないじゃない、と絵里が胸中だけで呟き、しょぼくれた。
「えっ? 何か言った?」
肝心の話しを振られた裕美は、七奈の言葉を聞いていなかったらしく、何の事だかわかっていなかったらしい。
「だからさ、絵里の早く帰りたい理由が〝疲れてお腹が空いた〟だよ。この後彼氏と合うから、とかだったら、私たちも急いであげたのにねぇ」
「ははは、確かにそうだね。でも、肝心の彼氏がいないから、そんな嘘も付けないもんね」
七奈と裕美のからかいに絵里は更にむくれて言い返す。
「そういう二人だって彼氏いじゃない。お相子でしょ?」
絵里の些細な反抗に七奈が勢いよく突っかかっていく。
「私と裕美の事を一緒にしないで貰いたい。私には夏までに彼氏を作るっている高尚な志があるんだから!!」
拳をグッと握りしめ、躰を使って決意を表していた。
「あれ~でも、もう夏なんだけどなぁ~。ということはあたしとは違う七奈さんにはもう、彼氏がいるってことなんだぁ~じゃあ、今度紹介してもらわないとなぁ」
にやにや、と愉快そうに裕美が笑っていた。
「そ、それはあれだよ。夏との言うモノは今年しか来ないものではなくて、来年も再来年も来るものであるのだから、その時が来るまで期限は自動的に更新されていくものなのだよ」
要約してしまえば、今年の夏も彼氏ができなくて悔しいとの事だった。
「てか、偉そうにそんな事を言った裕美も彼氏はいないんだから同じじゃない! だから、そんな風に責められるいわれは無いんだけど」
「まぁ、そうなんだけどね。でも、別にあたしは今すぐに彼氏が欲しいとか思っていないからさ、このままでも構わないんだよね」
「その気持ちが、私にはよくわからないんだよね」
「そうかな」
そんな二人のやり取りの中に、絵里も加わり始める。
「私も今すぐ彼氏が欲しいとかは無いけど、それは今が満ち足りているからだと思うなぁ。こうやって三人でくだらない事を言い合っていられる瞬間が、幸せだからなのかな」
「絵里」
「えりっち」
七奈と裕美が感嘆の声を零し、そして、
「「よく、そんな恥ずかしいような事を、平然と言えるな」」
そんな突っ込みがステレオで絵里にぶつけられた。
「えっ、私そんな変な事をいったかな?」
自分の言った事の何がおかしいのかわからなくって、絵里がわたわたと慌てふためいていた。
「そうだね、えりっちは何も変な事は言っていないよ」
慈しむような表情で裕美が、絵里の頭をポンポンと軽く叩いた。
「だね。私たち、いつまでも三人で一緒にいようね」
賛同するように、七奈も絵里の事を撫で始めた。
「うん」
「そうだね」
七奈の言葉に、絵里と裕美も同意した。
その間も絵里は、二人のおもちゃのように撫でまわされ続けていたのだが。
「あっ、そうだ。話しが変わって悪いんでけどさ、さっきのアレ、見た?」
裕美がそう言って、別の話題を切り出してきた。
「あれって何?」
何の事を差しているのかわからない絵里は首を傾げて、裕美の事を見つめていた。
「誰かいたか?」
七奈も同じように首を傾げる。
「ほら、校門の辺りでさ、妙に古臭いセーラー服を着た子がいたじゃん」
「そんな子見ていないよ」
「ああ、私もだ」
絵里の七奈のその発言に今度は裕美が首を傾げる。
歩きながら話込んでいたせいか、いつの間にか校門を越え、駅へと続く坂道を下っていた。
「ん~、あたしの見間違えだったのかな? 校門から少し離れた所に女の子がいた気がしたんだよなぁ」
「そんなのなんかの見間違いだって、ほら、さっさと帰ろうよ」
七奈が急かして坂道を下る速度が速くなった。
煮え切らな感情。
見間違えにしてあまりにもはっきりとそのモノが見えてしまい、その光景が目蓋の裏に焼き付いていた。
白く、はっきりとしない、印象に残りにくそうな彼女。
裕美はそれがどうしても気になっていた。
それは彼女が、崖の上から飛び降りようとして目に映っていたからなのかもしれない。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
闇中に浮かび上がる仄かに白い躰。
意識から離せば、掻き消える存在。
それ程までに、弱く薄く儚い存在。
誰にも触れられることのない存在。
それでも誰かに見つけられる存在。
希薄ではあるけれど、そこに在る。
途方もなく長い、長い時間の中を。
流れた時間、ようやく見つかった。
それなのに、何事もなく過ぎ去る。
その出来事をずっと見つめていた。
真っ暗な眼窩で見つめ続けていた。
横を過ぎ去って行ったその瞬間も。
暗黒の眼窩でジッと見つめていた。
見つけ、気が付いてくれるように。
だが、その願いは成就せず過ぎた。
そして、その姿は闇へと消え去る。
…………




