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篝(かがり)  作者: 涼玉兎
一 埋み火(うずみび)
9/29

夕月夜

 黄昏に染まる森の中、何かがひゅっと大気を切り裂く音と、地面を擦る足音が、涼やかな風に乗って渡って行く。

 八雲は刀を握り、型を辿りながら、自分の身体が、どの程度動くのかを確かめていた。随分動きはましになったが、腕を振り下ろす角度によっては、思い出したように、傷口に痛みが駆け抜けた。

 一振りするごとに、体の余分な力が抜けていくのを感じる。心が澄んでいく。しばらくそうしていて、右手に刀を振り抜いた時―――八雲は危うく叫びかけた。なんとか呼吸を整えて、呼びかける。

「銀・・・」

 気配が全くなかったので、突然現れたかのような錯覚を覚えた。人でないのだから、当然と言えば当然だが、あれほど感覚を研ぎ澄ませている時ですら気付かないのは、相当である。一瞬早まった鼓動が、徐々に鎮まっていくのを待つ。

 銀が、八雲を眺めていた。

 細身の体を、武人の軽装で包み、漆黒の髪を一つに縛って、左肩に垂らしている。鋭利な印象を受ける顔は、彫り物かと見まがうほど、整っている。表情のなさが、それに拍車をかけていた。八雲に向けられた双眸の色は、冬の月を思わせる、白銀である。

 太刀を収めて、八雲が見返すと、銀は、ふいと視線を逸らした。

 どうにも、八雲にはこの男が分からなかった。そもそも、妖を分かろうとするのは、無理な話なのかもしれない。とはいえ、付喪神たちは、皆陽気で、わいわいと楽しそうにしている。早蕨や木蘭などは、面白がって、大した用もないのに、八雲に構ってくるほどだ。

 対して銀は、全く喋らないわけではないが、とにかく表情も言葉も乏しい。稲荷とはまた違う意味で、何を考えているのか分からないのである。

 まだ床を離れられなかった頃、一度、篝と木蘭に引っ張られて、八雲の前に来たことがあった。礼を述べると、銀は僅かに渋い顔をして、

「仕方なかったからだ」

 と言った。照れているのではなく、本当に仕方なさそうな声音だった。野盗たちを追い払ったのは、八雲ではなく、篝を助けるためであり、八雲を運んで来たのも、篝に頼みこまれて仕方なく、ということらしい。

「俺に、何か?」

 口を開く気配が無いので、こちらから尋ねてみる。

「・・・いや。別に、何もない」

 無感動に言い放たれる。

 男たちを追い払った時の、あの冷やかさはない。かといって、数えるほどしか言葉を交わしたことのない八雲には、その平坦な声の中に、何の感情も見出せなかった。

 どうしたものか・・・と思っていると、別の方向から、さくさくと草を踏む音と、柔らかな低い声が聞こえた。

「おや、銀、八雲と話していたのですか? 珍しいですね」

 手を袖に隠した、拱手(きょうしゅ)の格好で、背の高い僧衣の男が近づいてくる。確か、名は、宵闇(しょうあん)と言った。

 墨染の衣に袈裟、という出で立ちだが、剃髪(ていはつ)しておらず、(にび)色の髪は、腰に届くほど長い。瞳は、くすんだ金。三十代半ばに見える、やや中性的な面差しに、淡い微笑を浮かべている。顔の作りは全く違うのだが、静寂の宵のごとき、ゆったりとした風情と、穏やかな声音は、慧四郎を思い出させた。

 話していた、とは言い難く、八雲は何とも言えない表情をする。宵闇は、二人を見比べて、何か察したらしく、笑みを深くした。

「もうじき、夕餉が出来るそうですよ。行ってあげてください」

「ああ、ありがとう」

 付喪神たちは、物を食べられないわけではないそうだが、食べる必要はない。篝は、八雲と一緒に食事が出来るのが、嬉しいのである。まだ怪我がひどく、八雲が早く起きられなかった時には、わざわざ朝餉を食べるのを、待っていたこともあった。

 篝は、生活に必要なことは、一通り器用にこなした。付喪神たちは、人間の暮らしぶりを、見様見まねで篝に教え、育ててきたようだった。

 歩き出そうとすると、銀はすでに、八雲に背を向けていた。




 今夜は雲がなく、細い月がよく見える。

 裏戸を開け放ち、二人は、夕涼みの風に吹かれていた。さわさわと揺れる木の葉の音に、どこからともなく響く、ふくろうの声が混じる。

 篝は左腕を軽く持ち上げ、腕輪を月にかざした。少し幅広の古風な腕輪が、月光に照らされて、柔らかに光る。八雲は、その色に見入った。

「不思議な色だな」

「きれいでしょう」

 底の見えない湖面のような、深い蒼。躍る炎を模した、不思議な紋様が彫られている。篝がゆっくりと手首を返すと、光の射す角度が変わり、腕輪の表面に、さざ波が立つ。複雑な色が交錯し、彫り細工の炎が揺らめいた。

「私が拾われた時、持っていたのですって。親の形見だろうって。腕飾りだから、きっと、母さまの物よね。稲荷様に、私の御守りだから、ずっと身に着けておけと、言われているの」

 彼女は嬉しそうに、大切そうに、もう片方の手で腕輪を撫でた。

「篝は、外に出てみたくはないのか」

 篝はびっくりしたように目を見開き、八雲の顔を見つめた。半開きの口から、言葉が発せられる気配はない。何の気なしに訊いてしまった八雲は、その反応を見て、少し狼狽した。

 思い直してみると、篝は別に、村に閉じ込められているのではない。稲荷の結界は、彼女を閉じ込めるためのものではなく、彼女を守るためのものだ。出会った時は、山菜を採っていたのだと言っていたし、村から一歩も出ないわけではないようだ。

「なんでもない。今のは、忘れてくれ」

 篝が一拍のち、頷くのを見て、安堵した。微妙な間が空いてしまったので、少し疑問に思っていたことを訊いてみる。

「篝はどうして、俺を助けてくれたんだ」

 付喪神たちが八雲を助けたのは、篝が助けたいと、思ってくれたからだった。ならば、篝はどうして、助けようとしてくれたのか。

「・・・怖かったから」

「怖かった?」

 八雲は怪訝な顔をした。その言葉は、しっくりこない気がする。逃げろと言ったにもかかわらず、彼女は、自ら、危険に身を投じてきたのだ。

 正しく伝わっていないことを察したらしく、篝は、考える素振りを見せながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。

「私は八雲に会うまで、人とふれあったことは、なかったわ。けれど、森に住んでいれば、死ぬということが、どういうことかは、分かる。あの男の人は、死ねと言ったでしょう。・・・怖かった。死なないで、と思ったの」

 死なないで。

 飾り気のない言葉に、胸を突かれた。同時に、あの瞬間に止めてくれて、本当によかった、と思った。

「・・・そうか」

 八雲は微笑んで、目を閉じた。

 強くなりたい。相手も自分も、死なせることなく、守るべきものを、守れるように。強くありたい。―――兄が、目指したように。

「ありがとう。本当に・・・世話になった」

 二人はしばし、ふくろうの声に、耳を傾けた。

 八雲が、ぽつりと言った。

「ここは、居心地が良すぎるな」

 俗世と切り離され、時がゆっくりと流れている気がする。これは、長い夢なのではと、思うほどに。あるいは、自分が家老の息子であり、景雪に仕えていると思っている方が、長い長い夢だったのではと、錯覚するほどに。

「そう?」

「帰りたくなくなる前に、帰らなければ」

 昔語りに、妖の国へ迷い込み、鬼の姫と結婚して、帰れなくなる若者の話がある。自分の言った言葉で、それを思い出し、八雲は可笑(おか)しくなった。

「・・・木蘭が、家族が待っているはずだから、八雲はいつか帰るだろうと、言っていたわ」

「ああ」

 家族も、家族のほかにも、待っている者がいる。

「八雲の家族は、どんな人?」

「どんな、か・・・」

 八雲は目を細めて、家の者を心に描いた。

「父は、厳しいが、温かい人だ。口数は少ないけれど、俺たちのことを、よく見て下さっている。母は、おっとりとして、よく笑う人だった。・・・と、思う。俺が五つの時に、亡くなったので、あまり覚えていない」

 篝が、じっと耳を傾けている。

「俺は、目元が母に似ていると、言われることがある」

「顔が、親に似るのね。皆が、そう話すのを、聞いたことがある。私の父さまと、母さまは、どんなお顔だったのかしら、と思う時があるわ」

 篝の声には、悲しい響きはなく、夢想する少女の目をしていた。

「それから、きょうだいがいる。兄と、妹。兄は・・・二年ほど前に、病で亡くなった」

 胸の奥が、まだ癒えない傷のように、重く(うず)く。目を伏せた八雲を見て、篝が動揺するのが分かった。痛ましげな表情の篝に、微笑んで見せる。

「強い人だった。剣も、心根も。俺にとっては、優しい兄で・・・尊敬していた」

 今も、している。惑いながら、兄の面影を、追っている。

「兄には、妻と息子がいる。俺から見ると、義姉(あね)と、甥だ。義姉は、物静かな人だ。・・・だが、芯の強い方なのだろうと思う。甥は今、三つで、俺にも懐いてくれている」

 甥の無邪気な笑顔を思い出すと、胸の痛みが薄れ、自然と笑みが漏れた。

「妹は、五つ下だ。明るくて、よく喋る」

 口の達者な妹に、帰ったら、どれほど責められるか。せめて、泣かれなければいいが、と八雲は思う。

「きっと、心配しているな。・・・何も、言って来なかった」

 景雪も、さぞ、気を揉んでいることだろう。

「・・・だったら、早く帰ってあげないとね」

 篝が、困ったように、小さく笑う。

「私、少しだけ、八雲の怪我が治らなかったらいいのにって、思っていた」

 少しだけね、と言う篝の瞳が、寂しげに揺れた。彼女はとても正直で、真っすぐだ。

 緑深い森の中、妖と神に守られて、育った娘。人とふれあうのは、初めてだと言った。ならばきっと、別れを経験するのも。

 このまま去って、良いものだろうか。これほど世話になっておいて、恩返しもしていないのに。

「・・・篝」

 八雲はおもむろに、懐を探った。逡巡しながらも、思い切って口を開く。

「女性に渡す物ではないが・・・今は、これのほかに、何もない。俺にとっては、とても大切な物だ」

 話が見えず、篝が怪訝な顔をする。

「君に預けておく。また、会いに来よう。・・・約束だ」

 そう言って、手のひらに乗せて差し出したのは、五寸ほどの小刀だった。彫り物も装飾もない、(つば)さえ付いていない、無骨な小刀。一本の木から削り出された柄と鞘は、八雲の手に馴染んで、滑らかな飴色をしている。

「ありがとう」

 篝は、小刀を、そうっと両手で持ち上げ、無邪気に笑った。

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