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篝(かがり)  作者: 涼玉兎
一 埋み火(うずみび)
8/29

稲荷

「少し、村を歩いても、良いだろうか」

 小雨の上がったある日、八雲はそう尋ねてみた。

「もう動いて大丈夫なの?」

「ああ、傷はふさがってきている」

「それなら、稲荷様のところへ、参られてはいかがです?」

 大人びた口調だが、声音は、愛らしい子どものものだ。控え目に口を挟んできたのは、(あこめ)姿の優しげな童女だった。ただし、彼女の両の眼は、閉じられている。

「今日は、お天気も良いですし」

 にこにこと笑う、盲目の少女の名は、(すず)という。二つに振り分けた蘇芳の髪を、耳の下で結い、そこに名のとおり、小さな鈴を付けている。

「そうね、挨拶に行かないと。たぶん、出てきてくれると思うけれど・・・」

「ええ。稲荷様も、お話ししてみたいと、思っていらっしゃるはずです」

「・・・俺と?」

「はい。気まぐれな方ですが、貴方には、興味がおありのようですし、待っていらっしゃるのではないかと」




 小さな村なので、祠はそれほど遠くなかった。しかし、歩くのが遅いせいで、少し時間がかかってしまった。ふさがりかけた傷を、庇いながら動くので、まだ元のようにはいかない。森を抜けて城下に入り、屋敷へ帰り着けるまでに回復するには、今しばらく、時がかかりそうだった。

 祠は、立派な(くぬぎ)の木の、根元に立っていた。屋根が八雲の肩の高さほどで、村の家々と同じく、かなり古い。少しかがむと、格子になった木の扉の奥に、ご神体と思われる、小さな像が見えた。中が暗いせいもあり、細部まで見えないが、獣をかたどったものらしい。そういえば、何も供える物を持っていない―――とちらりと思った時、唐突に、真上から声が降ってきた。

「これか。銀が拾って来た二人目は」

 驚いて顔を上げると、金色の瞳が、八雲を見下ろしていた。

「稲荷様! やっぱり、出てきてくれた」

 隣で、篝が嬉しそうに言った。この、祠の上に胡坐(あぐら)をかいている男が、「稲荷様」らしい。

 目を引く金糸の髪が、真昼の木漏れ日を受けて、きらきらと輝いている。だが、伸びるに任せたように、長さはばらばらで、方向もまとまりがない。薄墨の衣の上に、白い狩衣(かりぎぬ)を重ねている。気だるげに頬杖をついた、色白の顔は、どことなく獣を―――それも、狐を思わせた。尖った顎や鼻、吊り上がり気味の、切れ長の目のせいだろうか。耳も、若干尖っているように見える。両の頬には、化粧(けわい)が施されており、朱い筋が数本、走っていた。

「名は?」

 突然すぎる、というより、簡単すぎる神との対面に驚いたが、不思議な出来事に、少し耐性が付いてきたのかもしれない。

「八雲、と申します」

 比較的、落ち着いた声が出た。

 稲荷は、すうっと目を細めた。が、あっさりと八雲から視線を外し、篝に向かって話しかける。

「しばらくだな。付きっきりだったのか」

「ごめんなさい」

「まあ、お前が人に興味を持つのは、良いことだ」

 篝との会話を聞いているうちに、強張っていた体から、力が抜けていくのを感じた。同時に、力が入っていたことに気付く。威圧的な気配は全くないのだが、何を考えているのか分からない、金の瞳に見据えられると、背筋がひやりとする思いだった。

「用は?」

「八雲が歩けるようになったから、挨拶に来たの。稲荷様も、八雲に会いたがっているかと思って」

「銀の拾い物と聞けば、興味も湧く」

 再び、切れ長の目が、八雲を品定めするように、じっと見た。

「お前、刀は好きか?」

「は?」

 なぜ、突然そういう話になるのだろう。面食らう八雲を、稲荷は、うっすらと唇に笑みを浮かべて、見下ろしている。

 篝と鈴も、八雲が返答するのを、待っているようだった。二人とも、話題の脈絡のなさを、悩む様子はない。ぽんぽんと話が飛ぶのは、この神の常なのだろう。気まぐれな方ですが、と、鈴が言っていたのを思い出す。

「好きかと問われると、わかりません。・・・刀を振るわねば、守れないものもありますが、俺はなるべくなら、人を傷付けたくないので」

 相手は神だ。戸惑いつつも、真面目に答える。それを聞くと稲荷は、にいっと笑みを深くした。鋭い犬歯が覗いた。

 彼は頬杖を解き、前かがみになっていた上体を起こした。金の色彩が急に遠のき、頭がくらくらする。

「あいつはまた、面白いのを拾って来たな」

「面白い?」

「迷っている人間を見るのは、面白い」

 歌うように言う。

 戸惑う八雲を残して、稲荷はあっけなく、会話を終わらせた。

「気が向いたら、出てきてやる。お前も、気が向いたら、また来い。―――八雲」

 瞬き一つの後、祠の上に、狩衣姿の青年の影は無かった。




「気に入ったみたい」

 篝が言った。

「あれで、気に入られたのか?」

「出てきてやる、とおっしゃっていたではありませんか。名前も、呼んでおられましたよ」

 鈴が、ころころと笑う。

「八雲は、何か迷っているの?」

「・・・そうだな」

 八雲は苦笑した。

―――八雲。北斗が逝って、じき二年になる。お前、朝桐家を継ぐ気はあるか。

 篝と出会った、その前日の夕べ。父の言葉が、頭をよぎる。

―――お前にその気があるならば、私も、そう腹を決めよう。いずれ、相応の善き娘を、娶らせてやりたいとも思うておる。考えなさい。

「俺は、迷っていることばかりだよ」

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